00 プロローグ
私――ロザリンド・ウッドヴァインの父であるウッドヴァイン公爵は、家族のひいき目で見てもどうしようない男性である。
妻――つまり私の母という者が居ながら数々の浮名を流し、そればかりか既婚者まで手を出す始末。
それでいて、母に対しては「真に愛しているのはお前だけだ」などと歯の浮くような台詞をのたまうのである。
そんな言葉で毎回許してしまう母もどうかと思いますが……。
だけど、私はそんな父に我慢できなかったのでした。
いや、父だけでなく、その愚行をスグに許してしまう母ともそりが合わなかった。
母がしっかりしていれば、父の愚行ももっと減るはずなのに、そう思っています。
つまり、母も悪いのだ。
なので、私は、花嫁修行と称し、一旦家を離れる事にした。
祖父つまり、先代ウッドヴァイン公爵の末の妹である大叔母様の元で侍女として働く事にしたのだ。
それが十一歳の時である。
大叔母様は一族の中では変わり者と知られていた。
奉仕活動などと称して治療院で看護師などをしている内はまだ良かったのですが、なんと、公爵家で御者をしていた男性と恋に落ちた結果、半ば駆け落ちをするように外国で結婚してしまったです。
最初は「そんな結婚など許さない」と言っていた先代公爵も、正式な結婚をしてしまった以上認めるほかはなくなりました。
しかしそれ以来、一族とは疎遠になってしまっています。
そんな大叔母様に手紙を書いて訴えかけた結果、私はやっと家を離れる事が出来たのでした。
めでたし、めでたし。
――というわけでもなかった。
家を出る、という目的は達したものの大叔母様はそれはそれは厳しい人で、使用人としての作法だけでなく、貴族の子女としての矜恃までも厳しく教え込まる事になったのでした。
その時、私は如何に自分が甘やかされて育って来た、というのを身に染みて感じ取る事が出来たのです。
最初はその厳しさに戸惑いこそ有ったものの、その教えには厳しいだけでなく優しさも有る事はスグに感じ取る事が出来ました。
そんな大叔母様の元で十年間過ごした私は今、何をしているのかと言うと――。
下町の簡素なアパートメントでひっそりとつつましく暮らしていました。
長きに渡り、私を指導してくれた大叔母様が亡くなってしまわれたのです。
実家に戻ろう、なんて気持ちには到底なれませんでした。
別に心配にならないわけではありません。
やっぱり産みの母や父ですからね。
それでも漏れ聞こえてくる父の放蕩ぶりを聞くに、父と、そしてそれを許してしまう母の元に帰ろうとは思えなかったのでした。
そんな私ももう二十二歳、貴族令嬢としてはとっくに結婚していてもおかしくない年齢である。
でも父と母の様子を見て育った私にはとても結婚する気にはなれないのでした。
そして今、私は近場にある工房で働いて生活費を稼いでいます。
大叔母様が亡くなられたのが急だったので、紹介状も書いてもらう事が叶わなかったし、私自身も他に人に使える気にもなれなかった。
多くの人が働く工房なら私の出自を気にする人もいないし、給金の安さに目をつぶる事が出来れば比較的ノンビリと働く事が出来た、
というわけで、今の私は大叔母様が亡くなられたショックも徐々に薄れつつ、平和でノンビリと暮らしているのでした。
「コケコーッコー」
今日も何処かで鳴いている鳥の声で目が覚める。
と言っても完全に覚醒するのにはもう少し掛かるのですが……。
この朝の微睡みタイムはとてもとても気持ちが良い。
うつらうつらしつつも、十数分かけて徐々に覚醒していく。
そして起き上がって手足を伸ばすと完全に覚醒する。
窓を開けると気持ちの良い風が顔にあたる。
今日も良い天気みたいね。
ふと下を覗くとと近所の人と目が合った。
「おはよう、ロザリンド。今日も良い天気ね」
「あ、おはよう~。そうね、一日良い天気になりそう」
お互いに挨拶を済ませると、相手はスタスタと通りを行ってしまった。
さて、私も朝の準備をしなくては。
「よしっ。今日も一日がんばるぞ」
自分に言い聞かせるように呟くと、私は髪にブラシをあてがう。
朝は何時も髪がひっちゃかめっちゃかになっているのだ。
それを丁寧に丁寧に解して、頭の後ろに纏める。
そして桶に汲んだ水で顔を洗うと、やっと人様の前に出られる顔になった。
……先程、起きたての顔を見られてしまったような気がしますがまぁ良い事にします。
さて、次は朝食の準備だ。
とは言っても大した食事をするわけじゃないけどね。
メニューはというと少しばかり硬くなったパンに、焼いたジャガイモというシンプルなもの。
それに具の入っていない塩だけで味付けしたスープと僅かに甘みのあるカモミールティーです。
……ちなみにこのカモミールは自分で収穫したものなので実質タダ同然!
