001
1話しかできていないけど、思い切って投下。
それは突然だった。
酷い頭痛と共に感じる立ちくらみ。
吐き気はするが幸いにも思考ができない程ではない。
周囲の景色が歪曲するような錯覚を覚え、私はオンライン接続の何某かにエラーが発生した可能性を危惧した。
随分前に起きた集団昏倒事件を思い出す。
あれは確かハードの不具合が原因で起きた事件だったはず。
事件後安全基準が問題となり、全てのVRMMORPG用ハードに再点検が義務づけられ一斉リコールが起きた。
無論私もリコールに応じて点検に出したが、1週間後返還された際には問題なしとの結果だったのを覚えている。
「はっ…はっ…はっ…」
息を整える。
鼻からしっかり息を吸い、口からゆっくりと吐く。それを3遍繰り返す。
眼を軽く開く。目線は下に。そこから少しずつ上へあげる。
途中、老執事のウォルターがこちらを心配そうに見つめているのが見えた。
どうやらオンライン接続は切れていないらしい。彼はVRMMORPG『ワンダーランド』における私専用のNPCキャラクターだ。彼がここにいる以上、ここは仮想空間のままだと知る。
目線を天井まで届かせると再び目を閉じる。
ゆっくりと呼吸する。
ここでの私は『アレクサンドリナ=ヴィクター』。例え仮想世界における1人ロールプレイに過ぎないにしても無様な真似を見せたくはない。10年以上も続けていると変な矜持が出るものだ。
「閣下、今医者を呼んでおります。それまでの間――」
「よい。大丈夫だ。…医者も呼ぶ必要はない。」
「……宜しいのですか?」
机に手を置いた状態で中腰で立ち上がったままでいたので、椅子に腰を下ろす。
ウォルターの確認に返事をしたいが、それすら億劫さを感じる。
済まんが行間を読んでくれ、ウォルター。
「かしこまりました。では呼びに行った者に診察中止を伝えて参ります。」
パーフェクトだ、ウォルター。残念なのはこのセリフを直接口にできなかったことか。
ウォルターが部屋を出てから部屋を見回す。
頭痛の前と風景は変わらない。
寧ろより鮮明に見えるくらいだ。身体に不調はないのだろう。
給仕の者が宜しければとお茶を注ぐ。ハーブティーの良い香りがする。
非現実で飲んでも意味ないだろうって?いいんだよ、気持ちだよ。気持ち。
頂きましょうと応え、口にする。
鼻先に届くのはアゼル王国ディエール地方産特有の柔らかみを帯びた香ばしい匂い。
現実世界ではアールグレイやらダージリンやら、飲んでもちっともその差分を理解できなかったが、ここでは違う。
高めのDEX値による補正によって味ばかりか僅かな匂いも嗅ぎ分けられる『アレクサンドリナ=ヴィクター』であれば現実世界ではできなかったような優雅な対応が可能になるのだ。
……とは言いつつもINT値を特化させても頭脳明晰となる訳ではないのが残念なところなのだが。
(あれ…?)
味の感じ方がいつもと違う。
いや、それ以前に匂いも、だ。
ディエール茶特有の匂いや味わいであることに違いは無いが、今日飲む味は普段よりも遥かに鮮明に感じられるのだ。
「……ベス、茶の葉の銘柄は変えていないわよね?」
「申し訳ございません、味に変わりがありましたでしょうか?以前と変わらずゴルドメイル社A4品質のものを使用しているのですが…」
給仕をした少女の顔が青ざめる。
慌てて回答したのは給仕長のエリザベスだ。
どうやら私が、味が不味いと注意したものと誤解したらしい。
…ふむ、反応が以前よりも人間らしくなっている。これが今回のアップデートの成果だろうか。実に素晴らしい。
「いいえ、味に問題はないわ。とても良い風味になっています。」
先ほどまで顔を青くしていたのが嘘かのように、少女の頬に赤みが増す。
この世の絶望を詰め込んだような悲壮な顔は、ぱぁっと笑顔に変わった。
なにこの娘。滅茶苦茶可愛い。
「ただ、先ほどから少し感覚が鋭敏になってしまったみたいで、それで普段よりも味が鮮明に感じられたようね。驚かしてしまって済まないわね。」
軽い謝罪に対して今度は慌ててとんでもないですと高速で首を横に振る少女。
やはり小動物的で可愛らしい。
ふと少女の名前が気になり、ステータス確認をする。
名前:アンネ=カルソック
年齢:14歳
性別:女
種族:ヒューム
職業(メイン):魔導士Lv.12
職業(サブ1):ノーブルLv.2
職業(サブ2):メイドLv.15
STR: 7
VIT: 6
DEX: 17
AGI: 9
INT: 11
LUC: 10
・・・・・あれ?
