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明治怪談  作者: 石田倫理
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第二話 西園寺公望別邸「坐漁荘」

愛知県犬山市にある「博物館明治村」。明治の建造物を移築・保存する屋外型博物館には明治の元勲、西園寺公望が政界引退後に暮らした「坐漁荘」という建物が移築されている。今回はその建物にまつわるお話。

西園寺公望をご存じだろうか。公家の出身で、明治3年、法学を学ぶためにフランスに渡り、帰国後は伊藤博文の腹心となり、大臣を歴任した。明治39年には伊藤博文の後を受け、内閣総理大臣に任じられ、明治時代後期から大正時代にかけて活躍した人物である。

愛知県犬山市の博物館明治村に移築、展示されている「坐漁荘」は西園寺公望が政治の第一線から退いたあと、静岡県興津の海岸に建てられた別邸である。「坐漁」とは太公望呂尚が「茅に坐して漁した」という故事にちなむものであり、「のんびり座って魚をとって過ごす」という意味が込められているが、政界を引退してもなお強い権力をもっていた西園寺公望のもとへは関係者の来客が絶えなかったという。

 この「坐漁荘」の1階の広い和室で西園寺公望は息を引き取ったといわれている。享年は90歳の大往生だった。


 重要文化財にも指定されている「坐漁荘」だが、実はこんな噂がある。

「『坐漁荘』には西園寺公望の霊が現れるらしい」と。

 西園寺公望が最期を迎えた建物であるため、その手の噂はあってしかるべきものだろう。霊感のある人物が「坐漁荘」に入った際に、気配を感じたという話や、実際に姿を見たという話もある。

 「坐漁荘」は明治村の中でも開けた場所に建てられており、2階の座敷の障子を開けると遠い山並みを背景に人口池である入鹿池を一望できるようになっている。この景色を堪能できる部屋にどうやら彼は“いる”のだという。

 ある昼間の出来事である。「坐漁荘」の外から2階を見上げた時に、若い男性が座敷の縁側に腰を下ろしていた。風景をただただぼーっと見つめているように見えた。天気の良い日であったため日向ぼっこでもしているのか、と一瞬思ったが、引っかかるものがある。「坐漁荘」は建物ガイド指定の建物で、ガイドを行っている時間以外は入れないようになっている。ガイド中にのんびり景色を楽しんでいるのもおかしな話だ。訝しげに思っていたところ、2階の男性と目が合った。するとその男性は煙のようにスーッと消えてしまった。何が起きたかわからず混乱していると、和服を着たガイドの女性が3名ほどお客さんを連れて、2階の縁側まできて案内を始めた。ガイドよりも先に2階に上がり、縁側でくつろぐなんてありえない。当然目の前で煙のように消えてしまったことも。この世のものでないものと出くわしたのだと確信した瞬間だった。





ただひとつ妙なことがある。私が見たのは「若い男性」だった。西園寺公望が亡くなったのは90歳。とてもではないが若い男性と見間違えることはないだろう。その男性は一体どこの誰だったのだろうか。調べる術はどこにもない。


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