19.強くなると、決めたから
「カイン様、なぜ……?」
問いかけたいのに言葉は喉の奥にひっかかって切れ切れに絞り出される。おまけに手に触れるカイン様の頬や指の感触を全く感じられず、まるで魔法で手の感覚を奪われてしまったかのように動かせない。
「昨日登城した時に偶然、アデルが王宮に来ると聞いたんだ。きっと国王陛下とセルヴィッジ侯爵が話す時は一人になるだろうから、その時を待っていたよ」
「早く用件を言ってください」
「悲しいな。どうしてそんなにも私に冷たい?」
急にカイン様の声が低くなり、それと同時に周りの空気がぶるりと震えたような気がした。魔力を持つ人間は強い怒りや不安を覚えると魔力の抑制ができなくて溢れ出てしまうと聞いたことがある。
このままカイン様が感情のままに魔力を爆発させてしまったらどうなるのだろうかと、想像するだけで恐ろしくなった。
「アデル、私のことを好きだと言っていたのに、掌を返したように避けるのはなぜだ? あの言葉は全部偽りだったのか?」
「セルヴィッジ侯爵を愛しているというのは婚約者だからだろう?」
「婚約破棄されないように、しかたがなくセルヴィッジ侯爵に愛想笑いをしているんだよな?」
捲し立てるように言葉を並べるカイン様の勢いに呑まれて、カイン様の目を見るので精一杯だ。深い青色の瞳は底が見えず、澱んでいるように見えていて恐ろしい。
なんで。
どうして。
そんな疑問を解明しようとしても、頭を捻ったところでカイン様の言葉の真意は掴めない。そもそも、目の前にいるカイン様は私が知っているカイン様とはずいぶん違うから。
幼いころから貴族らしい考えを持っていたカイン様は、結婚は家同士がするもので自分は恋をしないと言っていた。そんなお方が、解消された婚約について話しているのに違和感を覚えた。
「セルヴィッジ侯爵との婚約を解消しろ。あの男の傍にいてもアデルは幸せになれない」
「嫌です!」
咄嗟に言い返すと、カイン様は瞠目してよろけた。まるで私が拒むだなんて想像すらしていなかったかのように狼狽している。
「……なぜだ? 一度はアデルの前から姿を消した奴だというのに。あいつにアデルの何がわかる?」
「クロード様は私が隠している気持ちにも気づいてくれるお方です」
「人外と言葉を交わせるというのに怖くないのか? 星詠みを見たことがあるならわかるだろう? 不気味な魔法を使うやつと一緒に居たいというのか?!」
カイン様こそクロード様のことを何も知らないくせに、悪口を言わないでほしい。
ふつふつと怒りが湧いてくる。怒りは瞬く間に血液の如く全身を駆け巡り、あっという間に体温が上がった。
私のことは何と言おうと構わないけれど、クロード様の事となると話は別だ。
あの優しい人のことを悪く言うなら、相手が誰であろうと許さない。絶対に。
「クロード様を悪く言わないでください! 星詠みをしているクロード様は幻想的で神秘的で、とても素敵なんですから!」
真正面からカイン様を見つめる。
数年もの間、彼の婚約者であったのに、こんなにも近くで見つめ合ったことなんて、数えられるくらいしかなかった。
私がどんなに頑張っても、話しかけても、カイン様の瞳にはなかなか映らなくて。
だからたまにカイン様が私をじっと見てくれたのがとても嬉しかった。その時のことは今でも鮮明に思い出せるくらい、喜んでいたのだ。
それなのに、今や目の前にあるカイン様の瞳には、怒りに顔を歪ませた自分が映っているなんて、なんて皮肉なことだろうか。
「やめてくれ。アデル、どうかいつもの笑顔を見せてくれ。私のことが、好きなんだろう?」
「私が誰に微笑もうが私の勝手です。それに、私の心はクロード様のものですから」
「違う。アデルは私のことが好きなはずだ。クレアとの婚約のことで遠慮しているんだろう?」
「……いいえ、違います。この気持ちは正真正銘、私がクロード様に惹かれたからです」
私が今もカイン様のことを好きなんだと、そう決めつける意図が分からない。
それに、私にもカイン様にもそれぞれ婚約者がいる。それなのにカイン様はこのようなことを言って、私に何を望んでるのだろうか?
それがいかなる意図であっても、私はこの手を握るつもりはもう無い。その気持ちを表わすためにも手を引いて、カイン様の手と頬から離した。
「クロード様は私が破ってしまった約束を頑なに守ってくれて、それに、落ち込んでいた私に手を差し伸ばしてくれたんです。私は、そんなクロード様を守ると誓いました。だから私の心は全てクロード様のものです」
闇夜に浮かぶ星のように、私を光で導いてくれたクロード様。今の私じゃまだまだクロード様のお役には立てないけれど、それでも早く支えられるように、強くなりたい。
だから私は、離れた手を追いかけようとするカイン様を、睨んで拒んだ。
「アデル、どうやら混乱しているようだな。無理もない。アシュバートン卿と婚約してから心無い噂を流されているから疲れてしまっているんだよ。さあ、私の元に帰っておいで」
「嫌です」
「……そうか。こんなことはしたくなかったが、言うことを聞かないなら私の領地に閉じ込めるしかないな」
カイン様の声はあまりにも恐ろしく冷気を帯びていて、ぞっとした。次いでカイン様の手が伸びてきて、逃げ出しても背の高い垣根に囲まれた空間に逃げ場はなく、隅へと追いつめられてしまう。
垣根を壊すことも超えることも、今の私には不可能だ。もしも魔力を持っていれば、簡単にできることなのに。
恐怖と悔しさで胸がいっぱいになっても、頭の中に浮かぶのはクロード様のことで。
もう会えなくなってしまうんじゃないかと思うと、ぞっとして自然と体が震えてしまう。
「いやだ……クロード様……!」
恐怖に堪えきれずクロード様の名前を呼んだ。
もっと一緒に居たい。
手を繋いでまた星空を見上げたいし、朝の無防備なクロード様を起こしてあげたい。
一緒に見たい景色や行きたい場所があるのに、もう会えないなんて嫌だ。
その気持ちを込めて何度も名前を呼んだ。
すると私たちの周りに幾つもの光の粒が現れて。
「アデル!」
クロード様の声が聞こえてきた瞬間、私は優しい温もりに包まれた。
次話、ようやくクロードの登場です。




