18.記憶の底にあったもの
諸事情により、カインの瞳の色を黒→青に変更しました。
「アデル、大丈夫?」
「はい。……少し、緊張してしまってます」
胸に手を当ててそっと息を吐いてみるけど変わりなく、心臓が早鐘を打ち続けている。これから国王陛下に謁見することを思うと、緊張のあまり震えが止まりそうにない。
クロード様はこれから国王陛下に謁見することになっており、私も一緒にお会いするのだ。
私がなぜ呼ばれたのかと言うと、国王陛下が「クロードの婚約者にはぜひ挨拶をしたい」と、恐れ多くもありがたい機会をくださったからで。
だからこそ、クロード様の婚約者として恥ずかしく無いように振舞いたいと思う。
「気を張らなくていいよ。陛下は巷では”豪傑王”やら”初代国王の再来”やら謳われているけど、話せばただの人間だから」
クロード様はそんなことを言って微笑むけど、仕事で国王陛下と交流があるクロード様とは違い、年に一~二回しか拝見することがない私からすれば、陛下は雲の上のお方。
同じ空気を吸うのでさえ恐れ多いと思ってしまうけれど――。
「ずっと隣にいるから大丈夫だよ」
そんな私のことを想ってくれるクロード様を守ろうと決めたのだから、震えてばかりではいられない。
「私も、ずっとクロード様の隣に居ますからね」
エスコートしてくれているクロード様の腕をぎゅっと掴むと、クロード様は「それは心強い」と言って、体を傾けて寄りかかってくれた。
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クロード様が案内してくれたのは謁見の間ではなく、国王陛下の執務室だった。いつも以上に近い場所に国王陛下がいるため心臓が喉から飛び出てしまいそうなほど緊張してしまう。
「国王陛下、わたくしはアデル・ウィンストンと申します。この度はお招きいただきありがとうございます」
それでもなんとか自分を落ち着かせて最上位の礼をとると、国王陛下はすぐに「楽にしてくれ」と言ってくださった。
顔を上げれば国王陛下は人好きのする笑みを浮かべていて、いつもより親しみやすさを感じる。
自ら戦地へ赴き剣を振るう国王陛下は豪傑王と謳われるにふさわしくしっかりとした体格で背は高く、戦場で陛下と出会えば誰しもが震えあがってしまうだろう見目をしているだけに、ふわりと笑う陛下の表情は新鮮だ。
「クロードがそなたの事ばかり話すから気になってしまってな。少し話を聞かせてくれ」
「わたくしのことでよろしければ、なんなりと聞いてください」
せっかく国王陛下が興味を示してくださったと言うのに、さして面白い話を持ち合わせているわけでもなく、ただただ申し訳なくなる。思わず心の中で謝罪を唱えた。
「それでは故郷について――ティアニー伯爵領は昔、大きな災害が二つもあったが……当時のことはよく覚えているかな?」
「残念ながら、水害があった頃は生まれて間もない頃のため記憶がありませんが――森林火災の時のことはよく覚えています。両親が仕事で忙しく、屋敷にいない時に起きたのでとても恐ろしかったです」
あの頃は執事長が街にいる魔導士を集めて森に向かってくれて――お父様とお母様が報せを聞いて帰ってくるころには鎮火していた。
私もクレアもただ震えることしかできなくて、当主さながらの働きをしてくれた執事長が、「こんなときにも分家の方々は来ないなんて」と愚痴をこぼしていたのを聞いていた。
そう言えば昔から、お父様とお母様は分家の人たちとは仲が悪く、最近では彼らを邸宅から締め出してしまっている。
彼らの間で何があったのか知りたくても、お父様とお母様に聞けば酷く怒られて、使用人たちに聞いても曖昧な答えしか返ってこない。おまけに分家の人たちとは、会うことすら禁じられている始末で。
どうしてこの大きな確執を、今の今まで忘れてしまっていたんだろうか?
