ごめんなさい、お兄様
朝、俺は、ミトラさんに会って話をするため、司教館に赴いた。
正式な入門はまだだったから、外出は自由にできるのは幸いだった。
いきなり約束もなく訪れて、会わせてくれるかどうか心配したが、あっけないくらい、あっさりと私室に通される。
ミトラさんが、いくらきさくなひとだとしても、やっぱり特別扱いしてくれているんだろうな。
そう考えると、これから口にすることに躊躇を覚えずにいられない。
怒って、引き止められるだろうな。まさか、監禁されたりはしないよな。
あの人、切れたら怖そうだもんな。
「どうしたんだね、弟よ。もしかして、新しい服が待ちきれなかったのかな?今日、渡そうと思っていたんだよ」
私室のミトラさんは、いつもの赤いローブでなくて、白いシャツを着ていた。
光沢があって、いかにも高価そうだ。
「その、お、お兄様に、話したいことがありまして」
「なんだい、なんでも話してごらん」
ミトラさんの笑顔が、怖く見える。
これが、俺の言葉でどうゆがむんだろうか。
それでも、一度息を大きく吸ってから、
「俺、やっぱり教会入るのやめようと思うんです、恩知らずなことを言ってるのはわかります、お、お兄様は、いろいろとよくしてくれましたし、いきなりこんなこと言って、その、怒りますよね……」
一息に、そういって、ミトラさんの顔色をうかがう。
なんだか、内心がうかがい知れない表情をしている。怒っているのか、呆れているのか。
ミトラさんは、あくまで穏やかな口調で、
「どうしてかな」
そう聞いてきた。
「あの、子供たちについていこうと思いまして」
「それは、彼らが心配だからかね。私には、君のほうこそ、心配される側に思えるんだが」
「違います。あいつらが好きだから、一緒に行こうと思うんです。心配だからとか、頼りにされたいからじゃなくて、好きだからなんです」
好きだ好きだと、口にするのは正直恥ずかしい気持ちもあるが、ここはできるだけ、飾り気ない本心で語ろうと思った。
ミトラさんは、腕を組み、自分の顎を一つ撫でて、
「もう少しいれば、君もきっと教会が好きになると思うんだが」
「そうかもしれません。でも、最初にあったのがあいつらなので。生まれたての鳥みたいなもんです。記憶がないから、最初に出会ってしまったあいつらの側にいないと、落ち着かないんです」
「うん、私も昔鳥を飼っていたからわかるよ。産まれて最初に見た私を、親だと思ってよくなついたよ」
ミトラさんは、懐かしそうな目をしながらいった。
「その鳥、どうなりました」
「巣立ってしまったよ」
ミトラさんは、そういって、俺の右手を両手で挟んで、穏やかな笑みをまた浮かべて、
「そうか、よくわかった。君の好きなようにしなさい」
あまりに、あっさりそういわれて、拍子抜けがする。
「いいんですか?行ってしまっても?俺、ミトラさんの計画に必要だったんじゃ」
「もちろん、残念ではある。そりゃあ、私の計画のために必要な人材だったということもあるし、私自身、君のことを気に入ってもいたからね。不思議と、君には惹かれるものがあった。お兄様と呼ばれてうれしかったよ」
決して、変な意味ではないですよね、ミトラさん。
「でも、まあ、いいんだ。君が決めたなら、いいんだ。それは、神様のお決めになったことでもある。それに、君が本当に神に遣わされたドラグニクの救い手だというなら、教会にいなくても、その通りになるだろう、きっとね」
ミトラさんは、そういって、ウインクした。こういう仕草は、こちらにもあるんだなと、ぼんやり考える。
そして、こういうことになった以上、昨日もらった舌のネックレスは返さなくてはならないだろうと思い出して、首から外そうとすると、
「いや、それは返さなくていい。君がよければつけていたまえ。おそらく、君を見る人間たちの目が、かわるはずだ。教会への尊敬が、残っていればね」
