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第二.五話 別れの時

東の空に薄白い光が差し込む。時刻は夜明けから数十分程度、あたりはまだ闇に包まれている。


そんな時間でもエドワンスの街にはいくつかの人影があった。ある者は荷車を引っ張って野菜を運び、またある者は朝から金属を打ちつけている。表通りから少し逸れた路地裏では杖をついた老紳士が散歩していた。


右手に大剣、左手は空っぽ。背中に最低限の荷物を抱えて俺は宿の前に立っている。


センフ・カリスタ。魔法使い兼剣士。パーティーを追放され現在は放浪者。俺は元仲間と過ごしていたエドワンスの町を、仲間のために、それよりも自分のためにそっと抜け出そうとしていた。


「…もう出ていっちゃうの?」


宿から街の入り口へと歩を進めた時、後ろから少し高いこちらを呼ぶ声が聞こえる。


「…ラカ。起きてたのか。」


「うん。」


振り返るとそこにはかつての仲間、ラカ・アルヘルムが寝巻き姿で立っていた。昨日は夜遅くまで起きていたはずだ。ほとんど睡眠なんて取れていないんじゃないだろうか。


「別にこんな早く出る必要は…ないんじゃない?」


ラカは不安げというよりかはどこかに不満げに俺の方を見つめる。何か文句がある時に、頬を膨らませるのは出会った時からの癖だ。


「センフを見送ろうって色々準備してたのに、全部無駄になっちゃった。」


「準備って、何してたんだ?」


「私の部屋に宴会の会場作って、ご馳走をたくさん用意して、プレゼントも渡すつもりだったんだよ。」


「はっ…そりゃまた大層なことだ。」


「…あ、バカにした?せっかく頑張ってたとこだったのに。」


「バカにはしてねえよ。ただ、俺はお前らに送られるような立場じゃないだろ。そんな宴会とやらも必要ない。」


「センフとは別れちゃうから、最後くらいちゃんと見送りたかったんだけど…いらなかった?」


「俺は追い出される立場。いわばお前らから突き放される人間だ。そんな奴に見送りなんて言葉を使うのはおかしいだろ?」


例えば旅の目的が違って、どうしても仲間と同じ道を進むことができず、別れてしまうような状況であればラカの送迎会とやらは適切なものなのかもしれない。


ただ俺は見放される存在だ。仲間として見限られた相手に、見送られるなんてあまりにも馬鹿馬鹿しい。


「…そっか。」


ラカはどこか悲しそうにそう呟く。悲しみも、喜びも、怒りも、全てが顔に出てしまうラカは、表情で嘘をつくことがない。


「センフは怒ってる?」


「誰に対してだ。」


「パーティーのみんな。もちろん私にもね。」


「…別に。元々俺の過去を考えれば仕方ない。魔法協会が接近してきたんだろ。」


元はと言えば俺が追放される要因となったのは、過去の俺の行い、咎だ。仲間に対して怒りを向ける義

理などないし、そんなのは筋違いなのだろう。


怒っているかという疑問に対し、それでも素直にノーだと心の中で思えないのは、俺がただ愚かなだけだ。自分の罪だとわかっているのに、それでも怒りの矛先を仲間に向けてしまうのは、俺が弱いからだ。


…それでもなぜだろうか。心の奥底から何かが燃え上がるような感情が浮かんでしまう。浮かび上がってしまう。弱さの象徴が心に現れて、消そうとしてもその気配が収まることがない。


自分の弱さを見せないため、仲間の行いは正しいと伝えるため、俺は小さな嘘をついた。きっとアンリーには見抜けず、どこか聡いテクノには一瞬で見破られ、目の前の魔法使いも察しているであろう嘘を、それでも建前としてつく必要があった。


