第一話 山中の出会い
改行のルールとかあるんですかね。
そこらへんよくわかってないです。
「…」
風が木々を、枝葉を揺らす。昨日の夜、元パーティーメンバーのアンリーから別れを告げられた。俺は元いたパーティーを追放され、今は一人の身だ。
仲間たちに別れを告げて今日の明朝、俺はしばらく滞在していた中規模程度の大きさを持つエドワンスの街を去った。街から南西の方角に向かっておよそ半日ほど歩き、今は都市部と都市部の間にある山林にその身を置いていた。西の空には夕焼けが広がっている。この季節になると陽が落ちるのも早くなってくる。後1時間もすれば、辺りは闇に包まれるだろう。
「今日はここらへんで泊まるか。」
森林の中に木々が生えていない大きな広場のような空間があった。木漏れ日がわずかに差し込み、花の香りが漂ってくる。今から歩いてもおそらくどこかの都市にたどり着くのは深夜になるだろう。視界なく、方向感覚があやふやになる夜道を進めばおそらく迷ってしまう可能性もある。ならば現在地を確認した上で野宿するほうがいい。
近くの木々には枝が多く転がっていた。春に花を咲かせて、夏には赤色の果実をつけるサンカスの木の枝だ。この辺りには大多数のサンカスが咲いているが、冬になると弱った木々は風に打ち付けられて枝葉を折ってしまう。おそらく今地面に落ちているこの枝も、冬が近づいてきたことで折れてしまったものだろう。
「…こんなもんか。」
20分ほどかけて集めた枝は、焚き火をしてもおそらく一晩は持つくらいの量になった。後は夜を過ごすための食糧を確保する必要がある。
朝早くに、ある種逃げるように街を去ったため、当然買い出しなんかはしていない。街を出た後のことなんて何も考えず、ただ一直線に歩いてきた自分の行動を少しだけ後悔した。
山に咲く果実や動物を狩れば腹を満たせるだろう。焚き火も準備できるし、大抵のものは頑張れば食べられるはずだ。最低限持ち出してきた荷物の中から、小さな短刀を取り出してまた山の中に入った。
すぐ近くにうさぎ型の魔物がいた。トラフというこの魔物は、一見穏便そうな見た目とは裏腹になかなか凶暴な性質を持っている。普段から荒くれな分、筋肉質であり肉は結構硬いが食べられないほどではない。
トラフは俺を視認するや否や、一目散に襲いかかってくる。どうやら食料とでも思われたらしい。
「フレイム」
右手を開いて炎属性の魔法を唱える。最低限の魔力で使える分威力は低い魔法だが、それでもトラフ一匹を始末するのには十分である。
黒焦げではないが、まあまあ半焼けのトラフが転がっていた。一応確認してみるがちゃんと死んでいる。
「そういやここらへんって狩りしても良かったっけ。結構な山奥だし、原生林の可能性も…」
獣を1匹買った後にこの山が保護区域の可能性があることを思い出した。景観保護や生態系の保全、或いは山賊を取り締まる目的で、大陸には狩りを禁止していたり、自然を壊すと罰が与えられる区域がある。落ちている枝葉を集めるくらいはセーフだろうが、それを燃やして焚き火をしたり、獣を飼ったりするのは保護区域の場合完全にアウトだ。
「まあ、バレなきゃいいか。」
だが、あくまでもそれは治安部隊に見つかった場合にのみ罪になる。バレなきゃ犯罪ではないと昔馴染みが言っていたし、こんな山奥なら見つかる可能性は低いだろう。
結局、トラフを3匹と数種類の山の果実を取って戻ってきた。辺りはかなり暗くなってきているが、一応まだ西の方には夕焼けが広がっている。日没まではおおよそ30分程度だろうか。
「…はあ?」
トラフを枝に差して、先ほど荷物を置いていた、山の中にある広場のような場所に戻ろうとすると、まとめていたはずのサンカスの枝がみるも無残に散らばっていた。焚き火をしやすいように格子状に組んでいたはずなのに、まるで何かに踏みつけられたかのように、バキバキに折れている。
少し近づいたところで異変に気がついた。先ほどまでは静かだったその広場の空気が明らかに違っていた。風が荒々しく、草木が音を立てて揺れている。そして何より、山に生えている木々よりもずっと巨大な影がその広場を覆い尽くしていた。
「ドラゴン…こんなところにもいるなんて珍しいな。」
上を向くとそこには全身を真紅に覆った、体調30メートルほどのドラゴンがいた。体の色からおそらく火を扱うタイプだ。魔物を含め、人間以外…特にドラゴンは魔法と体の色がリンクした生態を持つ。これほど大きな巨大にもかかわらず、近くに来るまで気がつかなかったのは何らかの魔法でも使っているのだろう。
俺の存在に気がついたのか、真紅の龍はこちらを振り向くと雄叫びを上げる。足に力を入れなければすぐに吹き飛ばされてしまいそうな風がこちらに吹きつけた。
「ここ、お前の住処か?」
