今日から悪魔(ルシファー)第十三章
よろしくお願いします
息が荒い。身体が重い。
全力の防御法術で空間の消滅から自分を守ったサリエルではなく長瀬となった女は息を荒げ、血反吐を吐きながら立っていた。
場所は位相のずれもなくなった通常の空間の教室。
「白河!!」
倒れ込んだまま意識の無い白河に寄り添う鴇矢。
白河の息は荒い。
爆撃でも受けたように全身がボロボロ。
「しっかりしろよ。おい白河!」
白マントの姿は無い。
あるのは鴇矢と白河と長瀬の三人だけ。
「はあはぁ……ほんとに馬鹿ね……自己犠牲の精神かしらくっだらない。ギリギリ生きられるレベルに抑えてこんなのって…………ありえないわねほんとに。気持ちの良いくらい一掃してくれたわね。まるで掃除屋よ」
長瀬が吐き捨てるように言う。
「こちらのメンバーで空間消滅に耐えれたのは私だけってとこかしら」
白マントたちは全員はさっきの突然の光で死んだということしか鴇矢には理解できなかった。
「長瀬てめえ」
「そんなに睨まないでくれるかしら。こっちだって全力の法術で身を守ってこれだけボロボロになったのよ。もうほとんど戦う力なんて残ってないわ。実際解放も解けているでしょう」
「……」
顔の紋章も翼も無くなってセーラー服を着たただの女子高生となった白河の姿を見るに嘘を吐いているとは思えない。
だが気を抜くわけにはいかない。
白河は息を荒くして死にかけていて鴇矢自身は固有能力をまだそこまで完全に使えるようになったわけではない。もし長瀬がこの状況で尚戦いにくるようなら無事では済まない。
汗が垂れる。
「
終りね……ここまでだわ。正直もう位相をずらすほどの力も残っていないしこれ以上下手に戦って一般人に気づかれても面倒だし……天野くんはどうかしら。まだ戦う?」
長瀬はこちらがそちら以上に限界だということに気づいているように言っている。
だったら言うことは一つ。
「今日のとこはここで終わりでいいだろ。まだやるってんなら俺も加減しないぞ」
ハッタリで終戦。
これしかない。
息を荒げ力を使いきったような長瀬相手でも今の鴇矢では勝てるか正直自信がなかった。
だから相手に調子をつかせないように。相手に攻めさせないように。鴇矢は挑発をする。
「そう。いいわ。じゃあまた明日会いましょう」
何を言っているんだこいつは。
鴇矢は自分の耳を疑う。
「ユグドラシルとラグナロクとの対立以前に私たちは学生でしょう? なら明日からも当然普通に学校に通って普通に生活しなくちゃならないわ。もっとも……空間ごと消滅させられた私の仲間にはそんな生活すらもう許されないけれどね」
皮肉のように吐き捨てる。
「長瀬……」
「解ってるでしょう。レヴィアタンの空間消滅に巻き込まれた称号者にだってそれぞれの生活があったのよ。それを今の一撃で全て失った。彼らだけじゃない。彼らの家族もそう。皆全てを失ったの。そのことをまだ理解していないのかしら?」
「それって」
「天野くん、あなたは我々を悪のように思っているかもしれないけど、果たしてそれは本当かしらね。どっちが正義でどっちが悪か、あなたは今一度考えるべきよ。お互い余力の無くなった今この時間にね」
ふらふらした身体に鞭打つように足を動かし教室の出入り口へと向かう長瀬。
「レヴィアタンは当面その状態でしょうから必ず殺しにいくわ。ただ空間消滅なんて自滅技食らったんじゃあこちらも万全にはいかない。だからそれまでは仲良くしましょうね。天野くん」
そう言って長瀬は後ろ姿も消した。
抱える白河の息は荒い。ここから白河の家まで移動するほど固有能力はまだ使えない。
鴇矢は仕方なく白河を背負い教室を後にした。
「まさかこんなことがあって明日普通に会うなんてあり得ないよな」
そんなことを呟きながら鴇矢はラグナロク北関東支部に向かった。