そんな疑問が脳裏を過った。
「アデル嬢、何か気になることでもあったのかな?」
「い、いいえ。たいしたことではありません」
「言ってみなさい」
一族間の不仲を国王陛下にお話するのは気が引けるけれど、こちらをじっと見つめる国王陛下の瞳に囚われてしまい、言うまで逃げられなさそうで。
「……お恥ずかしい話ですが、実家は分家と仲が悪く、助けに来てくださらなかったのを思い出したのです」
「ふむ。小耳に挟んだ話ではあったが事実だったか。気にしなくて良い。一族間の不仲は珍しいものでもないからな。むしろアシュバートン家のように仲が良いのが稀なくらいだ」
渋々白状したところ、国王陛下はあっけらかんと笑うのだった。
「アデル嬢、悪いがクロードをしばし貸してほしい。少し内密な話をしたくてな」
「――なりません。前にも王宮でアデルは恐ろしい目に遭ったのですから!」
私が答えるよりも先にクロード様が断ってくれる。心配してくれるのは嬉しいけれど、私のせいでクロード様の仕事に支障が出るのはよくない。
「クロード様、私なら大丈夫ですのでお仕事してきてください」
「うむ。アデル嬢はなかなか頼もしいな。そなたには近衛騎士をつけるから安心するといい。庭園を案内するように命じるから楽しんできてくれ。――睨むなよ、クロード。お前が妬かないように女騎士をつけるから」
「何者であっても、アデルと一緒に庭園を眺めるなんて妬けますよ」
クロード様は明らかに不機嫌そうな声になっていて、少し、可愛らしいと思ってしまう。
眉尻を下げてしょんぼりとしているクロード様に見送られつつ、執務室を出た。
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国王陛下がつけてくださった女性騎士は明るくて元気な方で、リリーに似ていることもあってすぐに打ち解けられた。
広い庭園内を歩く道すがら、王宮での出来事や国王陛下の意外な一面を教えてくれるのが面白く、夢中になって彼女の話を聞いていた。
やがて背の高い生垣の迷路に差し掛かった時、急に、周りの植物がざわりと震え上がったような不思議な感覚がした。
「アデル嬢!」
私を呼ぶ声が聞こえて来ても、さっきまで隣に居たはずの彼女の姿がない。おまけに声がとても遠くで聞こえてくるのだ。
まるで、私だけがどこかに移動してしまったかのように、離れてしまっている。
状況を知りたくて見回せど辺りには生垣があるのみで、その中に閉じ込められてしまったような錯覚に陥ってしまう。
それに、突き当りに進んでも行き止まりで、どうやら本当に閉じ込められてしまったらしい。
「まさか……魔法で?」
魔力を持たないから魔法には明るくないけれど、空間を歪ませて人を惑わす魔法があると聞いたことがある。
魔法だとすると、誰が何のためにこんなことを?
必死で考えを巡らせても何も思い当たらず、途方に暮れていると、背後で足音がした。
「アデル、会いたかったよ」
続いて覚えのある声がして振り返ると。
「カイン様――」
カイン様が立っていて、私を見つめている。
無機質な表情はいつも通りのカイン様のはずなのに、その青い瞳を見ていると、心の中でけたたましく警鐘が鳴り響いていて、「逃げろ」と訴えかけてくる。
今のカイン様の様子は何かがおかしい。でも、その正体が全く掴めずにいて、未知なる恐怖にただ足が竦んでしまう。
少しずつ近づいてくるカイン様から逃れることもできず、捕食動物を目の前にした時のような、生命の危機を感じるような恐怖が心を支配していて。
「二人きりで話したいとずっと思っていたんだ。それなのにアデルは私から逃げてばかりだったね?」
「――っ?!」
カイン様は私の手を掴み頬を寄せると、顔を押し付けたままの状態で微笑みかけた。
それは、これまでに幾度となく見たいと願っても叶わなかった微笑みであるのにもかかわらず、喜びを感じるどころか恐怖でしかない。
まるで心臓を冷たい手で撫でられたような、そんな心地がして震えあがった。




