12.私に微笑みかけてくれ(※カイン視点)
「――アデル」
名前を呼べば、アデルはいつも微笑んで返事をしてくれた。
翡翠玉色の瞳を細める姿はまるで、私といるのがこの上ない幸福だとでも言いたげで。その笑顔は私の為だけに見せてくれるものだとばかり思っていた。
政略結婚の相手なんて、よほど問題がある令嬢じゃなければ誰だっていいと思っていたが、アデルに会うたびに、アデルで良かったと思っていた。
そう思っていたことを、アデルには一度も伝えていない。私が好いているのか気にして、不安そうにしているアデルを見るのが好きだったから。
どれだけ会う頻度を減らそうと、必要最低限しか話しかけないようにしていても、アデルは文句ひとつ零さずに私に微笑みかけてくれる。
私はアデルに愛されている。
アデルは私に真の愛情を向ける唯一の存在だ。政略結婚ではあるが、ハウエルズ家ではなく私自身を愛してくれる人。この先何十年と寄り添ってくれる妻になる人。
そう思っていたが、父上は魔力を持つクレアを一族に欲しがった。
結婚相手をクレアに代えると言い出した時は動揺こそしたが、そのまま受け入れた。
貴族の結婚は家同士がするもの。
それは絆を強固にするため。お互いの欲するものを手に入れるため。道具と同じようなものだとわかっている。
それに、ある予感がした私は、この状況を楽しんでいた。
きっと婚約破棄されたアデルは屋敷から出られないほど落ち込むだろう。私のことを考えて泣いているアデルのことを考えると、それだけで充足感に包まれるくらいだ。
――それなのに、アデルは婚約を破棄された後すぐに舞踏会に顔を出したと、風の噂で聞いた。
舞踏会でアシュバートン卿と抜け出して、戻ってきた時には彼にエスコートされて二人で帰ったのだと。
それから二人の婚約が発表された。ウィンストン家とアシュバートン家の間で決められたことではなかった。
……何かの間違いだ。きっとアデルは一度婚約破棄をされた自分にまともな縁談が来ることはないと思って、アシュバートン卿の求婚を受け入れたに違いない。
恋愛結婚ではない。私への気持ちを、忘れたわけではないはず。
そう言い聞かせても不安を拭うことができず、アデルの婚約を聞いて以来、何度もウィンストン家を訪ねた。
クレアと私が一緒にいるところを見て表情を曇らせるアデルを見る度に、アデルの心は私のものだと確かめられて、安心していた。
たとえ私が何をしようと、アデルは私を愛してくれている。純粋に、愛してくれるのだと。
今日まで、そう思っていた。
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クレアにせがまれて行ったヒートリー宝飾品店で、アデルと再会した。
「アデル!」
アデルはアシュバートン卿に名前を呼ばれて振り向いた。アシュバートン卿に寄り添うアデルは、私が好きなあの微笑みをアシュバートン卿に向けていて。
それが酷く、私の心をかき乱した。
「遅くなってすまない。婚約指輪だよ。だから、改めて聞いて欲しいんだ――アデル、俺と結婚してください。これからも俺の道標であって欲しい」
「もちろんです。これからもクロード様に寄り添っていきますね」
泣きそうな顔で微笑みかけるアデルを見て、胸が痛くなった。
その手を繋ぐな。
微笑みかけないでくれ。
行かないでくれ。
しかし願いは虚しく、アデルはアシュバートン卿に手を引かれて、私の前から消えてしまった。
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それからどうしていたのか覚えていない。気づけば馬車に乗っていて、窓の外に流れる景色を見ていた。
「――カイン様!」
苛立ちを滲ませたクレアの声を聞いて我に返る。
ウィンストン家の二女は酷くご立腹で、宝石とほめそやされている目を吊り上げている。
社交界では華と謳われる美貌の持ち主でかつての級友からは彼女との結婚を羨ましいと言われたが、私は少しも嬉しくない。まったく気持ちが晴れなかった理由に、今頃気づかされた。
アデルでなければいけなかったんだ。
「ああ、すまない」
「お姉様のことを考えているんでしょう?」
「っなぜ、そう思う?」
「だって、カイン様ったらクロード様の求婚を見ている時に呪いでもかけていそうな顔をなさっていましたもの。それくらいお姉様のことをお慕いしていますのね?」
「……」
クレアは唇の両端を持ち上げて微笑んだ。
見る者は女神の微笑みと讃えるかもしれないが、この女の本性を知っているだけに、私には悪魔のようにしか見えない。
「私にいい考えがありますわ。カイン様に協力してもいいわよ?」
「協力?」
「お姉様とカイン様がまた婚約できるように協力しますわ。私、お姉様とクロード様を別れさせたいもの」
悪魔の囁きの、なんて甘美なことだろう。
「だって――お姉様が大切にされているのを見ると、苛立って吐きそうになるのよね」
もう一度あの微笑みを向けられたいと思った私は、クレアの話に耳を傾けた。




