終わりの始まり
さて、続けて第一話となります。
私がマルチ商法に出会ってしまった理由をしたためました。
ちなみに今回の話のように進んでいくのでご理解いただければと思います。
それから小説家になろうの投稿小説の制定文字数をクリアしてなかったようなので他のサイトにはない加筆を行いました。内容に大差は生まれないのでご容赦ください。
さて、私の転落の始まりは何だっただろうか…
あぁ、そうだ。どうせ使う先がないなら、と身の丈に合わない個人年金を申し込んで案の定生活が苦しくなったあの時だった。
工業高校を卒業した私は当然就職し、今年で社会人6年目を迎えていた。
就職したての当時の私には本当に欲がなく、ひと月に1万円すら使わなかった。最近は友達と遊ぶためにデスクトップのパソコンを購入したり、ガタが来た中古車を買い替え新しい中古車を手にしたり、文字数ナンバー1のソーシャルゲームに課金したりと浪費が増えていたが、それでも月の収入を上回ることはなく貯金は順調に貯まっていき800万円を迎えようとしていた。
世間では老後の2000万円問題などが騒がれ始めていた。
まぁ、私は朝食の際に両親が見ている朝のニュース番組をチラ見する程度でしかテレビは見ないし、ネットニュースもゲーム関連のもの以外はコメントが流れることで有名な某動画サイトの上に流れてくるニュースぐらいしか見ない世間知らずなので全く知らなかったわけだが。
そんな私はその問題を知ったときどう思ったか分かるだろうか?
「2000万円ねぇ…まぁ、このまま行きゃ定年退職するときにゃぁ貯まってるやろ」
真面目な生活をしている方や、家庭を抱える方が聞けば怒りに震えるかもしれないが事実である。
結婚なんてする気もない、家賃等の生活に必需の費用は実家を出ていないので計算に入れてなかったがそれでもお金はたまっていただろう。
そんな私はある時、会社に来ていた保険会社の女性から1つの個人年金の商品を勧められた。
「月々払ったお金をアメリカドルに換金して積み立てていく商品なんです。お金の使い道がないなら資産運用としてこの個人年金を持っておくのはどうでしょう?」
アメリカドルに換金する分、未来の為替の状況によって幾らか資金が上下するが日本円で積み立てていくより上がり幅が高いのだそうだ。
支払期間は私が50歳か55歳の時に終わって65歳から年金として受け取れるプランで、受け取れる金額は…正直よく覚えていないのだが3000万から5000万円程だったと記憶している。
さて、この時点で賢い方なら「こんなもん月恐ろしいほどの金払わなあかんやろ」とお思いだろう。実際頭のおかしい支払いを私はしていた。この手の話に詳しくない方も幾らか予想してほしい。ちょっとしたクイズのようなものだ。商品は何もないが少し考えてみてほしい。
正解はなんと毎月5万円のお支払いでした。
ちなみに当時の私は自分でかけた生命保険代と、携帯代、会社の意向で入らされた確定拠出年金と、愚かと思うだろうがさらにもう1つの個人年金を持っていた。これはまだ私が理性的な頃に契約したものなので月々の支払いは1万円だ。ただ支払うに見合った見返りが来るかどうかは私には判断がつかないがね…。
それら全てを合わせ、さらに自動車の車検代や各種税金の支払いが重なると最大で10万円前後金額が給料から引かれていた時があった。
だが驚くべきことに、これだけ支払ってもまだ貯金は少しずつだが貯まっていたのだ。
あの時までは…
「え⁉残業代がなくなるんですか⁉」
いつもの用に出勤していた私は会社の倉庫内で上司から貯まっていた残業代がなくなると知らされた。私が勤務していた会社は残業代は月30時間までとの決まりがあり、それ以上の残業は翌月に持ち越すことになっていたのだ。持ち越した残業が30時間を超えていれば翌月一切の残業をしなくても最大の残業代を得られていた。私の勤務する会社は給料が高くないので多くの社員はその残業代が生活を支える柱の1つにだったという。
しかし、
「労基に残業代貯まりすぎだから全部払えって命令されたらしいぞ。だから今月分の残業代は今まで貯まっていた残業代分を出すらしい。来月以降は残業をしたらその分はすべて支払うようになるらしい」
と、衝撃の事実を告げられた。体制としてはより一般的になったといえるのかもしれないが、私たちにとっては毎月残業をしなければ残業代をもらえないということだった。
今では大丈夫だったが私には新たな個人年金の支払いのせいでお金は貯まってはいるがあまり余裕がなかったので大きな不安を煽られることとなった。
この時は政府き方改革を打出した年で、休日の作業や残業が思うように出来なくなっていた。その為、残業時間が0の月やほんの数時間しかない月が増えており、安定した残業代がなくなるのは非常に好ましくなかった。
そして、新体制を迎えた最初の月の残業代は0だった。その月の手取りは13万円だった。月の支払いが10万円なので月に使えるお金は3万円しかない。さすがにもう月に1万円しか使わない生活は厳しい。臨時の出費などが重なってしまえばもう赤字になる。断腸の思いだったが、私は貯金を切り崩すことが増えていった。
そうして生まれた先行きの不安、不安定になった精神状況が付け込まれる隙になったのだろう…
そう私がマルチ商法にであるきっかけとなった出来事は、思わず現在の心境を初めてできた後輩に思わず漏らしてしまった時だった。
「さすがの俺もちょっと身の振り方を考えないとやばいわ…。あんまり残業はしたくねぇけど、そうしないと採算合わんし…。」
「え?先輩でもそんなやばいんすか?でも確か先輩、貯金すんげーありましたよね?」
「あるけど毎月のように貯金崩していったらなくなる一方やろ。そんなん嫌やからマジで節約するわ」
一度も後輩に見せたこのない生活への不安に彼はチャンスと思ったのか…あるいは完全なる善意によるものだったのか。確かめようとも思わないがただ一つ確実に言えることは、
「じゃぁ、貯金の幾らか使って資産運用してみたらどうっすか?知合いの社長がそういうのやってるんで何なら紹介しますよ!」
これが私の、終わりの始まりだったということだ。
ご愛読ありがとうございました。
タグにある通り、当てはまらない人にはギャグになるよう執筆したつもりなので笑っていただければと思います。
中身の薄さ等は勘弁を。
今後の投稿は出来上がり次第行うようにいたしますのでよろしくお願いいたします。