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境界線の上で、立つ — Standing on the Line —  作者: 和泉發仙


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第四十七話 利用という静けさ



音は、

自然には消えない。


誰かが拾う。


拾われた瞬間、

意味を与えられる。


意味を与えられた音は、

もう元の形ではない。



駅前トラブルの映像は、

一晩で編集された。


叫ぶ若者。

揺れる自販機。

止めに入る警備員。


その三つのカットだけが、

繰り返される。


背景は切り落とされた。


立てなくなった経緯も、

巡回の増加も、

削られる。


残るのは、

「不安」という輪郭。


翌日のワイドショーは、

穏やかな語調で語る。


「地域安全の重要性」

「未然防止の徹底」


未然。


この言葉は、

未来を管理する。


パネルの端に、

小さくグラフが表示される。


「改善傾向」


三崎は、

それが自分の部署の

資料であることに気づく。


加工され、

引用され、

文脈を失った数字。


誤差が減少。

滞在時間短縮。

再集中なし。


それは、

成功の証拠として扱われている。


だが、

あの音は、

成功の途中で生まれた。


途中は切られた。


切られたものは、

存在しないことになる。



SNSでは、

別の動きが始まっていた。


匿名のアカウントが、

動画を拡散する。


「若者の暴走」

「甘やかしの結果」


その一方で、

別のアカウントは書く。


「居場所を奪った結果」


意見は割れる。


だが、

議論は続かない。


アルゴリズムは、

強い言葉を選ぶ。


強い言葉は、

対立を深める。


深まった対立は、

さらに拡散する。


音は、

増幅される。


だが、

原因は薄まる。



三崎は、

トマスからメッセージを受け取る。


「テレビで君の数字が使われている」


リンクが添付されている。


トマスは、

今も英国で記事を書いている。


「文脈が消えている」


その一文が、

重い。


数字は中立ではない。


使われ方で、

意味を変える。


三崎は、

返信を打つ。


「止められない」


トマスからすぐに返る。


「止める必要はない。

ただ、書くべきだ」


書く。


何を。


どこまで。


書けば、

立場が変わる。


立場が変われば、

守れなくなるものが出る。



ミオは、

スマホで動画を見ていた。


コメント欄は荒れている。


「こういう連中は排除」

「親の責任」

「自己責任」


彼女は、

画面を閉じる。


叫んだ若者の顔は、

ぼやけている。


だが、

自分と重なる部分がある。


音を出した瞬間、

ラベルが貼られる。


ラベルは、

早い。


事情は、

遅い。


遅いものは、

流れに負ける。


彼女は、

ふと呟く。


「利用されてんじゃん」


誰に向けた言葉でもない。


ただ、

気づいてしまった。



元ヤクザの老人は、

駅前でその話を聞く。


「騒ぎがあったおかげで、

補助金が増えるらしい」


隣の元公務員が、

小さく頷く。


「危機は、

予算を生む」


危機があると、

対策が生まれる。


対策が生まれると、

事業が生まれる。


事業が生まれると、

予算が動く。


予算は、

人を雇う。


雇用は、

評価を生む。


評価は、

継続を生む。


危機は、

必要になる。


危機が消えれば、

理由が消える。


理由が消えれば、

予算が減る。


だから、

完全な解決は

望まれない。


老人は、

煙草を吸うふりをする。


「音は便利だ」



スーパーの若い店員は、

本部からの通達を読む。


「地域不安の高まりに対応し、

健康・安心商品の展開を強化」


売場が拡張される。


説明文はさらに増える。


不安は、

消費を生む。


安心は、

商品になる。


商品は、

利益になる。


利益は、

安定を生む。


安定は、

評価を生む。


音は、

利益に変わる。


彼女は、

胸の奥がざわつく。


あの若者の叫びが、

棚の拡張に変わる。


叫びは、

価格タグになる。



三崎は、

深夜にノートを開く。


音は、

是正の証拠にも、

危機の証拠にもなる


危機は、

継続の理由になる


彼は、

テレビ画面を思い出す。


自分の数字。


成功として語られた。


だが、

音がなければ、

強化策も補助金もなかった。


音は排除対象であり、

同時に燃料でもある。


排除され、

利用される。


その二重構造が、

静かに回っている。



数日後。


駅前で、

小さなイベントが開かれる。


「安心フェア」


ブースが並び、

健康チェック、

栄養相談、

地域交流。


警備は増え、

雰囲気は穏やか。


だが、

参加者の多くは、

立ち止まることに慣れていない。


流れに沿って歩く。


スタンプを押し、

景品を受け取る。


立つという行為が、

イベント化される。


日常では、

立てない。


イベントの中でだけ、

許可される。


ミオは、

遠くからそれを見る。


「お祭りじゃん」


そう呟く。


だが、

胸は冷えている。


叫んだ若者は、

この場にいない。


彼は、

書類の中にいる。


対策の理由として。



夜。


三崎とエリオットは、

静かなバーにいる。


テレビの音は消されている。


エリオットが言う。


「音は、

必ず誰かの材料になる」


三崎は、

グラスを見つめる。


「止められない」


「止めなくていい」


エリオットは続ける。


「だが、

材料にされたことを

記録することはできる」


記録。


それは、

小さい。


だが、

消えにくい。


三崎は、

ようやく決める。


「書く」


エリオットは、

静かに頷く。



その夜、

三崎は初めて

個人名義で文章を投稿する。


匿名ではない。


立場を明かし、

数字の文脈を書く。


誤差。

揺れ。

圧力。


音が生まれる前の

小さな兆し。


投稿は、

静かに広がる。


炎上はしない。


だが、

一部の人に届く。


ミオも、

それを読む。


短くメッセージを送る。


「やっと?」


三崎は、

小さく笑う。


「遅いな」


彼女は返す。


「でも、

立ってる」


その一言は、

軽い。


だが、

重い。



音は利用された。


だが、

利用される前の形を

覚えている人がいる。


覚えている限り、

完全には回収されない。


駅前は、

今日も整っている。


だが、

整った裏側で、

小さな記録が

積み重なり始めた。


それは、

まだ数にならない。


だが、

無視もできない。




後書き


音は排除されるだけではなく、

利用もされます。


危機は、

制度の燃料になる。


しかし、

利用の構造を記録する行為は、

回路を少しだけ遅らせます。


次は、

この「書く」という行為が

予想外の人物を引き寄せる回になります。



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