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竜は眠る  作者: 温泉郷
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運命の赤子

 肥沃な大地と豊かな水源を持つ国、ロウ皇国。その国の領地の端に、古い神を信仰する純朴な、ウル族と呼ばれる一族が住んでいる村がある。彼らは竜を神として信仰しており、優れた能力を持ちながら、温厚な性格の持ち主でもあり、権力とは無縁の素朴な生活を送っていた。しかし、ロウ皇国の五代目の帝はこれを良しとせず、彼らの未知なる力を恐れ、謀反の疑いをかけて兵を送った。その数は、村人百五十人程に対し、二千人以上。そのなかに、その隊の全権を任された隊長ジュウザの姿はあった。

「一人たりとも逃がさずに殺せ!」

 ジュウザは声高々に叫ぶ。響くは人々の叫び、舞い散るは深紅の鮮血。そこで行われているのは文字通り殺戮だった。殺すということ以外の行為はそこにはない。村の男たちは必死に戦ったが、さすがに多勢に無勢で、圧倒的な数の前には無力だった。ある者は刃に斬られ、ある者は矢で体中を貫かれて絶命していく。敵への恨みの言葉を、せめてもの慰めとしながら。

 昔ながらの作りの家は次々に燃やされていき、その炎は畑にも燃え移る。家屋は崩れ、異臭を放つ焦げた死体が大地に覆いかぶさっていく。

 ジュウザたちが攻撃を始めてからたった半キ(約三十分)の間にほぼすべてのウル族は死に絶えた。

 しかしたった三人だけ、村の最も奥にある家の中でまだその胸に命を灯している者たちがいる。その村の村長と、その娘親子だった。

「ここもすぐに敵の手が及ぶぞ……! シノ、裏から早く逃げなさい……! さあ早く!」

 年老いた村長、グサが娘と孫に向かってそういった瞬間、入り口の戸が荒々しく蹴破られた。そこからぬっと大きな体をいれてくるのはジュウザだ。短く刈り込まれた黒髪と浅黒い肌に返り血を浴び、感情を宿さぬ瞳でじろりと村長を睨みつけた。

「貴様たちには帝への謀反の疑いがかけられている。おとなしくその命を差し出せ」

 ジュウザが刀をまっすぐに構える。

「シノ、さあはやくいきなさい!」

 裏口から娘を外に押し出すと、グサはその扉の前にどかっと胡座をかいて座り込んだ。ジュウザを見つめるその眼には、砂粒程の恐怖も映ってはいない。

「帝の言うままに、ワシらを罪人と決めつけて殺すか……。まさしく人形じゃの……」

 グサは皮肉っぽく口元をゆがめた。ジュウザがグサの前に立ちはだかり、彼を見下ろしたまま剣を高く構える。

「武人の方、あなたは人を殺す時に何を考えているのだ? 何のためにその刃を振るうのか、考えたことがあるのか……?」

 今まさに刃を振り下ろそうとしていたジュウザの動きが、時間が止まったかのようにぴたっと静止した。

「ワシらを殺し、次の、そしてそのまた次の世代も殺し、そしてそのあとに何が残るのだ。あなたは国を滅ぼしたいのか……?」

 ジュウザの眼がカッと開かれた。殺していた感情が激しく揺れ動く。

「黙れえ!」

 ジュウザは渾身の力を刃に込め、一撃でグサの首を切り落とした。グサの首からはドクドクと血が溢れ出し、木製の床に波のように染み渡っていく。絶命しても彼の胡座は解かれることはなかった。

 ジュウザは息を切らしていた。心臓が耳障りなほど鳴り響いているのを感じる。なぜか目の前の男の言葉がひどく耳に障った。

——何のために刃を振るうのか——

「ジュウザ様、すべての村人を殺し終えました……!」

 そこへ兵士が一人入ってきた。彼の衣服はジュウザとは違い、ほとんど血は付いてないが、煙のせいかひどく薄汚れた色になっている。

「ご苦労。今目の前で子連れの女が逃げた。わたしはそれを追う。お前たちは後始末を頼む。この村のすべての人間と家を焼き払え……」

 ジュウザはそういうと、付いてこようとする兵士を眼で制止し、目の前にあったグサの死体を避け、裏口の戸をくぐった。

 すぐ目の前には森が広がっていた。どうやら、土に残された足跡からみてあの親子は森の中へ入っていったようである。追跡はジュウザにとって得意分野だった。ついさっきついたものとみられる足跡を泥の上で見つけると、ジュウザはゆっくりと頭を起こし、刀を鞘に納めると駆け出した。

 森に一歩足を踏み入れると、とたんに深い緑と土の匂いが鼻の奥をつんと刺激する。ジュウザにとっては久しぶりに嗅いだ自然の匂いだった。無意識に笑顔になりかけていた気持ちをきゅっと引き締める。針先ほどの情けも持ってはいけない。殲滅せよ、それが帝から直々に出された命令だった。

 足跡を追って走っているうちに、ジュウザは前方に人影を捉えた。すぐさま脚の回転も速くなり、ぐんぐんとその距離を詰めて行く。女性の息切れの音、ジュウザの足音、それだけが森のなかを支配していた。そして、森を抜けた場所にある湖の(ほとり)で、ついに女は脚をもつれさせて転倒した。その女は倒れたまま振り返り、強い意志を瞳に宿しながら、じりじりとにじり寄ってくるジュウザを睨みつけている。彼女の腕の中には、綺麗な顔をした赤ん坊が、目の前で起こっていることを露とも知らぬ様子ですやすやと眠り続けている。