「自業自得だ。昔やらかした罪が今になってまた返ってきた。俺が恨んでいるのは過去の自分だけだよ。」


嘘だ。俺は嘘をついている。仲間に憤ってしまっている。心の奥底に打ち付けられているその錨を…その怒りを、ただ堪えているだけに過ぎない。


なぜ追い出してしまうんだ。なぜ俺を庇ってくれないんだ。…あの日々は嘘だったのか。そんな幼稚な心の声がずっと頭の中で反響する。


「ただ、少し寂しくはなる。お前らと過ごした時間は結構楽しかったからよ。」


どうしても堪えきれず、ほんの少しだけ本音が溢れ出てしまった。涙なんて流れるはずもない。むしろ心は熱くなるばかりだ。


「私も。センフと一緒にいた時間、結構面白かったし、楽しかったよ。」


「そうか、なら良かった。」


「…えっと、多分アンリーもテクノも、そう思ってるはずだよ。みんないつも笑ってたし。」


ラカはどこか焦ったように、手を慌て深めさせる。流れいく何かを掴もうとしているみたいだ。


「あの、テクノがいきなり服を脱いで走り回った時があったよね。宿の部屋が暑すぎるって。」


「…2年前くらいのやつか?」


「そう、普段は結構落ち着いてるのに、あの時のテクノはメチャクチャだった。」


アンリーはどこか懐かしむように、その顔に笑みを浮かべる。


「センフが珍しくダンジョン踏破に寝坊したのっていつだっけ?」


「去年の春頃だ。」


「あ、そんなに時間経ってたんだ。あの時は確か、前日の魔物討伐で疲れてたんだよね。」


「3日間くらい野宿してたからな。あの時はアンリーの斧が刃こぼれのせいで使い物にならなくて、俺がずっと戦ってたし。」


「あはは、それでも私たちが帰ってくるまで寝てたのはびっくりだけどね。どれだけ疲れてたんだ!って。」


ありし日の記憶が蘇る。あの時はどうしても体が睡魔に勝てなかった。人生の中で、あれほど落ち着いて眠りにつけたのは初めてだった気がする。


「酔っ払っちゃったアンリーが焚き火に突っ込んで行ったことがあったよね。サンブルームの山中だっけ?」


「出会ってすぐの時くらいのか。野宿してた時だよな。」


「そうそう。クエストの帰りだったはず。珍しくお宝手に入って、浮かれてたから突っ込んじゃったって。」


「酒癖悪かったな、あいつ。」


「アンリーの服についた火を消そうとして、私が水魔法を使ったのにフレイムが出て、余計火を強くしちゃったんだよね。」


「俺がいたからなんとかなったけど…寝てたりでもしたら大惨事だったぞ。」


「いやあ、ちゃんと魔法を正しく使うのって大事だなあってあの時は思ったよね。」


「それはずっとなんだよ。」


思えばラカが真面目に魔法の勉強をし始めたのは、その出来事があった後からだろうか。あの時だけはほんの少しばかりラカに対して説教をした。それ以上に酔っ払っていたアンリーはボコボコにしたが。


テクノの狂気的な行動も、俺の寝坊も、アンリーの悪い酒癖も、その全てが懐かしい。いつの間にか頭の中から消えていた記憶が、消そうとしていた過去の残滓が、また次々と頭の中に蘇る。


ふとラカの方に目を見やれば、先ほどまで浮かべていた不器用な笑みはどこかに消え、今まであまり浮かべることのなかったまっすぐな瞳が、真剣な眼差しがこちらを捉えていた。


「…あのね、センフ。これだけは言っておくけど、私は本当に、君のことが大好きだったんだよ。」


そうしてまた唐突に、そんなことを言い放つ。


「ダンジョンを巡ったあの時も、依頼主に逃げられて報酬受け取れなかった時も、たまにしてた宴会も、全部全部いい思い出。」


ラカは何かを思案するように左手の指を一つずつ折りたたんでいく。


「私も寂しいんだ。センフとお別れするの。」


ラカはただまっすぐな眼差しをこちらへと注ぎ続ける。その瞳に僅かな雫が浮かんでいるのは、気のせいだろうか。


…寂しいと、そう感じているのなら。そこまで浮かんで、しかしその愚かな思考を無理やり心の奥底へしまい込む。


「いや、追い出す立場で何言ってんだって感じだよね。意味不明だよね。」


魔法使いは苦笑いを浮かべる。それは取り留めもなく思い出話をし出した先ほどよりもぎこちない。


「…でも本当なの。センフのことは本当に大切だと思ってた。」


しかしそれもすぐに消え失せて、その眉が落ちる。どこか重苦しい表情をその顔に浮かべた。


「できるなら、みんなでもっと旅をしたかった。ずっと一緒にいたかった。」


「なら、なんで。」


なぜ、追い出すのだと。なぜ俺を庇ってくれなかったのだと。仲間なら、助けてくれてもいいじゃないか。


歯止めが効かなかった。押さえつけようとした気持ちが、取り留めなく心に溢れ、挙句言葉にまで出てしまった。


「…本当に、ごめん。」


ラカはその顔を全力で左右に振る。目元から溢れていた涙が取り留めなくこぼれ落ちた。その視線を伏せたまま、しかし鼻を啜る音が耳に響く。


…これは拒絶だ。魔法協会に目をかけられた程度で、俺を切り離す。


その理由さえ答えてくれない。最早俺は、ただの放浪者に成り果てたのだ。


もしかすれば、俺が気付かぬ間にラカは嘘が上手くなったのかもしれない。寂しいなんて言葉は、虚構なのかもしれない。


それが嘘でなかったとしても、大切な存在だったとしても、結局俺が見放されたことに変わりはない。


「…話はそれだけか?」


俺は一つ息を吐きラカに背を向ける。その魔法使いの姿を、もうすっかり一人前になった少女の影を捉えたくなかった。


「…うん。」


「ならこれでお別れだな。」


東の空に日が登る。その光は俺の背中を穿ち、きっとラカをスポットライトのように照らしている。


「…元気でね。センフ。」


「ああ、お前らもな。」


鼻声の、甲高い声がエドワンスの街中に広がる。ラカの泣き声を聞くのは3回目だった。


後ろは振り向かない。振り向けない。振り向きたくもない。振り向く勇気がない。


きっと今までがおかしかったのだろう。心置きなく話せる仲間がいて、パーティーで旅をして、様々な経験をしてきた。


これは人生の特異的な出来事だったというだけだ。それが当たり前だと得意になっていた自分が馬鹿だったのだ。


人は本来、いや、少なくとも俺は一人で生きていくのが普通なのだ。また元に戻ったというだけだ。


もう後戻りすることはできない。どうしようもないのだ。


頬が少しだけ濡れた。生暖かい雫がこぼれ落ちる。辺境の街で男女が二人、その道を違える。これが物語なら感動のラストシーンなのだろうが、実際は辛く、ただ苦しい現実だ。


エドワンスの街はまだ目覚めたばかり。昼間には暑く感じる周りの風も、今はほんの少し俺の体を震わせる。


仲間との別れ。辛く、冷たく、重い、新たな旅の一歩をまた踏み出した。


誤字脱字等がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。


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