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境界線の上で、立つ — Standing on the Line —  作者: 和泉發仙


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第四十五話 是正の形



是正は、

いつも静かに始まる。


通知は丁寧で、

文面は配慮に満ちている。


強制という言葉は使われない。


だが、

選択肢は一つに近づいていく。



駅前には、新しい掲示が増えた。


「地域安全強化期間」

「滞留防止へのご協力を」

「安心なまちづくり推進中」


言葉はやわらかい。

色も穏やかだ。


だが、

立ち止まる時間は確実に短くなった。


警備員の巡回回数が増え、

声かけは以前よりも丁寧になった。


丁寧さは、

断る隙を与えない。


「何かお困りですか」


その問いは、

困っていない人をも

困っている側へ押し出す。


困っていないと言えば、

移動を促される。


困っていると言えば、

支援の窓口を案内される。


どちらにせよ、

そこに留まる理由は消える。



ミオは、

久しぶりに駅前へ戻った。


特別な理由はない。


ただ、

いつもと違う空気を

身体が察した。


立つ前に、

声をかけられる。


「こんばんは。

最近こちらでの滞在が増えておりますので――」


増えている。


彼女は、

何も増やしていない。


ただ、

来ただけだ。


「別に、何もしてないけど」


警備員は、

微笑む。


「もちろんです。

ただ、安全のために」


安全。


その言葉が出た瞬間、

彼女は笑わなくなる。


安全は、

彼女を守るためではない。


場を守るためだ。


彼女は、

移動した。


追われたわけではない。

だが、

留まる理由は

削られた。



スーパーでは、

新しい配置が徹底されていた。


健康志向棚は

中央へ。


説明文は増え、

注意書きも追加された。


「適切な食生活を」


適切。


適切という言葉は、

曖昧さを許さない。


若い店員は、

その棚の前で

立ち止まる客が減ったことに気づいた。


立ち止まらない。


迷わない。


手に取るか、

取らないか。


二択。


迷いが消えた分、

売上は安定した。


安定は評価される。


だが、

あの一拍は消えた。



中年女性は、

再び店を訪れた。


前回、

小さな紙袋を買った人だ。


今日は、

迷わなかった。


惣菜を取り、

弁当を取り、

カゴに入れる。


成分表示を見ない。


見る理由が消えた。


棚の配置が変わり、

説明が増え、

選択は整理された。


整理された選択は、

楽だ。


楽は、

疲れた人に優しい。


だが、

優しさは

流れを変えない。


彼女は、

いつもの食事に戻った。


身体は、

同じ重さを抱える。


同じ通院。


同じ処方。


同じ言葉。



診察室。


若い医師が

カルテを見ている。


生活習慣病の患者が増えている。


改善指導はしている。


パンフレットも渡す。


「食事を見直しましょう」


患者は頷く。


だが、

数値は横ばい。


医師は、

ため息をつく。


忙しい。


一人あたりの診察時間は短い。


改善は、

患者の努力に委ねられる。


努力は、

環境に左右される。


環境は、

効率に従う。


医師は、

その連鎖を

言葉にしない。


言葉にすれば、

仕事が止まる。



三崎の部署では、

是正策が本格稼働した。


滞在アラート。


一定時間以上の滞在で、

通知が入る。


「自主的移動の促進」


言葉は変わらない。


だが、

速度は上がる。


誤差は、

徐々に消えていった。


グラフは滑らかになる。


外部委員は、

満足げに頷く。


「改善が見られます」


改善。


その言葉は、

正しい。


だが、

何が改善されたのか。


三崎は、

夜のノートに書く。


誤差は減少

滞在時間短縮

再集中なし


数字は整った。


だが、

駅前から消えたものがある。


立つことの意味。



元ヤクザの老人は、

駅前のベンチで

煙草を吸っていた。


今は禁煙区域だが、

彼は吸わない。


吸うふりだけする。


昔の癖だ。


彼は、

警備員が巡回する様子を見ている。


「綺麗になったな」


誰にともなく言う。


隣にいた元公務員の老人が

小さく笑う。


「数字は、整ってますよ」


「整いすぎだ」


元ヤクザは、

短く答える。


「昔はな、

怖い奴が立ってた」


「今は、

怖いのは立たせない仕組みだ」


その言葉は、

軽く聞こえる。


だが、

重い。


三崎は、

少し離れた場所で

それを聞いていた。



ミオは、

駅前に戻らなくなった。


別の場所を探した。


高架下。


だが、

そこにも巡回が増えた。


カメラが増えた。


「未然防止」


未然。


未然に防がれるものは、

未然のまま消える。


彼女は、

立つ場所を失い始めていた。


家には戻らない。


駅前にもいられない。


残るのは、

流れの中。


流れは、

考える時間を与えない。


考えなければ、

疑問は消える。


疑問が消えれば、

誤差は減る。


誤差が減れば、

モデルは正しくなる。



スーパーの若い店員は、

売上報告を見ていた。


安定。


目標達成。


本部からの称賛。


だが、

あの中年女性の姿を

最近見ていない。


来ているのかもしれない。


だが、

目立たない。


目立たないということは、

適応したということ。


適応は、

成功と呼ばれる。


だが、

何に適応したのか。


彼女は、

棚の中央を見つめる。


隙間はない。


迷う余白もない。



診察室。


中年女性は、

数値の悪化を告げられる。


「食生活を見直してください」


医師は、

いつも通り言う。


彼女は、

頷く。


だが、

何をどう変えるのか。


整理された棚は、

迷いを許さない。


迷いがなければ、

立ち止まらない。


立ち止まらなければ、

流れは変わらない。



三崎は、

グラフを閉じる。


誤差は、

ほぼ消えた。


滑らかな線。


美しい。


だが、

その美しさに

違和感を覚える。


異常は是正された。


だが、

壊れたものは

記録されていない。


彼は、

ノートに最後の一行を書く。


是正は、

生活を整える

だが、

生活を救うとは限らない



駅前は、

今日も静かだ。


誰も長く立たない。


誰も迷わない。


安全は保たれている。


だが、

どこかで

別の揺れが

始まっている。


それは、

まだ数にならない。


だが、

消えたわけではない。


消えたように見えるだけ。



後書き


是正は成功しました。

誤差は減少し、

数値は整いました。


しかし、

整った世界の中で

行き場を失った人がいます。


次は、

その“行き場のなさ”が

思わぬ形で

表に出る回になります。



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