2009年2月14日
外の風は冷たかった。
が、世間の乙女は、そんなことものともせず異様に盛り上がりを見せるこの日。
2月14日。
果たして、どれだけの乙女が、このバレンタインという日の真実を知っているのだろうか。
知っていようがいまいが、例外なく我が社内も、朝っぱらから黄色い声が飛びかっていた。
「大宮さーん、これ!」
「ああ、嬉しいな。ありがとう松山さん」
「あ、あたしもー!」
「ありがとう平田さん。今度また、二人で……」
「やあだあ大宮さんってば!しーっ、しーっ!」
モテるな、使えない派遣の大宮くん。
どうでもいいが、先ほどからその彼が痛いほど催促らしき視線を送ってくるのは気の所為だろうか。
よし、気の所為にしよう。
気の所為にしたい、が。
「……あんたは何なの」
何はともあれ、大宮くんはもうあたしの傘下の人間ではないので、どうでもよろしい。
どうでもよろしいが、あたしの傘下の人間が、今まさに、隣のデスクにいる。
目をきらきらさせながら。
そう、千尋は何故か、きらきらわくわくな目で、あたしをずっと見詰めていた。
何なんだ。
「バレンタインて、チョコレート贈る日なんですよね?」
「贈る日?」
あんたが?
微妙に違うような。
いや、最近は逆チョコなるものが流行ってるらしいから、違うわけじゃないのか?
今までの千尋の勘違いを考慮したなら、あながち間違いではないんだけれど。
「で、何なの」
「用意しました!」
……やっぱりしたのか。
イベント好きサンタクロース、ある意味、俗世に塗れているがいいんだろうか。
テレビでも観て情報入手したのだろう。
面倒なことに、千尋がデスク下から取り出したのは、見まごうことなき、ホールサイズのケーキだった。
その様を遠目に見守っていた女子社員達が、ひそひそから黄色い声に発展しつつ、盛り上がりを見せる。
「ちょっと、三多くんがついに打って出たわよ!」
「ええっ、まさかの逆チョコホールケーキ!」
「しかも手作りよ!」
「きゃ──っ、アグレッシブ!」
「ほう……」
……ちょっとその盛り上がりの意味はわかりかねるが、楽しそうで何よりだ。
……何より、なのだろうか。
しかしだ。
「……これ、放送しちゃって大丈夫なの?」
「放送?」
「いや……まあ、いいんだけどさ……」
何だろうか。
上手く言葉に出来ないあたしは、大人として、まだまだなのかもしれない。
『追悼、バレンタイン卿』
チョコレートプレートには、場違いなほど可愛らしく、そう書かれていた。
間違ってはいない。
間違ってはいないかもしれないが、間違いなく、空気は読めていない。
「日本ではこんな賑やかに彼を悼んでくれているんですね!」
「……そうだね」
悼むと言っていいのか、はたして何がこのイベントの正解なのか。
愛のキューピットに至っては、愛の“あ”の字も聞かないが、どこに行ってしまったのか。
アグレッシブの“ア”なら、さっき耳にした気がするんだけど……。
それさえもわからないままに、千尋と一緒に、チョコレートのホールケーキを食べながら仕事をした。
2月14日、バレンタインデー。
サンタクロースの常識のなさに、はたまた、オリジナリティ溢れる解釈の仕方に、本気で度肝を抜かれたのだった。
「バレンタイン卿ってチョコレート好きだったんですね!」
「たぶん違うと思うけど」
「え?だって、今日までにものすごい数のチョコレート見掛けましたよ」
「まあ……嫌いではないんじゃないの」
バレンタイン卿の好みは知らないけれど。
数日後、同僚の女の子からバレンタインの真実を聞いて衝撃を受けたらしいサンタクロースだったが、どこをどう折り合いを付けたのか何なのか「バレンタイン卿とは別に、素敵な日だったんですね!」と嬉しそうにあたしに向かって笑った。
end?