第三話 口裂け女
“一九七九年(昭和五十四年)の初夏ごろ、デビュー当時の彼女はまことに颯爽としていた。みどりの黒髪を風になびかせ、赤い服に赤いマントを羽織る、長身の色白の美女であった。しかるに、何事であろうか、ピンクのマスクをして道ですれ違う人ごとに「あたし、きれい?」と尋ねる。「きれい」と答えると、おもむろにマスクを外し、耳まで裂けた口を見せる。相手は驚いて声が出ない。すると、突然、隠し持った鎌で切りつけてくる、というのであった。(中略)
こうなると子供も負けてはいない。目には目を、歯には歯をとばかりに応戦し始め、だれが言うともなく“口裂け女”の弱点を探し出すと、次のような情報を交換しあった。
“口裂け女”は「ポマードが大きらいで、つかまっても“ポマード”と叫ぶだけで逃げていく」「ベッコウ飴が好物で三個やるとニコニコして立ち去る」「キャンデーの“小梅ちゃん”も好物」「ポマードを売っている化粧品店ばかりでなく、レコード店に逃げ込んでもセーフ」「“三”という数字が好きで、東京の三鷹、三軒茶屋に出没。ツイストの『燃えろいい女!』を六回歌うと出てくる」”(野村純一『江戸東京の噂話』より)
昭和後期に登場した妖怪「口裂け女」。当時、兵庫県姫路市の25歳女性が「口裂け女」のような格好をして包丁を持って市内をうろつき、警察に銃刀法違反容疑で逮捕された事件、また神奈川県平塚市では「パトカーが近所を巡回して“口裂け女が現れます。早く家に帰りましょう”と注意を訴えた」という事件もあり、社会現象を巻き起こすような非常に有名な怪異でもあった。
そんな口裂け女だが、それに似たような怪異が明治9年の東京日日新聞で紹介されている。
「東近江の野洲川のあたりの森で、ある男性が美しい若い女性と出会った。女性は「森山まで向かいます。どうぞご一緒に向かいませんか」と男性に声をかけた。男性もまんざらでもなく、道中を共にしたが、途中女性の目つきがどこか怪しく、身の毛のよだつような感覚があり、女性を置いて早足で急ごうとした。すると女性も早足で男性を追いかけ、ぎょっとした男性が振り向くと、口は耳の下まで裂け、歯をむき出しにし、口の中は炎のように赤く鬼のような形相であったという。鬼女は男性に飛び掛かり、噛みつこうとしたが、男性は力の限り振り払い。事なきを得た」
口が耳まで裂け、鬼の形相をした女性。まさに昭和から平成にかけて一世を風靡した「口裂け女」ではないだろうか。
「口裂け女」という怪異のルーツは諸説ある。宝暦4年に美濃国郡上藩で起こった農民一揆で処罰された農民の報われない魂が現代に残り、これが妖怪伝説として形を持ったのが「口裂け女」であるとする説、明治時代中期に滋賀の信楽に実在した「おつや」という名前の女性が恋人に会いに山を越える際、女性一人では危険だということで白装束に白粉を塗り、髪を乱して蝋燭を立て人参をくわえ、手に鎌を持って恋人の元へ向かったその姿が都市伝説のモデルとなったとする説、CIAが情報の伝播の仕方を検証するために流したデマであるとする説、1968年8月18日岐阜県加茂郡で起こった飛騨川バス転落事故の現場から白骨化した頭蓋骨が発見され、それを復顔したところ口が耳まで裂けており、その亡霊が「口裂け女」の正体ではないかとする説などなど多岐に渡っている。今回取り上げた東京日日新聞で掲載された話もその諸説の中の一つとして数えられるだろう。
「口裂け女」の噂は1980年に一気に終息したといわれている。その理由は学校が夏休みに入り、語り手となった児童の情報伝達がされなくなったためだとか。
ただ「口裂け女」はその強烈なキャラクター、社会的な影響力から、たびたびアニメや漫画の題材にされ、また2007年には映画化されている。「口裂け女」の噂の発祥の地ともいわれる岐阜県の岐阜市中心部にある柳ヶ瀬商店街では夏場に「口裂け女」をテーマにしたお化け屋敷が開かれて、地域活性化事業の中のコンテンツの一つとして組み込まれている。それも「口裂け女」の人気の現代まで続いているという証拠ではあるが、一世を風靡した怪異も時間が経てば人々によって消費されてしまうという現代社会のハングリーさに一抹の恐ろしさが感じられる。