第9話 歴史
「改めまして、はじめまして。風見ケントです、よろしくね」
「はじめまして、月影サラです。これから、どうぞよろしくお願いいたします」
とりあえず、玄関に立たせたままというのは体裁が悪かったから、座学の時によく使う、一階の奥に位置する図書室へと、サラが今まで言葉を交わしたことがなかった騎士――ケントを通し、互いに自己紹介をし、挨拶をする。
「あの……今日はシュウの授業を受ける予定だったんですけど……どうして、ケントさんがこちらに?」
「ああ……シュウの奴、君にちゃんと連絡してなかったんだね。あいつ、急遽前倒しになった予定があって、今日は来られなくなったんだ。だから、俺が代打で今日は講師を務めさせていただきます」
「そうだったんですね」
いつものシュウであれば、報告・連絡・相談を欠かさないはずなのに、今回に限って事前の連絡がなかったということは、それだけ慌ただしかったのだろう。
サラの面倒を見ること以外にも、騎士の務めはあって当然なのだから、あまり責める気にはなれない。というよりも、これまでよくサラにかかりきりになれていたものだ。
(むしろ……ケントさん、よくわたしの講師役を引き受けてくれたな……)
玉座の間で初めてケントを見かけた時は、シュウとレオの言い争いに一切口を挟まず、静観を決め込んでいたから、てっきり日和見主義なのかと思っていた。
もしかして、サラに肩入れしているわけではないものの、積極的に敵対するつもりもないからこそ、こうしてわざわざ足を運んでくれたのかと思考を巡らせていたら、ケントが苦い笑みを零した。
「……君と初めて会った日、日和ってた奴が急に押しかけてきて、戸惑ってるのかな?」
「え……あ……」
そんなにわかりやすく顔に出ていたのかと、恥ずかしさのあまり顔から火を噴きそうになったが、ここは下手に誤魔化すよりも正直に答えた方がいいと、即決する。
「……そうですね。正直、戸惑いはしましたが、レオほどわたしが殺め姫になることに反対してたわけじゃありませんでしたから、このくらいなら手を貸してもいいと思ったんだろうなと、納得もしてます」
「ふぅん……君、結構理性的なんだね」
「そうでしょうか?」
まさか、玉座の間で堂々と啖呵を切ってしまったから、感情的な小娘だと思われたのだろうか。
「うん。もし、レイラが君の立場だったら、あの場で風見鶏を決め込んでた俺に平手打ちの一つでも浴びせてただろうし、シャノンだったら、にこにこしながらねちねちと詰っただろうから」
「それは……」
レイラが苛烈で、シャノンが根に持ちやすいというだけの話ではないだろうか。
怒りが長続きしない性質のサラには、どちらも難しい。
反応に困って眉間に皺を寄せると、ケントはくすりと微笑んだ。
「まあ、意外と温厚そうな君のおかげで、上手くやれそうだよ――さて、長話もなんだ。そろそろ授業を始めようか。今日は歴史だって聞いたけど、間違いはない?」
「はい、それで合ってます」
「そうそう。お姫さまの君が、俺に敬語を使わなくていいよ。レイラなんて、昔からもっと偉そうにしてたよ」
先刻から、ケントは何かとレイラやシャノンの扱いが雑なのだが、それだけ気安い仲なのだろうか。もしくは、実はあまり仲が良くないのか。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて。ケントも、わたしのことをレイラたちみたいに呼び捨てにしていいよ」
「じゃあ、こちらもお言葉に甘えさせてもらおう」
もっとぎこちない空気になるかと思ったものの、案外、和やかな雰囲気で授業を進められそうだ。
シュウやレイラから講義を受ける際、飴色の長机を挟んで向かい合って腰かけるのだと伝え、二人の定位置に座るようにケントに勧める。
サラもケントの向かい側の席に腰を下ろし、持参した歴史書やノート、筆記用具、それからタブレット端末を机の上に広げる。
「どこまで勉強したのか、復習も兼ねて説明してもらってもいいかな?」
低く艶のある甘い声に促され、サラは素直に頷いてから口を開いた。
「――西暦二一二五年、領土や資源を巡り、人類は社会主義国と非社会主義国に分かれて、旧時代を終わらせる第三次世界大戦が勃発した。その時、社会主義国は核兵器の使用を仄めかしたため、非社会主義国はそれに対抗すべく、かねてより研究が進められていた生体兵器――アヤカシの前身に当たるキメラ動物を戦場に投入した」
この辺りは、歴史の大きな転換点であるため、地上の学校で既に習っていた。
だから、サラは頭の中に入っている歴史の流れを淀みなく説明していく。
「人間を捕食対象とする生体兵器による被害は甚大なものだった。なにしろ、途中から敵味方関係なく、人類を食い散らかし始めたのだから」
味方として共同戦線を張っていた間は、この上なく心強い存在だっただろう。
しかし、敵兵を捕食したことによって人間の血肉の味を覚え、敵兵を貪り続けた生体兵器の群れは、やがて気づいてしまったのだ。
敵兵よりもっと身近に、魅力的な肉の塊が転がっているではないか、と。
「人類は最早、戦争どころではなくなった。生体兵器を殲滅するため、社会主義国はついに核兵器を攻撃に使った」
