入学
「…ナ…起きて…陽菜!」
「ん……ん、んぅ……。ううん……。」
「陽菜ってば……。」
ぐらぐらと身体が揺すぶられる。
微睡みのなか無遠慮に与えられる揺れを止めたくて、陽菜は目を覚ました。
「う……ぅぅぅぅ……ん…ん?」
「あ…やっと起きたの?」
「うう…ん?…ゆきちゃん…?」
「おはよう、陽菜。」
揺れが収まり視界が開ける。薄ぼんやりとしたそれに光が差し込み徐々にはっきりと見えてくる。目を覚ました陽菜が一番最初に認識したのは自分を揺り起こしていた少女――憂季だった。
小ぶりな麿眉の下にある眠たげな翡翠の瞳は陽菜をじっと見つめ、黒く艶やかな髪は頬の横に緩く編まれて大きな紅玉で留められている。きめ細やかな白い肌の少しとがってのびた耳、額から延びる角が愛らしい少女は、真新しい制服に身を包み陽菜の身体に手を置いていた。
「おはよう。陽菜、お寝坊さん。」
「えへへ…起こしてくれてありがとう、憂季ちゃん。今何時?」
「9時。あと30分で入学式が始まっちゃう。」
「え、えええええ!?まって、今、準備するから!!」
バタバタと慌てて布団から飛び上がる。憂季はやれやれといったかおで鞄を取り出す。陽菜は急いでのりの効いた制服に袖を通した。ささっと裾を整え姿見で自分の姿を確認する。
届いたばかりの洋風な制服。憂季とは少し違うそれに襦袢から着替えるのにはすこしばかり手間取ったがなんとかボタンなるものは掛け違わずにすんだ。憂季のものとは違うタイプの赤いリボン―憂季のものは納戸色でリボンタイとでも言えば良いのだろうか―を首につけてくるりとまわれば、これまた憂季とは色違いな櫻色のスカートがひらりと舞い上がり赤いラインがくるくると回る。
陽菜は姿見にうつるものが自分とは思えずにしばし放心した。ちらりと視線を上にすれば、ふわっとした金色の癖っ毛にひょこりとはえた角…そしてとんがり耳と八重歯だけがいつも通りだった。
「うううー憂季ちゃん、髪結んで?」
「陽菜は甘えん坊…。仕方ない。」
櫛を持ち丁寧に髪を解かす憂季に身を任せる。できたの声でもう一度姿見をみるとスカートと同色のリボンがふたつ、陽菜の頭で揺れていた。たしか、西洋の言葉でハーフアップというのか?いや、これは2つ結びだからハーフアップではなくて
――…っといやいや、そんなことを考えてる場合じゃなくって!
「ありがと憂季ちゃん!これで出発できるよ。」
こくり、と頷いて憂季は部屋をでる。鞄を持って小走りで憂季を追いかけると二人揃って早足で山道を駆け抜けた。
今日は入学式だった。
「はぁー…間に合った…。」
「危なかった。桜庭の名に泥は塗れない。」
山奥を走り抜けて来た二人は息を整える。今日は二人の入学式だった。入学、といっても二人は既に子供ではないが…。
もちろんここはただの学校ではない。ここは妖怪や霊とよばれる類いの血を持つ者が通う学校である。その昔妖怪たちを虐げてきた人間に対抗するために大きな戦が始まった。けれどもいくら妖怪といえども戦いの経験などなかった彼らに勝ち目はなく、衰退していき…現在に至るまでギリギリの戦いがどこかではまだ続いているのだろうとされる戦い、あるいはこれから来るであろう戦いに備えた養成所にあたるものである。
陽菜と憂季は辺りを見て会場とされる体育館へといそいだ。ついた先では既に多種多様な生徒がところ狭しと並んでいる。
「新入生はこちらで受付をお願い致します。」
青い髪をした白衣の女性―おそらくここの教師だろう―に呼び止められて足を止める。
陽菜は憂季を連れだって女性の後をおった。
「所属先とお名前は?」
「後方支援科の、桜庭陽菜です。」
「戦闘科。花緑青憂季。」
「はい。では桜庭さんはあちらの列にならんでね。花緑青さんは、あの先生に着いていって。」
「はい。」
「ありがとうございます。」
憂季と別れて列にならぶ。が、いかんせん妖怪が多い分にぎやかである。妖怪ごみを掻き分けて進むが他の子にぶつかってばかりである。
「ごめんなさい、とおして…わぷ!」
「きゃっ…。」
どさり。
何かにぶつかった感覚と音につられて横をみると灰がかった茶色い猫耳を生やした小柄な少女が倒れている。白いリボンで結われたふわふわのポニーテールが揺れて、慌てて助け起こして謝ろうとすると後ろから誰かが叫んでいた。
「だ、大丈夫!?ごめんなさ…」
「ましろーーーっ!」
その声にピクリと耳を震わせてこちらを見る。琥珀色の瞳が陽菜を見つめていた。陽菜はもう一度声を掛けようとするといきなり後ろからぐいっと持ち上げられた。
「はわっ!?」
「お前っ!純白になにしてるんだよ!!」
「え?な、なに…?」