再度ステータスを確認する。
やはり変化がない。
(おかしい。幾らなんでも能力値が低すぎる。)
『ワンダーランド』におけるステータスは初期値でも二桁以上が基本である。
昨日までのバージョンにおけるレベル最大値は80。今回のバージョンアップで90まで上がったが、そこまで上げずとも、メインとサブ2職を合わせて30もレベル上げすれば一つぐらい能力値が100を超える。私の場合一応魔術師系最上級職の一つであるところのソーサラーのLv70までは育てているのでINTに至っては5桁大盤一歩手前までに至っている。
それに比べるとこのステータスはいくらなんでも低すぎる。
STR:7とか、よくお茶ポットを持てたものだ。
加えてメイン職業の『魔術士』である。
『ワンダーランド』では様々な職業が用意されており、本ゲームの舞台がファンタジー世界である為、魔術士職も用意されている。
例えば基本的な例として、初期職である一次職メイジ、その上位職である二次職ウィザード(女性キャラならウィッチ)、最上級職である三次職ワイズマンといった具合で転職によってやり込み要素が上げられるようになっている。
ところで、この転職システム、実はサービス開始時点では構想どまりであり、実装はそれから6年経過してからだった。それでも利用者離れしなかったのは『ワンダーランド』が、当時まだ夢の技術であったVRMMORPG初のオンラインサービスであり、その規模たるや世界70か国以上、最大同期可能人数100万人という史上類を見ない規模の大スぺクタクルだったことが大きいだろう。
当時VRシステム自体のサービス利用権は抽選式で、それも倍率は3桁だった。第一次から二週間遅れの第二次抽選当選だったとはいえ、今ではよくぞ籤運の悪い私が当てられたものだと思う。15年経つ現在はさらに対象国と規模を拡大しているらしく、国や地域によっては今でも抽選式のところもあるというから、その人気ぶりは鰻登りである。
VRゲーム。その魅力は何といってもそのリアリティにある。
現に『ワンダーランド』においては十数年間分の気候変動のデータ値を元にシミュレートされたという自然風景というだけでも壮大なのに、それ以外にもまるで人間と話しているかのように滑らかに話し、対応するNPCキャラクター。圧倒的なスケールで襲い掛かる数多の種類のモンスター達などの魅力に溢れている。
圧倒的な規模のバーチャル世界の構築の結果、アイテム売買に始まり、鍛冶、錬金、情報屋などといった各商売やそれらの投機が行われ、現実世界さながらの経済システムが構成されるに至った。一つのVRゲーム内で年間何十億を超える現実のマネーが動くようになったとき、一種の社会現象として大々的にニュースに取り上げられたのを覚えている。
流石に5年経つ頃には他のタイトルも発表され、『ワンダーランド』自体は数あるVRゲームの中の大手にまで地位を落としたがそれでも巨大な看板であることに変わりはなかった。
別に『ワンダーランド』制作会社がシステム開発をさぼっていたという訳ではない。寧ろ今に至るまでに次々と新作ストーリーやサブコンテンツを追加していっていたのだが、なにぶん現実感がありつつもファンタジー感のあるバーチャル世界を楽しみたいという人の多いVRMMORPGにおいて、時間の取れる人と取れない人との間で、なるべくレベルによる格差を作りたくないという製作者側の意思が最後まであったことが大きい。実際タイトルによってはその意思を今もなお貫いているものある。(廃れるか否かは別にして)
