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ひとつの区切り

沈丁花の香る縁側で

作者: ハロハロ

 カタン……コトン……カタン……。

 遥か遠くで電車が走っている。畑や田んぼばかりの田舎では遮るものが少ないせいか、微かな音だけが僕のもとまで漂ってきた。

 よく晴れた空の下、その電車はやがて膨らんだ蕾が今にも花開こうとしている桜並木を通過するのだろう。出会いや別れを乗せて、電車は進んでいくのだ。

 そんなことを想いながら、僕は深く微睡んでいく。


 春。

 ポカポカな陽気、青く澄んだ空、彼方に連なる山々。花開き始める桜に沈丁花じんちょうげの香り。

 真っ白な布団を干している縁側で、僕はうたた寝をしていた。

「ねー」

 こくりこくりと船を漕ぐ。

「ねーってば」

 少し怒ったような口調に、僕の意識はゆっくりと覚醒する。

「ん……、どうしたの」

「寝てたの?」

「少しだけね」

 なんたってこの天気だ。眠たくもなるさ。

 両手を上に、ぐっと背伸びをすると、背中でポキポキと子気味良い音が鳴った。

「それで、何か用かい」

 胡乱な瞳で隣に腰かけたあどけなさが残る白い女の子に尋ねる。

 白い女の子。というのはもちろん比喩だ。彼女が白いわけじゃない。ただ少し金色がかったさらさらな髪が昼の陽光を反射して白く見えたり、彼女が白い薄地のワンピースを着ているからそんな印象になっただけだ。

「特別な用事っていうわけじゃないわ。ただ、おばさんからお餅をいただいたの。だから、あなたと分けようと思って」

 そう言って、彼女は白い餅と、湯気が立つ番茶を差し出した。

「それはそれは、ありがとさん」

「ねー、このお餅って隣町のあのお店かしら」

 どことなく彼女はうきうきしていた。

「そうじゃないか? 今朝、隣町に出かけるって母さんが言っていたし」

「そうなのっ? 私、あのお店のお餅が大好きなの。おばさんにありがとうって言わなくちゃ」

 うん。僕も好物だ。

 熱々の番茶を一口啜り、白い餅に手を伸ばす。

 ちらりと横を見ると、彼女は小さな口でもっちもっちと幸せそうに頬張っている。

 さて、僕もいただこうか。

 ふと、伸ばしていた手が止まった。

 そういえば、この餅って……。たしか、あの日もこんな気持ちのいい春の昼下がりだった気が。

 僕は固まったまま、思考だけがするすると時を遡って行く。


 その日、母はお客さんを迎えに行くと言って、朝早くから遠く離れた港へと出向いたのだった。

 当時の僕はまだ学生で、ただ意味もなく長期休暇を自堕落に貪っている最中だった。

 その日も良く晴れていて、縁側で沈丁花の香りに包まれながら呆けていたのだっけ。

 カタン……コトン…・・・カタン……。

 遠くで電車の走っている音を聞きながら微睡み始めたのは、ちょうど昼時だった。

「ただいまーっと」

 勢いよく開けられる前門。元気な母の声に僕は目を覚ました。

 時間を確認すると、どうやら十分ほど眠ってしまっていたらしい。大きな欠伸を一つして、母と、お客さんとやらを迎えに立ち上がった時だった。

「…………うんっ?」

 目の前、庭に見知らぬ女の子が裸足で立っていたのだ。

 晴れた春の昼時に、似ても似つかぬ容姿をした女の子。

 本当は綺麗な髪なのだろうが、汚れ、痛み、陽光を鈍く反射している。

 泥や染みがついた軍人が着るようなカーキ色の服には穴が開き、裂け、焦げていた。

 そして何より女の子は、瞳に光はなく、亡者のように立ち尽くすばかりだ。

 ポカポカな陽気、青く澄んだ空、彼方に連なる山々。花開き始める桜に沈丁花の香り。

 そんな中、彼女は真逆の存在のようで、とても異質。

「引き取っちゃった」

 何事かと事態を欠片もつかめていない僕に、母はお気楽に言うのだった。

「はっ? え、ちょっと待って。この子を引き取る? お客さんじゃなくて」

「お客さんじゃなくて」

「いつまで?」

「この子が満足するまで」

「そもそもどこの子なのさ」

「遠い遠い異国の子」

 僕は突然の出来事に、母の自由さに、膝から崩れ落ちそうになるのをあと一歩というところで堪える。

 突然の無茶苦茶。いや、母らしいと言えば母らしいのかもしれない。

 それでも、僕に相談の一つもなかったのか。

「……父さんには伝えているんだよな」

「伝えたよ。今朝に」

「今朝っ?」

 今度こそ僕はその場に崩れ落ちた。

「ええ。家族が増えるって喜んでいたわ」

 このお気楽夫婦め。

 僕はどうとでもなれと諦めを覚えつつ、受け止めざるを得ない現実に向き合うことにした。

 下駄をはき、庭に降りる。

 不思議な女の子の前で、彼女の目線に合うようにしゃがみこんでから、型に手を置く。

 手の平から伝わるのは彼女が見た目以上に華奢で痩せているということ。それも病的なまでに。この容姿といい、訳ありなのだろう。

 動揺を悟られまいと、僕はにこりと微笑んだ。

「初めまして。突然のことで驚いたけど、それは君も同じかな。そうだね、まずはお風呂に入りなさい。汚れを落として、ちゃんとした服を着て、その後に一緒にご飯を食べよう。ちょうどお昼時だ」