サリエルとなった長瀬と戦い傷ついた白河は本当に満身創痍といった様子でまともに喋ることもできない。
ラグナロク支部には膨大な魔力元素によって幾重にも張った魔力結界があり並みの天使の称号者では入ることは不可能であり、解放者であってもそうそうに破れないものであると前に白河が言っていたことを思い返す。
居場所はばれていてもここ以上に白河の身を守れる場所はそうないだろう。
ベッドに寝かせてやる。鴇矢は意識を集中させて白河が無傷の状態をイメージしてその結果を生み出す為に必要な原因を考える。試してみる。しかし魔力耐性の高い白河には下手な魔力干渉が上手くいかず失敗に終わった。
「どうすりゃいいんだ」
くそったれと心の中で呟く。
ラグナロク支部っていうんだから他に仲間がいたっていいだろうに。何故ここには白河しかいないんだ。天使の称号者にいた白マントみたいなお仲間や他の七大罪のマモンとアスモデウスはどこで油売ってやがるんだ。
そういえばと思い返してみる。
そもそも悪魔の称号者に七大罪以外の称号者がいるのだろうか。もしかするとラグナロクには四人のメンバーしかいないのではないのだろうか。
いろいろ鴇矢に嘘を吹き込んでいた白河のことだ今までいくつもフェイク情報を教えてたって可能性もある。
「ちくしょうが」
何もできない自分に苛立ちが芽生える。
どうすればいいってんだ。
解らない。何も解らない。白河が目を覚ましてさえくれれば本当のことを教えてくれるだろうがこんな状態では訊くに訊けない。
長瀬もボロボロだった以上今日の襲撃はないだろう。
ただこんな状態の白河を置いて家に帰るわけにもいかず、鴇矢は家に連絡を入れて泊まる旨を伝える。
「あんた……ここに泊まる気?」
突然の声にハッとベットの方へ振り向く鴇矢。
ベッドで横になったままこちらに視線を向けてきていた白河。
「おまえ無事だったのか」
安堵に声が軽くなる鴇矢に、
「無事じゃないわ。まあかろうじて身体は動かせるけど魔力を扱うことはできないわ。レヴィアタンでありながら無様ね。まあそれだけ空間消滅は威力があると知れて良かったわ」
回復が追い付いていない。
本来なら空間固定で身を守っていたはずなのを鴇矢を守る為に自分を犠牲にした。自分が死なないギリギリの間合いで。
「なあ、そろそろお前ら悪魔の称号者やら天使の称号者やら組織的な世界観的なことを教えてくれてもいいんじゃないのか」
「突然ね」
白河は意外そうに言う。
「そんなものに興味があったなんて意外」
「いや、もう他人事っていうか、ただ自分の私利私欲の為だけに能力を行使していいとも思えないんだよ」
それを聞いて次は驚いた様子の顔を見せる白河。
「随分成長したのね天野くん……」
「そりゃ成長もするさ。あんだけのことがあったし、これからもあるんだろう」
「いいわ。話してあげるわ。あんたの質問全部に」
「悪魔の称号者、こっちだと黒マントみたいなのがいるんじゃないのか? こんな状況になってもいまだに姿を見せないけど」
「……そのこと……いるわ確かに」
上半身を悲痛な声を出しながら起こし、枕に肘をつきどうにか耐性を整える白河の姿はあまりに痛々しい。ついその身体を支えようとしてしまいそうになったが白河の顔は余計な手を出すなと言わんばかりの険しいものだった。
「もともと称号者の数も天使側が勝っているのよ。おまけにここはマモンが分身の大部分を使ってようやく有意な立ち位置になれてる状況。そのマモンを出し抜いて暗躍するほどの存在なら、下手に称号者を減らすなんて勿体ないもの。ただでさえここは悪魔の影響力の大きい地帯。この場所なら如何に強大な解放者でも私一人をを送り込めば済むと踏んでいたの」
「……俺が現れるまではか」
