16.どんなことを言われても
庭園に出ると囁き声は聞こえなくなった。
泣いている顔を見られたくなくて、生垣の陰にあるベンチに座って涙を拭う。
恐ろしい噂が聞こえずホッと胸を撫で下ろすのと同時に、じくじくとした胸の痛みが蘇ってくる。
あんな噂が流れているのが怖い。
身に覚えのない事なのに、あたかも事実のように語られていて。
あの噂をクロード様が聞いたらどう思うのだろうとそう思うと、途端に不安に襲われる。
「いやだ……クロード様には聞かれたくない」
クロード様が噂を信じてしまったらどうしよう。
あの優しい笑顔を二度と向けてくれなくなったらどうしよう。
拒絶されたらどうしよう。
名前を呼んでくれなくなったらどうしよう。
そんな不安が胸の中を占めていって気づいた。
私は、それほどまでにクロード様に惹かれてしまっているんだ。
優しくて、完璧で、それなのに私を必要としてくれて。
甘えてくれたり、ぼんやりした姿を見せてくれるクロード様の隣に、ずっといたいと思っている。
クロード様のことが、好きだから。
「見苦しいわね。どんな手を使ってクロード様に近づいたのか知らないけど、あなたはクロード様にふさわしくありませんわ」
王城の中で聞こえてきた声がして顔を上げると、噂話をしていた令嬢たちがぐるりと囲むように並んで立っている。いつの間にか追いかけてきたらしい。
彼女たちの表情には嫌悪と軽蔑が滲んでいて、鋭い眼差しに身が震えてしまう。
「クロード様とカイン様を誑かすなんてとんだ女狐だわ」
「こんな地味な女がクロード様の隣に並ぶなんて許さなくってよ」
「今すぐ婚約破棄しなさい! クロード様はもっとふさわしい方と婚約するべきよ!」
次々と浴びせられる言葉に身が竦むけど、婚約破棄の一言を聞いた瞬間、咄嗟に足に力が入って立ち上がった。
「い……嫌です」
私なんかがクロード様に釣り合わないなんて、私が一番よく知っている。
それでも私は、クロード様の隣に居たい。婚約破棄したくない。クロード様がいない日常に戻りたくない。
「私はクロード様から離れたくありません。愛していますから……!」
舌の根が震えるし、喉の奥がつっかえたように重いけど、それでも懸命に声を出して訴えた。
これまで我慢することも失うことも平気だったけど、クロード様から離れることだけは、我慢できない。
どんなに醜い我儘だと言われても、クロード様の隣にずっといたいから。
「本当に図々しいですわ。そうやってわざと弱々しいフリをしてクロード様に取り入ったんでしょう?」
「そんなことしてません!」
「あら、じゃあ誘惑したのかしら? クロード様は優しいから憐れに思って婚約してくれたんだと思うわ」
「ゆ、誘惑なんてしません。クロード様が求婚してくださったんです……!」
「嘘も大概にしなさい。あんたなんかにクロード様が求婚するはずないわ!」
目の間にいる令嬢の眉が怒りで吊り上がった。その瞬間、急に視界がブレる。
突き飛ばされたんだと、そう気づいた時にはすでに体が傾いてしまっていた。
咄嗟のことで目を瞑ってしまい、そのまま地面に倒れ込む衝撃に備えた。
しかしその衝撃を感じることはなく、体は温かなものに受け止められて抱きしめられた。
「アデル、大丈夫?」
次いで耳にはクロード様の声が届いて、見上げればクロード様が私を見つめている。
急いでここに来てくれたようで、肩で息をしている。
「ありがとうございます、大丈夫です」
「間に合ってよかった。アデルが怪我をしたらどうしようかと思ったよ」
そのまま、労わるようにやんわりと抱きしめて、頭に口づけをしてくれた。
背中にまわるクロード様の手は優しくて、触れていると安心して泣きそうだ。
クロード様はさらに腕に力を込めて、安心させるように抱きしめてくれた。厚い胸板に頬がつくと、クロード様の鼓動が聞こえてくる。
「――アデルが、俺を誘惑したって? むしろ誘惑してくれるのを待っているところなんだけど?」
いつになく低い声に驚いて顔を見上げると、クロード様は眉を顰めて令嬢たちを睨みつけている。
「クロード様、騙されてはいけませんわ! その女はカイン様を諦めきれずに泣いて縋ったり、妹のクレア嬢をいじめたんですのよ!」
「アデルはそんなことしないよ。アデルは我慢が得意で、自分が好きな物を知らないほど、自分よりも他人を優先する人なんだから。子どもの頃から変わらずに、そういう心優しい人なんだ。だから俺はアデルを甘やかしたくてしかたがない。それに――」
クロード様の手が顎の下に添えられて、気づけば金色の瞳が視界全体を占めていて。
キラキラと輝く金色の世界には、私の顔が映り込んでいる。
「アデルがハウエルズ卿のことが諦めきれていないと聞くとたまらなく嫉妬して、ハウエルズ卿の事なんて忘れさせたくなる」
そのままクロード様の瞼が閉じるのを見届けた時、クロード様の唇が、私の唇に触れた。
離れてはまた重ねる口づけは優しくて。だけど私は初めての感覚を受けとめるのに精いっぱいで、必死になってクロード様のローブの袖を掴む。
「こんなに愛しているのにアデルと婚約破棄する気はないよ? たとえアデルにお願いされても、それだけは聞けないね」
そう言って最後に触れるだけの口づけをして、クロード様の唇が離れた。
この様子を、国王陛下はニヤニヤしながら眺めてました。