 言葉が通じるかわからなかったが、少なくともだいたいのニュアンスは理解してくれたようで、彼女は無表情のままこくりと頷いた。

「さてと」

 僕は立ち上がった。

 春の麗らかな昼時、僕と彼女の初めての出会いだった。


 彼女は夜まで、昼ごはんや夕飯を食べる時でさえも一言も口を開くことはなかった。

 身なりはすっかり良くなったが、新しい環境に慣れていないということもあるのだろうか、食事などの用事を除いて、ずっと部屋の隅で膝を抱えている。

 母に彼女のことを尋ねても「まーまー。人には人の事情があるのよ」とはぐらかされてそれで終わり。

 感情というものを表に出さず、暗くした部屋の隅で丸くなっているその姿を見かねて、僕は声をかけたのだった。

「ちょっといいかい」

 緩慢な動作でこちらを見上げる。

「こっちにおいで。少し冷えるだろうからこの羽織を着るといい」

 彼女の手を半ば強引にとり、僕は沈丁花香る夜の縁側へと連れて行った。

 赤い羽織を纏った彼女にここで待つよう伝え、台所へと向かう。

 お盆に二人分の湯飲みとおてしょうを用意し、急須に番茶を注ぐ。そして、僕の好物でもある白い餅と一緒に縁側へと戻った。

「お待たせ」

 どうぞ。と、ちょこんと座っている彼女にお茶と餅を差し出す。

「食べな。美味しいから」

 おそらく彼女にとって初めて見る食べ物なのだろう。かなり警戒しながら慎重にもちもちの白い塊に手を伸ばす。

 小さな手が餅の生地に触れた瞬間、ぱっと弾けるように手を離した。

「ははは。大丈夫、そういう食べ物さ。危ないモノじゃあない」

 恐る恐る再挑戦し、どうにか掴むことに成功。

 そのままゆっくりと口に運び、少しかじった。

「っ!」

 彼女は目を見開き、まじまじと餅を観察する。

 初めて、彼女が感情らしい感情を見せた瞬間だった。

 その後は余程口に合ったのか、あっという間に平らげてしまい、あげくには僕の手元をじぃ……っと見つめるものだから僕のぶんも彼女にあげることにした。

 彼女の瞳が「いいの?」と訴えるが、返事を待たずにかじりついていた。

 なんだ。ちゃんと子供らしいじゃないか。

 僕は番茶を啜り、春の夜空を見上げる。

 田舎には照明などほとんどない。故に、星が良く見える。

 彼女もつられるように星という照明が輝く空を見上げていた。


 カタン……コトン……カタン……。

 

 おそらく、今日最後の電車が走り去って行った。

「僕の言葉が、わかるかな」

 こくりと頷く。

「君は、電車に乗って来たのかい?」

 またこくりと頷く。

「そうか……」

 それ以上、彼女について詮索するのは止めた。

 それは、彼女の知られたくない場所に土足で上がり込むような気がしたから。

 彼女には彼女の理由がある。それでいいさ。

「さてと、少し冷えてきたね。中に戻ろうか」

 立ち上がろうとした時だった。

 腕に、微かな抵抗感。

 見ると、彼女が僕の袖を弱く掴んでいた。

「ねー」

 初めて、顔所の声を聞く。

「私は、この場所にいてもいいのですか」

 うつむいたままそう呟く彼女は、それはそれはとても申し訳なさそうで、彼女自身もどうしたらいいかわからないようで。

「私は、この場所で生活してもいいのですか」

 訴えているようで。

「生きていても、いいのですか」

 否定してほしいようで。

「そんな価値が、私にあるのですか」

 きっと、自分を許せないのだろう。

 僕はそう解釈した。

「……そうさなあ」

 どんな言葉を返すのが正解なのだろう。

「春は、出会いと別れの季節らしい」

 たぶん、正解はない。

「僕は君と会えたことは素直にうれしいよ。両親も喜んでいるみたいだ。それでは、ダメかな」

 彼女はぐっと何かを我慢したかと思うと、涙が頬を伝った。

 宝石のような瞳から次々に溢れる涙を、僕は拭うことしかできない。

 春の夜は少し冷たくて、優しい香りが漂っていた。


「ねー」

 僕の意識は現実に引き戻される。

「まだ眠いの?」

 彼女は、固まったままの僕を覗き込んでいた。

 そこにはいつかの、あの宝石のような瞳がある。

 春。彼女との出会いを思い出す。

「いや、春だなあと思って」

「どういう意味?」

「そのまんま」

 僕は餅を手に取り、彼女に差し出す。

「食べる?」

 彼女は一瞬だけ欲しそうな顔をしたが、すぐにそっぽを向きお茶を啜った。

「いい。私だって我慢できるわ」

 それはそれは。

「前なら喜んで食べていたのに」

「いつまでも昔の私じゃないの。もう立派なレディなんだから」

 そう言われて、僕は改めて気が付いた。

 彼女は背も伸びたし、身体つきもどことなく女性らしくなった。あどけなさが無くなったわけじゃないけど、少なくとも初めて出会った頃の彼女じゃない。

 ……そうか。成長するんだなあ。

 昔の彼女ともお別れ。

 季節は春なのだ。

 出会いと別れの季節。


 今年の春も、縁側は沈丁花の香りに包まれていた。


最後まで目を通していただき、ありがとうございます!


少し遅れましたが、春なのでちょっとは春らしいお話をと。

読んで、ほっこりしてくれたら幸いでございます。

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