「そうよ。まさかあんたみたいなのがルシファーの転生者になると思っていなかったラグナロクは焦ったわ。だから臨時的にも私をついでに護衛に就かせたの」
「ということはこの地域には悪魔の称号者やら解放者を含めたラグナロクのメンバーは俺とお前しかいないってのか」
「いいえ」
「え、それじゃあ」
「私が来るまで……いえ今でもこの辺りを管轄して影響力を強めようとしている仲間がいるの」
「まさか学校に七大罪がいるとか?」
「ええ。マモンよ。もっとも学校に居るのは肉体を司るマモンが作り出した分身という名の全く別の人間。本体は別の場所にいるの」
「本体って…………分身できるってことか」
「ええ。魔力のある限り無数に。それを世界各国に送り込んで影響力増加に全力投球しているの。ただ今回この地域でのシェアを増やそうと大きく移動してきて解放者も確認できたから私が来たのよ」
「そういえばスパイとか」
「ええマモンは分身をつくって敵側に何人もスパイを送り込んでいるの。長瀬がサリエルの解放者ってとこまでは把握できていなかったけど、解放者や勢力図を知れたのはマモンのおかげね」
そこまで言って白河が一瞬考えるような顔をして、
「そういえば分身のマモンが誰だかあんたには話してなかったわね」
「話してねーよ」
「それはごめんなさい。いつも一緒にいるからてっきり」
「え、まさか知り合いとか」
「知り合いも何も友人じゃない。明日適当に挨拶でもしておけばいいわ」
「え、学校行っていいのか俺」
いやべつに行きたいわけじゃないが。
あっさりと行くことを許可した白河に動揺を隠せない。
「私の心配なら無用よ。ここは簡単に入ってこれないし長瀬もダメージを負ったはず。レリエルっていう解放者に加えてあれだけの称号者を失ったんだから早々と攻めてはこれないでしょうし。攻めてこれたなら勲章ものね」
「いや長瀬」
「ああ……あの女なら当たり前のように登校してくるでしょうね」
「それじゃあ」
「大丈夫よ。空間消滅でダメージを負ってる長瀬実莉に不確定元素の多い、ルシファーとも解らない相手をしようと思う気はないでしょ。ユグドラシルの連中は無駄に律儀だから今までの生活を乱すようなことはしない……死なない限りね」
「味方を連れてきたら」
「あれだけの数を引き連れて空間ごと消滅させたの。長瀬、いやサリエルの地位も危ういはずよ。その後ろにいる親玉の地位もね。簡単に仲間を呼べないはず」
「信用できるのか」
「仮に相手が殺しにきても力をほとんど残してるあんたならやりようがある」
「それはそうだが……」
「それに学校における援護はマモンに任せることに決めたの。今のままじゃああんたを守るどころか自分の身体もやばいしね」
「なるほど」
「解ったら帰りなさい。明日も早いでしょう」
「もう泊まるって言っちゃったんですけど」
「仕方ないわね。じゃあ隣の部屋を使いなさい。風呂と着替えは地下にあるはずよ。サイズもそれなりに整っているから大丈夫なはずだから」
「ああ解った」
そう言って鴇矢は部屋を後にした。
ドアを閉める直前、
「あんた、今日の戦いっぷり、初めてにしては上出来だったわ」
そう白河が呟いた。
べつに嬉しくもなかった。
戦いの時の感触は覚えてる。
白河の行った空間消滅で結果的に生き残ってる敵はいなかったのだろうが、それ以前に敵である人間を殺したという感触が手の中に残っている。
力を制御するような余裕はなかった、
白河と違って殺すつもりはなかった。仮に殺していなかったとしても空間消滅で死んでいた。
そう理解していてもやっぱり気分は良くない。
相手も殺しに来ていた。だから対抗した。
そんな風に自分の気持ちを抑える以外に自分が人を殺したという感触を拭えなかった。
溜め息交じりに鴇矢はその重い歩みを進めた。
ありがとうございました