プロローグ
「ねえ、アデル嬢が来てるわよ」
「本当だわ。婚約者に捨てられたのに堂々と舞踏会に出てこられるだなんて、随分とお強いのね」
容赦のない言葉の嵐が四方八方からざわざわと聞こえてくる。広いひろい会場だというのに、彼女たちの声はいやに大きく聞こえてきた。
しかたがない、とは思っている。自分の置かれている状況は、貴族社会の格好のネタなのだから。
というのも一週間前、私は婚約者の座を妹のクレアに譲ることになった。魔法が使える妻が欲しいという、先方からの願いを断ることができず、と両親に説明された。私は「わかったわ」と答えるしかできない。結婚は家同士がするものだから。
それでも悲しかった。カイン様は幼い頃から決められた人で、婚約者として何度か顔を合わせているうちに、彼のことが好きになっていたから。
いつも無表情だけど、さりげない優しさを見せてくれるカイン様の大切な妻になりたかった。
でも……魔法が使えて、可愛くて、社交的な妹の方が侯爵家の妻にいいと、ご両親もカイン様も判断したようで、私はその役目を貰えなかった。
悔しいというより、寂しい気持ちでいっぱいになった。
今はちっとも私に興味がないカイン様だけど、いつかは振り向いてくれると思っていたから。
やっぱり無理だったという現実が、胸の中に、重く鉛のように沈み込んでいった。
悲しかったけど、私が泣いていたら大好きなクレアを不安にさせてしまうと思い、彼女の婚約にお祝いの言葉を贈った。
クレアは私の可愛い妹。小さい時からずっと一緒にいて、いつも私に甘えてくれる可愛い妹だもの。
そんな私を見た両親は、私がさほど悲しんでいないと思ったようで、次の婚約者を見つけるために舞踏会に送り出されて今に至る。
婚約破棄された令嬢という肩書を持ってしまった私は好奇な目の餌食になっていて、壁の花というよりいっそのこと壁になりたい気持ちでいっぱいになる。
視線から目を背けるようにして立っていると、歓喜に満ちた話し声が聞こえてきた。
「ごらんなさい! クロード様よ!」
つられて彼女たちの視線の先を見ると、星のようにきらきらと輝く金色の髪と瞳を持つ、すらりと背の高い男の人がホールに入ってきているところだった。
彼が歩くたびに輝く髪はサラリと揺れて、シャンデリアに照らされた美しい顔が辺りを見回すと、その先にいる女性たちからため息が漏れるのが聞こえてくる。
恋愛小説に出てくる、美しい男性を形容する言葉が全て当てはまるような、見るからに特別な存在。クロード様とは、そういう人物だ。
そして彼は、私の幼馴染でもある。
とはいえ、姿を見るのは十年ぶりくらいかもしれない。久しぶりに会う幼馴染は、ひどく遠い存在になっていた。
そもそも、伯爵家の中でもパッとしない位置にいる私の実家と、国内随一の勢力を持つ彼の実家が繋がりを持っていたこと自体がおかしかっただけで、私が彼と幼馴染になれたというのは奇跡に等しい。
侯爵家の次期当主、クロード・アシュバートン。
ほんの一握りの人しかもっていない”星詠み”の能力を持っているため、王国魔導士団に所属している。舞踏会にはめったに出てこないと噂の彼がここにいるなんて珍しく、壁からそっと彼を見つめた。
上位貴族、煌びやかな美貌、そしてエリート。
女性が憧れる三拍子が揃ったクロード様にはまだ婚約者がいないため、その席を巡って令嬢たちの間では熾烈な争いが繰り広げられている。
いまやすっかり雲の上の存在だけど、幼い頃には父親同士の仕事の都合でよく私の家に遊びに来ており、一緒に庭園の木の下で座って本を読んだりしていた。そして信じられないことに、彼と「結婚しよう」だなんて約束したこともある。彼はきっと忘れているでしょうね。
それから私たちは成長して、お互い貴族家に生まれた子どもとしての責務で忙しくなってからは会わなくなってしまった。
違う学校に行っていたから見かけることもなかったけど、彼の噂を聞くことは度々あった。
クロード様はきょろきょろと視線を行ったり来たりして、誰かを探している。
「ごらんになって! きっとお話し相手の分も取りに来たんですわ」
近くの令嬢の声につられて見てみると、クロード様はシャンパンが入ったグラスを二つ取っている。その様子を見つめている令嬢たちの盛り上がりようが凄まじい。誰を誘うのかしら、私かしら、と熱っぽい視線で行く先を追っている。
あんなに注目されていたら相手は大変だろなぁ、なんて思っていたら、彼と目が合った。思わず後ろを振り返ったが、背後には壁しかない。そうしている間にも彼はどんどんと近づいてくる。
目が合っただなんて気のせいだ。
勘違いしてドキドキするなんて恥ずかしい。
いたたまれなくて、場所を変えることにした。ブッフェが並ぶテーブルのところに行ってお皿にキッシュを載せていると、頭の上から笑い声が降ってくる。
「アデルは相変わらずキッシュが好きなんだね」
クロード様の声が聞こえて来て、ゆっくりと振り返る。きらきらと輝く金色の瞳に、間抜けな顔した私が映っている。
いったいなぜ私に話しかけてくれたのかわからないけど、声をかけてくれたのなら返事をしなくてはと思い、こくこくと黙って頷いた。すると彼は私の手からお皿を取り上げて、代わりに手に持っていたシャンパングラスを差し出す。
流れるような所作は品があって見事で、ただ黙って見守るしかなかった。握らされたシャンパングラスと、彼の顔を交互に見る。
「アデル、久しぶりだね」
「ご、ご無沙汰しておりますわね」
名前を呼ばれて、ピシッと表情が固まってしまった。ホール中の視線が集まってきて生きた心地がしない。クロード様が名前で呼んでいるあの地味な女はだれだと、痛いほどに視線が集まってくる。
「久しぶりに君の顔を見られて嬉しいな」
「本当にいつぶりでしょうね。私もお話しできて嬉しいですわ」
「アデルの口からそんな言葉を聞けるなんて、今宵来た甲斐があったよ」
そんなにも喜んでくれているように言われると参ってしまう。社交辞令と分かりきっているのに思わず頬が熱くなった。
それに、甘い顔立ちを崩して見つめられると、もう何も言葉が出てきてくれない。
照れ隠しで微笑み返すと、急に耳元に口を寄せられて、一気に距離が縮まった。
「ねぇ、ちょっと抜け出してバルコニーに行かない?」
囁いてくる声は甘くてドキッとしてしまう。見上げれば悪戯っぽい笑みを浮かべていて、美しく大人の色香を纏う顔と絶妙に織り交ぜられたその表情は、すばらしく蠱惑的で、心臓に悪い。
この人は霧の如く色気を振りまいて、周りにいる人を窒息させるつもりなのかもしれない。
返事を促すように首を傾げられれば、つられて頷いてしまう。するとクロード様は手にしていたお皿をテーブルに置いて、そのまま私の手を取った。
悲鳴や囁き声に追いかけられながら、私たちはバルコニーへと続く窓を潜り抜けた。
はじめまして!
のんびり更新していく作品ですがおつきあいいただけると嬉しいです(*´˘`*)♡