それも段々廃人と呼ばれる人たちを中心としたレベル上限値上げの要望に応え、これを99まで上げた段階で、開発側でレベル上限を3桁まで上げるか、上級職を用意するかで議論になったらしい。
議論の結果上級職を用意することになると毎年、サービスの開始月である12月と6月の大型アップデートのタイミングで10ずつ上限値を上げるというのが恒例行事となっている。
ちなみに転職をするとこれまでに上げたステータス上昇分は初期値に戻る。上級職は上級職で新たにレベル上げをしてステータスを上げるしかない。
そんな極端な弱体化をしてでもプレイヤーがこぞって転職をしようと試みるのは高次職になると習得できる便利なスキルや高威力の奥義・魔術、あるいはジョブスキルの習得にあるのだが、こうした少しでもVR内の格差を減らそうというゲーム全体の調整に開発側の努力を感じられる。
さて、話を元に戻そう。
何故メイン職業の『魔術士』に引っかかったといえば、そんな職業は存在しないからである。かつて初期の段階で魔術師系職業がメイジしか存在しなかった時代でもステータス表示は『メイジ』であり、『魔術師』ではない。それ以降も同様である。
ステータス表示の方法が変わったのだろうか?
一次職、二次職、三次職の分け方は?
どうにもこれまでのアップデートとは様子が違う。
一方でサブの『ノーブル』と『メイド』は以前からサブジョブとして存在する。
サブジョブとは『ワンダーランド』においては非戦闘系サブジョブのみを差しており、戦闘系サブジョブの場合とは分けて考えられている。特定のクエストをクリアすることで習得できるジョブであり、大体のプレイヤーは色々とサブジョブをつまみ食いしながら、クエスト資格の要求値などの必要に応じてサブにセットする。
しかしサブにはメイン以外の戦闘系サブジョブを当ててプレイをする人が圧倒的多数である。理由は簡単で、戦闘系サブジョブの場合、ステータス補正に加えてメイン職以外の戦闘スキルを使用できるという大きなメリットがあるからだ。サブジョブの場合、ステータス補正も弱く、戦闘スキルとなるとパッとしない物が多い。
そういうわけで大半の人が2職に戦闘職、1職にサブ職を当てる。レベル上位勢は3職全部戦闘職という人が多数である。
とはいえ、サブジョブが全くの不人気という訳ではない。
意外と探索や戦闘に仕えるサブジョブもあるし、そもそも生産系は全てサブジョブである。サブジョブの魅力に囚われ、一日中サブジョブのレベル上げに打ち込む廃人がいるとかいないとか。
ふと彼女の『ノーブル』がLv.2だった事を思い出す。
私自身もサブジョブに『ノーブル』を愛用する高レベルプレイヤーである。
彼女と自分のステータスを比較しよう。もしかしたら全体的にステータス計算が一新された可能性がある。あるいは開発側で投入する計算式を間違えたとか。
ステータス―――そう心の中で唱えた。
名前:アレクサンドリナ=ヴィクター
年齢:800歳
性別:女
種族:ヒューム(?)
職業(メイン):魔術師Lv.55
職業(サブ1):ノーブルLv.775
職業(サブ2):将帥Lv.80
STR: 9
VIT: 20
DEX:252
AGI: 38
INT:559
LUC:107
(……は?ノーブル……775…?)
思考が停止した。
1話終わって、まだ主人公、異世界転移したことに気付いていません。(あちゃー
今後数話の間は説明が多いかもしれません。
※計算ミスを発見。主人公の年齢を5才年上に変更します。
795才⇒800才