第三話
「おい藤木、昨日頼んだ見積もり書できてるか?」
郷田さんに声をかけられ、博はパソコンから手を離し、すばやく引き出しを開けた。
「お願いします。上がビニール製、下が合皮仕様です。不明な点があればなんなりと」
快活な声で応える。
「お、おう、了解」
何か拍子抜けしたような顔を残して、郷田さんがデスクに戻った。
それを見ていた中田さんがエビス顔をのぞかせる。
「藤木君、なんかよいことあった?」
博は右手首を押さえて
「いや、まあちょっと」
と照れくさそうに返事をした。
向かいのデスクの石川早苗さんも、あら、という顔をしている。
博の肩は軽かった。
今日はフランクフルトを買っていこう。
たぶんジイの一番の好物だ。
鼻歌混じりで向かう途中、昨日の夜に思いついたある計画のことを考えた。
ジイの新しい飼い主を探せないかということだ。
老犬ということでハードルは高いかもしれないが、ジイには愛嬌がある。
見た目も白い毛でさわやかだ。
犬好きの人なら気にいってくれるのではないだろうか。
休みを返上して近所を当てってみよう。
こんあ前向きな計画を思いついた自分に博は驚いた。
これもジイのおかげだ。
これってなんか大切な友達みたいだな。
早くその新しい友人の顔がみたくて、歩む速度は上がった。
川沿いの道に入った途端に、雲が黒味を帯び始めた。
「ありゃ、こりゃまずいな。一雨来そうだ」
駆け足で高架下へ向かう博は、すぐに異変に気づいた。
ジイがいない。
周りを見渡した視界の隅に、それをとらえてしまった。
川の水際ギリギリのところに、横たわるそれ。
「おい、ジイ」
駆け寄り、ひざまずき、それを揺らす。
「ジイ、どうしたんだジイ」
「それ」になってしまったジイは、何の反応も示さず、ゆさゆさと揺れているだけだ。
川の水面に空から落下したしずくたちが次々と波紋を作っていく。
雨足は残酷に厳しくなっていった。
博は酔っていた。
飲めない酒を何杯も頼み、胃袋に流し込む。
店内の喧騒がわずらわしかった。
よれよれになって店を出る。
胃袋から酸っぱいものがせり上がり、たまらず路地裏に入った。
「おえ~」
せっかくの栄養もすべて吐き出される。
たまらず地に這いつくばった。
博の気分は最悪だった。
やけになっていた。
打ちのめされたその日が運命の日だった。