今日から悪魔(ルシファー)第十七章
よろしくお願いします
幼少期の出来事をつい暇ができると思い出す。したくもないフラッシュバック。
今でも鮮明に覚えている。
黒いマントと白いマントが入り乱れ殺し合う光景を。そして一瞬の間に目の前にいた母が肉片に変わったこと。
あれは小学校に入学したての頃、母親と二人でファミリーレストランで食事をした帰りだった。
理由なんてのはたわいもないことだ。一匹の猫を追いかけて普段は入らないような路地裏に入り込んでしまったのが原因。
奇妙な違和感を感じた母親はすぐに出ようと催促したが当時幼かった長瀬には届かず奥へ奥へと入っていった。
そして事態は急変した。
見た目に変化は無い。ただ感触……空気が変わったことだけはしっかりと認識できた。恐怖や不安といった感情が湧き上がり始めた時だ。
自分の名を呼ぶ母の声。
そちらへ振り見いた瞬間だった。
今まで共にいてくれた母。
先ほどまで一緒にご飯を食べていた母。
夜は何を食べようかと今となってはどうでもいい話を楽しくしていたその母の上半身が散弾の直撃を受けたように砕け散ったのだ。
長瀬が最後に見た母の顔は今でも覚えている。
恐怖から身を挺して守ろうとしていたあの顔だけは……。
だが終わらない。
その攻撃は黒いマントと白いマントの者たちから偶然飛んできた攻撃の一つでしかなく、止んだわけではないのだ。
次に来た一閃。それが自分に来たと解ったのは何者かによって防がれたからに他ならない。
そしてそれを救ってくれたのが白い翼を背に持つ存在で、それを放ったのが黒い翼の存在だということも。
「大丈夫って奴かなって奴だよお譲ちゃん。死んでないよね」
若い女性の声だった。
どことなく砕けた調子の喋り方。
白い翼を生やした天使の姿をした女性は優しく頬笑みながら、
「大丈夫すぐに終わりにするから君はそこで寝てるといいって奴だよ♪」
そう言うと白い翼の女性は天高く舞い飛び、母を殺した黒いマントに向かっていった。
長瀬は上半身を砕かれた母の死体を見た。
動かない。本当に屍になったようだ。
高校生となった今でも忘れることはできない。
絶望を押しつけられる感覚。怒りや悲しみなんて感情が生み出させない気持ち。
母の姿は当時十歳の長瀬には抱え切れるほどの痛みではなかった。
戦いは白いマント、そして天使のような翼を持つ女性の勝利で終わったようで、愕然と項垂れる長瀬の元へとゆっくりと近寄ってきた女性は生まれたばかりの小鹿のような震えた様子の長瀬をジッと見つめた後、変わらぬ笑顔で優しく諭すようにこう言った。
「君の母親でいいのかな?」
軽く頷く長瀬。
「そう……ごめんね。私にはお母さんを助けることはできないって奴なのよ。でも君の手助けをしてあげることはできるって奴ね」
「手助け……?」
「そう手助け。あそこで死んでいる黒いマントの連中がなんなのか解る?」
首を横に振る長瀬。
「そうだよねぇ、原型ほとんど留めてないし解るわけないって奴かあ」
そりゃそうだといった様子でクスクスと笑ったあと妖艶な表情で、
「あれはね悪魔の力を使ってこの人間界で悪さをしようとする悪者みたいな感じの奴なの。つまり君のお母さんを殺した張本人って奴ね。もっともそいつはもう死んじゃってるけど」
再度母親に目を向ける。
もう身体は冷たくなっているかもしれない。確かめたくても怖くて触れられないのだ。
「やり返したくはないって奴よ」
「やり返す?」
「っそ、君が望むのなら君に力をあげるよ。今日は満月。ちょうどいい日。とっておきの天使の枠が余ってるの」
女性は微笑みながら手を差し伸べる。
「もしその気があるならこの手を取りなって奴よ。君のお母さんを殺した連中を殺せる力それを君にあげる。せめてもの罪滅ぼし。何より、幼いころから鍛えた方が能力も上手く操れて優秀な戦士になれるというメリットがこっちにもあるって奴だしね」
母の復讐ができる。
死んだ母の肉片を一瞥した後長瀬は何も言わずにその女性の手を取った。
直後全身に何かが入り込んでくる感触に襲われてその場に倒れ伏せてしまう。
息ができない。苦しい。
「大丈夫よ。すぐに楽になるって奴だから。あ、もちろん死ぬって意味じゃないかんね」
女性の言うとおり身体はすぐに楽になるどころか、
「おっと」
辺りのコンクリートを砕くほどの衝撃が長瀬を中心に吹いた。
だが女性はそれすらも楽しむように愉快に口元を歪める。
「成功したみたいだね。胸元を見てみなさいって奴よ」
言われるがままに胸元を見ると青い紋章のようなものが刻まれていた。
よく解らないが、この紋章、ルーンによって自分は力を手にしたようだ。
「初めまして、私はミカエル、あなたはサリエル。これからよろしくしましょうって奴よ」
それがユグドラシルのメンバー、サリエルの解放者としての長瀬の始まりだった。
「ほんとだよ。私と天野くんが付き合うなんてこと絶対にあり得ないから」
そう絶対にあり得ない。あっていいはずがない。
「よかったー。実は知り合いに天野くんのこと気になってる子がいてさあ、なんか長瀬さん天野くんと良い感じだし無理だと思ってたんだけどそうでもなさそうで良かったよ。ありがと、じゃあ伝えとくね」
「うん、お願い」
あんな男のどこがいいのか悪魔抜きにしても解らない。
いっそのことあの男はただの変態だと言ってしまおうか。
悪魔の良い顔を見ているのはそれはそれで気分が悪い。
だが回復もままならない。マモンの位置も特定できない。
この状況で下手に動くのは得策ではないことくらい長瀬だって理解できている。
「でもまあ……アズリエルが思ってるほどあの女がそこまで悠長に待ってくれてるかしらね」
ユグドラシル上層部。最終幹部のあの女。思いつきで行動することを幼い頃からの付き合いでよく知っている。
だからこそアズリエルの考えが甘いということをユグドラシルの北関東支部在住で唯一理解していた。
しかし上司であるアズリエルの判断に逆らうわけにもいかない。
「今は従うしかないわね」
「長瀬さーん、私たちの番だよー」
「うん、今行くよー」
今はこの時を満喫しておこう。この退屈でどうしようもない日常を。
ありがとうございました