「すまんが、女子供だろうが誰も見逃すわけにはいかん。ここで死んでもらう……」

 ジュウザは刀を振り上げ、そのまま動きを止めた。その瞬間、黒い瞳が風になびく炎のように揺れる。さきほどまでは死んでいるかのように静かだった赤ん坊が、嵐のように泣き出したのだ。

「お待ちください!」

 雷鳴のごとくシノが叫ぶ。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるが、まだジュウザに屈してはいない。確固たる自分がある目だった。

「武人の方、あなた様に出された命令、このわたしにも充分に理解することができます。わたしの命はここで尽きる、それは変わりません……。あまんじて受け入れましょう。しかし、もしあなたにまだ少しでも人の心が残っているならば、この子だけは助けてもらえないでしょうか……! 先ほどあなたの動きが止まったとき、わたしはあなたの瞳に奥に深い優しさが垣間見えました……! どうか、お願いします……!」

 シノは大泣きする赤ん坊を抱えながら深々と頭を下げた。それはジュウザの答えを聞くまで動かなかった。

 ジュウザは、自分に子がおらぬことを、数年間ずっと胸の内に秘めていた。妻があっても子がおらぬ、種無し、無能、と義理の親に陰口をたたかれていたことも耳に入っていた。それらが、ジュウザの動きをすんでのところで止めさせたのだ。

 ジュウザは長い間黙っていた。目の前で頭を下げ続ける女を冷たい目で見下ろしながら。一度刀を鞘に納める。赤ん坊の泣き声が耳の中で反響し、それは頭の中まで響いてくる。目の前の赤ん坊は、なぜ泣いているのだろうか、それを考えると、なぜかのどが詰まりそうになる。そして自分の命を差し出し、我が子の命を助けようとする母の姿は、静かな水面のようなジュウザの心に巨大な岩を投げ込んだ。

「もし……」

 シノの目線がジュウザの顔をとらえる。嵐が通り過ぎたように、赤ん坊がぴたりと泣き止んだ。

「もし道中でそいつが泣けば、すぐさま殺す。それでもいいのなら、その子供、わたしが預かろう……」

 その瞬間、シノの顔は涙でくしゃくしゃとなり、その笑顔は太陽のように光り輝いた。ジュウザに向かって何度も頭を下げ、お礼を言い続ける。

「しかし、お前を逃がすことはできん……。すまんが……」

「承知しております。しかし、この子の親となるべきあなたを、わたしの血で汚させるわけにはいきません。短刀をお持ちでしたら、それをお貸しいただけないでしょうか……」

 ジュウザは懐から短刀を取り出すと、シノの目の前に放った。

 シノはそれを拾い上げると、鞘を抜き放つ。太陽の光をうけて、その刀身が眩しく光る。シノは一度その短刀を地面に置くと、赤ん坊の頭を、優しく、ゆっくりと撫で続ける。

「リュウ、あなたにこうして触れ続けていたい、話しかけ続けたい、あなたの成長を、これから先ずっとみていたい……。でも、……それは無理なのね……」

 シノはジュウザからみても伝わるほど、ぎゅっと力強く赤ん坊の体を抱きしめた。リュウの顔に無数の涙の粒がこぼれ落ち、それに反応するように再び赤ん坊は泣き始める。シノは整った顔をくしゃくしゃにゆがめながら、強く、強く我が子を抱きしめる。

「リュウ、泣いてはだめよ。死んでもだめ。どんなにつらいことがあっても、生きて、生きて生きぬきなさい。あなたは……、すべての人にとって光になれるはずだから……!」

 ところどころつまりながら、シノは我が子に言い聞かせる。赤子はぴたっと泣き止んだ。まるで母の最後の言葉を正確に理解したかのように。

 シノは袖で涙を拭うと、ジュウザに向かって赤ん坊を差し出した。ジュウザも腰を落とし、丁寧にそれを受け取ると、自分の胸の前で抱き上げる。

——重たい——

 人生において初めて抱いた赤子は、思っていたよりもずっと重たかった。そしてなにより驚いたのは、暖かかいことだった。赤ん坊はぐずりもせずにジュウザの顔を見つめ続けている。

「ありがとうございます……。その子の名前は、……その子の名前は、リュウ。わたしの村に昔から言い伝えられている(いにしえ)の神の名前です。この子を産んだ日、夢の中でわたしは光に包まれながら誰かに言われました。おまえの子は、選ばれし者だと……。この子は不思議な運命を背負うはずです。しかしどうかこの子を、よろしくお願いします……」

 ジュウザは黙ってうなずいた。

 そう言いきると、シノは傍らにあった短刀の刃を自分の方に向け、胸に向かって勢いよく突き刺し、その場に崩れ落ちた。彼女の服を血の色が染めていく。ジュウザには分かった、刺さった場所や深さからみて、そのままその女は息絶えるだろうと。シノは息を荒くしながら少しの間微かに動いていたが、やがて動かなくなった。ジュウザはその光景を、腕に抱いた赤ん坊とともに見続けていた。動かなくなった後にシノの腕をとって脈を調べてみたが、もう心臓は動いていない。

 ジュウザの腕の中の赤子は、少しも泣き声はあげなかった。ただじっと、目の端に涙をため、唇をぎゅっと結んでいる。

 ジュウザの眼から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それは、彼にとって二十年ぶりの涙だった。


 物語は、この十五年後から始まる。

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