急につかまれたとおもったら今度は罵声である。よく見ると陽菜をつかみあげたのは水色のパーカーを着込み真っ黒な毛並みの猫耳を生やした少年だった。女の子と同じ、琥珀色の瞳が陽菜を睨み付けている。
男の子が口を開きかけたとき、チリリと鈴の音が聞こえた。
少年と陽菜が吸い寄せられるように鈴の音が聞こえた方を見ると、女の子が黒い猫少年になにか訴えていた。
「え…そ、そうだったのか?悪い…。俺はてっきり純白が…。」
ふるふると首を振ってから女の子はペコリと陽菜にお辞儀をした。つかんでいた手を離してばつが悪そうな顔で少年が横にならび
「誤解でした…ごめん!すまん!!申し訳ない!!」
チリリ…
一斉に頭を下げた。
「え、えええ!?な、なにがなんだかよくわからないけど…ぶつかっちゃったのは私だもの。」
「いやでも俺…。」
「だ、大丈夫!大丈夫だから。目立っちゃってるから…。なるべく端に行きたいっていうか…。」
そういうと少年は慌てて顔をあげて壁際に走り出した。
「ごめん、ちょっとぬけてからじゃないと並べないな…。」
「そうだね…。あの、二人は…?」
「あ、悪い…。俺、猫又の旅叉黒夜。戦闘科なんだけど…こっちは妹の純白で支援科。こいつちょっと事情があって意識的に声がでないんだけど…よかったら仲良くしてやってくれよ。」
「そうなんだ…よろしくね。私は桜庭陽菜。純白ちゃんとおんなじ支援科だよ。」
チリリ…と鈴の音がしておずおずと手を差し出された。首もとを見ると人間が飼い猫にするように首輪に鈴をつけてある。
陽菜は純白の手をとると、純白ははにかんで黒夜の後ろに隠れてしまった。
「こいつ喋れないからさ。首に鈴つけて場所がわかるようにしてるんだ。」
「そうなんだ…かわいいね。」
「だろ?俺が純白に見立てたんだから当然だけどな…と、そろそろ並ぶか?」
「妖怪も捌けてきたからね。純白ちゃん、いっしょにいこ?」
ちょこちょこと後ろをついてくる純白は義妹の憂季を彷彿させた。
―――憂季ちゃん大丈夫かなぁ…。
「始まるみたいだな。」
「あ、本当だね。校長先生だ!」
壇上に一人の妖怪がのぼると、ザワザワと騒がしかった体育館がサッ…と静まり返る。
猫又の犬版とでもいうのだろうか。人間をベースにして軍服のようなかっこうをしているが、服装にあわずふさふさとしたしっぽやたれ耳を生やし、よく見ると鼻は小ぶりな犬っぽい三角形が見える。太めの眉とキリリとした切れ長の翡翠が壇上から陽菜たちを見下ろしている。
後ろには左側を刈り上げた赤髪とパーカーの柄の悪そうな女教師と、先程憂季を連れていっていた青い髪の白衣の女性、それから狼のようなふさふさとした髪―いや、狼耳もあるし毛?―の顔の整った男が控えている。
新入生のみなさん、というお決まりのワードから始まる言葉は、おそらく3分の1が既に聞いていないだろう。
「えっと…ドワーフ?って言うんだっけか?西洋の国によく居る種族なんだってな。」
「榛木イズナ…って名前だよね。男の妖怪?女の妖怪?」
「…名前と見た目じゃわかんねぇ。声も男にしては高いけど女にしては低いっつーか。」
「どっちなんだろう…。」
「女の子らしいよ?結構胸があるって噂してたからね。」
「へぇ…って、は?」
「ん?」
聞き慣れない声に振り向くと、隣にならんでいる女の子がにこりと笑ってこっちを見ていた。肩まで伸ばした桃色の髪をふんわりとうちまきにしている。陽菜や純白と同じ赤いリボンに櫻色のスカートだ。
「あたしは蜘蛛女の神代桃華。よろしくね?」
「よ、よろしく…。私は」
「知ってるよ。鬼の名家、桜庭のお嬢様桜庭陽菜。そっちは猫又の旅叉兄妹でしょ?」
うぇ、と面食らったような声をあげて後ずさる黒夜を笑いながら桃華は続けた。
「驚いた?あたし、情報はくまなく集めたいタイプなのよ。純白ちゃんと陽菜ちゃんとおんなじ後方支援科なんだ。」
「そうなのか…。まあ、なんだ。仲良くしてやってくれよ。」
同じように黒夜の後ろからチリリと音をたてておずおずと手を伸ばす純白にもよろしく、といいながら握手する桃華を見ながら、全く気にしていなかった壇上を見ると、いつのまにやらドワーフの校長ではなく見慣れた小さな鬼が立っていた。
「新入生代表、戦闘科、花緑青憂季さん、お願いします。」
「はい。」
すこし尻込みしたような声をあげて中央に来ると、四つ折りの紙を取り出す。
「あの新入生代表の子、陽菜ちゃんとおんなじところに住んでる鬼の子でしょ?」
「え、そうなのか?」
「うん。憂季ちゃんっていって…私の妹の様な子なの。私は落ちこぼれだけど、憂季ちゃんはすごいんだよ!私のできないこと、なんでもできるの。」
「へぇ…陽菜は憂季のことが好きなんだな。」
「うん、もちろん!」
陽菜は満面の笑みでそれに答えた。