でもその結果は、人類の勝利とも社会主義国の勝利とも言い難いものだった。
「核兵器の攻撃によって、多くの生体兵器は死滅した。しかし同時に、当時の世界人口の三分の二も死に絶えた――戦闘員も非戦闘員も関係なく」
その光景は、まさしく地獄絵図と呼ぶに相応しいものだったに違いない。
「しかも、一部の生体兵器は生き残ってたため、人類の天敵が消えていなくなったわけじゃない。生き残った人類はまだ無事だった地下シェルターでの生活が余儀なくされた」
だが、ずっと安全な地下シェルターにこもっているわけにもいかない。
シェルターがどのくらいの規模で、どの程度の備蓄があったのか、正確には知らないが、いずれ蓄えも尽きる。危険を承知の上で、生き延びるための糧を自分たちの力で手に入れなければならない。
「ただし、不幸中の幸いというべきか、核兵器による放射線を浴びた生体兵器の遺骸から漏れ出た体液が染み込んだ地面の下から、新たなエネルギー資源――殺生石が発見された」
現代で利用されているエネルギー資源の大部分が、この殺生石だ。
人類は多大な犠牲を払い、新たな地下資源を獲得したのだ。
「しかし、殺生石を悪用する者が現れた。名を、ヴィクトリア・エーヴァ。彼女は生体兵器の研究者で、殺生石を使ってキメラ動物を改良し、現代でいうところのアヤカシを生み出した」
具体的にどういうプロセスを経てアヤカシを誕生させたのか、サラにはさっぱり理解できない。
しかし間違いなく、ヴィクトリア・エーヴァは天才だったのだろうということだけはわかる。
そして、アヤカシもまたキメラ動物同様、その体液から殺生石を生成することが可能だ。現代で使われている殺生石のほとんどは、アヤカシの体液から作られている。
「攻撃力を増しただけじゃなくて、簡単には死なない生命力と生殖能力まで手に入れたアヤカシの登場により、人類はまた窮地に追い詰められた」
一度、苦しみの中に僅かなりとも希望の芽を垣間見てしまっただけに、その後の絶望が計り知れない。
「しかし、ヴィクトリアの研究施設――後の宗教団体『エデン』で離反者が現れた。彼らは可能な限りの技術を盗み出して、その技術をアヤカシの殲滅のために使うようになった」
そこまで口にしたところで一旦口を噤み、ジャスパーグリーンの双眸をじっと見据える。
「……その離反者が、月影一族と日影一族の祖先――初代殺め姫と初代庇護姫。風見一族は、初代殺め姫の長男の代から始まった一族。そして、今に至る……シュウと勉強したのは、ここまでだよ」
つまり今のところ、旧時代の世界の歴史を振り返っただけに過ぎない。新たに学んだことといえば、月影一族や日影一族、それから風見一族の成り立ちだけだ。
しばし沈黙が落ちたかと思えば、ケントがおもむろに拍手を送ってきた。
「ちゃんと勉強したことが身についてるね、偉い偉い」
「……地上の学校でも、このくらいはしっかり勉強するから」
安堵の吐息交じりにそう答えれば、ケントは小首を傾げた。
「うーん……でも、勉強したからっていって、ちゃんと知識として覚えて、それを他人に説明できるかっていえば、全員が全員できるわけじゃないと思うよ。サラ、記憶力も理解力も高いんだね」
「……確かに、暗記には自信があるかも」
手放しに褒められ、気恥ずかしさを覚えつつも控えめに微笑む。
「えっと、それで……成り立ちは勉強したから、今日は月影・日影・風見一族の家系図を覚えるところから始める予定だったの」
「なるほど……じゃあサラには、今年の秋の俺とレイラの結婚式までに、祖父母世代までの人間関係を把握しておいてもらわないとね。新たな殺め姫として、挨拶回りしないといけないから」
「……え」
あまりにもさらりと告げられたものの、さっそくとんでもない情報という名の爆弾が投下された。
呆気に取られるサラを意に介さず、ケントはにこやかに言葉を続ける。
「ああ、まだ言ってなかったね。俺とレイラは婚約者で、俺は日影家に婿入りすることが決まってるんだ。ちなみに、レオとシャノンも婚約関係にあって、シュウは風見家の現当主。最低でも、このくらいは覚えておかないと」
「ちょ……っ! ちょっと待って! 情報が渋滞しそう!」
慌ててシャープペンを手に取るや否や、たった今得たばかりの人物相関図をノートに走り書きする。こういう時、デジタルよりもアナログの方が手っ取り早いから、デジタル機器の使用が一般的な現代でも、サラは用途に応じて使い分けている。
「えーと……どうして、シュウが風見の当主なの? レオは?」
「風見一族の当主の決め方は、独特でね。『シュウ』って名付けられた男児が、当主に選ばれるんだ」
「本当に独特だね……」
シュウは幼い頃から「シュウ」と呼ばれていたから、当主の座を引き継ぐにあたって改名するというわけではないのだろう。
どういう基準で選ばれるのか謎だが、この世界に生まれ落ちて「シュウ」という名を授けられた時点で、当主の座が約束されるに違いない。
それに旧時代では、男児は代々父親の名を受け継いでいくという風習がある地域があったらしいから、風見一族にそういう伝統があったとしても、不思議ではないのかもしれない。
そこまで考えたところで、ふと嫌な予感を覚えた。