決して雑草をお茶がわりにしているのではありませんよ?
「頂きます」
そう宣言して朝食を食べ始めます。
硬くなったパンはスープでふやかして柔らかくなってから口へと運ぶ。
そのままでも食べられない事は無いんですけど、顎がくたびれてしまいますからね。
水ッ腹になりそうな食事というかも知れませんが、これが乏しい食事でも満足感を得られるように工夫した結果なのです。
現にお昼になるまでこれでお腹が空くような事はありません。
……本当はオムレツだったり、デザートのプティングとか作りたいものは沢山あるんですけどね。
贅沢などはしてられないのだ。
実家にいた頃は、それこそ別世界のような朝を過ごしていたんだな、と思う時があります。
朝は侍女に起こされて、入れたてのお茶を飲んで目を覚まし、その間に侍女が優しく髪を梳いて整えてくれる。
そして朝食は柔らかい様々なパンにキドニーのソテーなど温かい肉料理を筆頭に食べきれない程の種類があり、当然のように甘いケーキやスコーンなどのデザートも用意されていました。
大叔母様の家にいた頃は、さすがに自分の身の回りの事は自身でやっていましたが、食事については質こそ実家より劣るものの、量だけはしっかり有りました。
焼きたてのパンに野菜たっぷりのスープ、分厚いベーコンにオムレツなどなど。
それを思いだすと食事だけは豪華にしたい欲求がふつふつと湧いてくる。
でも、贅沢をする訳にはいかない、贅沢は敵です。
食事が終わると歯を磨いて外出用のエプロンドレスに袖を通す。
これは動き易いものの少しゴワゴワしていて肌触りが悪い。
時機に慣れるだろう、と思ってはいるものの未だに慣れる気配が無いのはどう言う事でしょうね?
これで準備は完了です。
……最初はお化粧をせずに出かける事に抵抗がありましたが、今はそれも慣れたもの。
化粧品なんか買う余裕はありませんからね。
最後にモブキャップを被り、家を出てスタスタと歩いて行く。
今日は良い天気で良かったです。
この辺の通りは水はけが悪く、雨が降ると道がぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
私が働いているのは、あまり大きくない紡績工房です。
長年、この辺りで営業を続けていて、地元民にも受け入れられている工房だ。
大きな都市にある大手の工房では女工が酷い環境で働かされている、という噂も聞きますが、ここはそんな事も無い。
……唯一の不満点が有るとすればお給金が安い事ですね。
とまぁ、不満な点は有りつつも、全体でみれば良い職場だと思いますよ、はい。
私みたいな紹介状も無い人間は酷い環境で働かされても文句を言う場所が無い事を考えると、命の恩人とも言えなくはないでしょう。
工房の扉を開けると、チリンチリンと音が鳴り、その音に反応して室内にいた者がこちらへと振り向いた。
「おはよう、ロザリンド」
「おはよう、今日も良い天気ね」
「そうね、今日も頑張りましょう」
そう挨拶してくれた女性とともに私は本日の労働にいそしむのでした。