「いや、でも、俺自身にそういう気持ちがないのに、構わないんですか?」
「いいんだよ、そんなものはただの飾りにすぎないし、私が君を教会にとっての重要人物だと考えていることに、変わりはないんだから」
ミトラさんはさらに、人を呼んで、何かを取り寄せた。
教会の人間が来ていた、白いローブだった。
「ついでだ、これもあげよう。こいつを着て、銀の舌を首から下げていれば、どう見ても修行僧だ。ドラグニクの修行僧というのは珍しいかもしれないが、決しておろそかにはされないと思うよ」
結局教会を出ていく俺に、どうしてここまでしてくれるのか。
不思議で仕方がなかった。
「不思議そうな顔をしているね。何か、私に魂胆があるんじゃないかと思っているんだろう?」
「いえ、そんな。でも、不思議は不思議です」
「きっと、神のおぼしめしだろう。言い換えれば、私の気まぐれともいうね」
聖職者としては問題あるだろうが、人間としては、とても器の大きなことを言う。
「それに、魂胆がないわけじゃない。きっと、君は私のこの厚意をずっと忘れないだろうからね。いつか、別の形で返してくれるんだろう?」
ここまでしてくれたミトラさんに、悪戯した子供が浮かべるような笑みで、そういわれたら。
「もちろん、いつか必ず、お兄様」
そう返す他ないな、確かに。
しかし、なんだろう。
この世界にきて、トカゲ野郎になって、とんでもない不幸に巻き込まれたかと思っていたが、その分、出会う人間には恵まれすぎているほど恵まれている。
悪人かと思っていた摂政も、どうやらそうではないようだし、この世界にはお人よしばかりがいるのだろうか。
そんな馬鹿なという気持ちもあり、そんな世界があってもいいじゃないかという思いもある。
まあ、ともかく、早くあいつらのところに帰ろう。
それで、一緒に旅をさせてくれと頼んで、ラップにからかわれよう。そうしよう。
俺は、さっそくミトラさんにもらったローブを着て、司教館を出た。
これで、裸のトカゲ野郎が、ローブをまとったトカゲ野郎になった。
なかなか似合っていると思うが、あいつらはどう思うだろう。
図らずもお揃いになったリリは、喜んでくれるだろうか。
そういえば、リリには、フリシアという厄介なやつがついていたな。
忘れていた。
あいつは、絶対に嫌な顔をするだろう。
でも、話が分からない相手じゃない。
なんとか説得して、分かってもらうしかない。
司教館からまっすぐ例の宿に向かって行き、しばらく歩いて、やっと目当てが見えてくる。
軒先にぶら下がっていた看板が、取り外されている。
おや、と思いながら、扉を開けて中に入っても、受付に誰もいない。
階段を上がって、ラップたちが止まっていた部屋をノックするが、返事がない。
開けてみるが、誰もいない。
この宿は、無人だ。
大声で呼びかけても、静寂が帰ってくるだけだ。
「どういうことだ、これ」
俺は話を聞こうと、宿の向いの食堂に入った。
「おや、あんたか。見違えたね」
何度かここで食事して、それなりになじみになっている食堂の親父だ。
俺がドラグニクだからって、店を追い出したりしない、いい人だ。
俺がしゃべるのにも、慣れっこになっている。
「すまん、親父さん、聞きたいことがあるんだ。向かいの俺の泊まってた宿、どうなってる?」
「うん?」
食堂の親父さんが、店から出てきて宿の様子を見てくれる。
「ありゃ、いないねえ。看板も外してるし、店、閉めちまったのかな」
「え?」
「一か月くらい前に、ひょっこり来て開業していったからなあ。建物も借家だし、家賃払えないと思って、逃げちまったかなあ。そういえば、おちびちゃんたちの姿も今朝はみないなあ、どこかへ移ったんじゃないかね」
いやいや、いやいやいや。
昨日の今日だぜ?そんなこと、あるか?
俺は、唖然とした。