雄叫びによる風が収まった後、ドラゴンにそう尋ねるが返事はない。上位種の存在であれば大抵言葉は通じるので、こいつは中位以下に分類される、ドラゴンの中では小型な種類だろう。
ドラゴンは明らかにこちらに敵意を向けていた。その巨大な足が一本、俺の真上に降りかかる。瞬時にステップをとってスタンプを回避する。足が踏みつけられた箇所は木々が折れ、廃墟のような姿になっていた。
「悪い、住処を奪うつもりじゃなかったんだ。すぐにここから立ち去るからちょっと待ってくれ。」
手元にある短刀を落として両手を上げた。ドラゴンの種族は上位種でなくとも、それなりに知能は高い。言葉が通じなくても身振り手振りで人間の目的を理解できる程度の賢さはある。武器を下ろせば敵対の意思はないと分かるはずだ。
ドラゴンは一瞬動きを止める。そして俺の方をじっと眺めるように、その巨大な瞳を動かした。あくまでも中位種のはずなのに、その瞳は俺のよりもずっと大きい。
ドラゴンが急に体を捻ると、こちらに正面を向きその口を開いた。口内からエネルギーの塊が形成され、それが炎へと姿を変える。
「…っ」
その瞬間、炎の球が三発こちらの方へと向かってくる。瞬時に体を退けてなんとか回避するが、木があった場所はみるも無惨に燃えている。
「…殺すつもりか。」
あの一瞬の硬直から俺の意図はおそらく伝わっているはずだ。にも関わらず攻撃を仕掛けてきたあたり、どうやら穏便に引き下がってくれるつもりはないらしい。
瞬間、そのドラゴンは体を持ち上げる。俺の体をまるまる潰せるほどある足がまたこちらへと向けられた。俺はなんとか回避しながら、先ほどまで荷物を置いていた広場に身を滑らせた。
中身を軽く漁れば150センチはある大剣すぐに見つかる。なんとか壊されずにそのままだったらしい。
それを手にして、すぐにドラゴンの懐に入り込むように走っていく。体のちょうど中心、人間で言えば腹の部分にその長刀を突き立てる。この部分は胃袋と魔法を作るための器官があるはずだ。ここを差して仕舞えばかなりの深傷を負わせられる。
しかし間一髪のところでドラゴンが飛び上がってしまった。長刀は空を切り、辺りに風が吹き荒れる。ドラゴンはこちらに向けてまた炎の球を吐き出す。先ほどよりも高速にこちらを捉えていた。
「エルスフール」
即座に防御魔法を展開し、なんとか火の玉を防ぐ。一瞬で作ったためすぐに耐久性はそんなにないが、なんとか貫通せずに済んだ。
「アクアザブーン」
水魔法を展開して空飛ぶドラゴンの方へと向けていく。ドラゴンは水魔法をその体を捻らせて回避した。しかし体が大きい分、速度はそこまで速くないようだ。明らかに体制を崩している。
続いてもう一度、今度は回避した元へとまた水魔法を放った。ドラゴンはまた回避を試みるが、しかし今度は体の一部、背中と羽部分に二発直撃した。
ドラゴンの肌は硬いため、普通の魔法弾ならば当たったところで何もないだろうが、しかし水魔法となれば話は別だ。しかも今回は威力を上げた上位魔法であるため、なかなか聴いているはずだ。
体制を崩してドラゴンがふらっと地面へと落ちていく。その瞬間に俺はドラゴンの首元へと飛び上がった。
「じゃあな。」
大剣を思いっきり振り下ろせば、辺りに血飛沫が飛び散った。どしんとドラゴンの巨体が地面に落ち、すぐ後にその首も地面に落下した。
ドラゴンを鎮圧するならばその首を切るのが一番早い。下手に傷を負わせれば逆上して襲いかかって来られる可能性もあったし、何より下手に被害が広がれば、いくら山の中でも騒ぎがバレる可能性もある。夜が近づいているためリスクは低いだろうが、それでも速く討伐する必要があった。殺してしまったのも仕方ないだろう。
ドラゴンに当然息はない。首を切り落としたのだ、生きている方が怖い。
「…このままでいいか。」
ドラゴンの死骸を食べようかとも思ったが、もう食料は揃っている。それにもう日は傾きかけていた。今から加工するのも面倒くさいし、放置しておいていいだろう。
大剣には血がびっしりついているが、洗うのも明日にすることにした。血がそれほど付いていないし、こびり付いたとしても魔法を使えば大体落とせる。
「…うそ。」
長刀を荷物のそばに置き、そこら辺に放置していた食料を取りに行こうとしたところで後ろから声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには茶色…というよりは、黄金色に近い髪色をした一人の少女が立っている。年齢はちょうど成人を迎えたくらいだろうか、俺よりも一回り程度低い身長をしている。
「本当に炎龍を一人で倒してしまった…」
「見てたのか。」
少女はありえないものを見るような目でこちらを向いている。どうやら先ほどの戦い、というか討伐をあいつは目撃していたらしい。
「…お前、すごいな!」
その少女がこちらへと走ってくる。
「即席の防御魔法や水魔法だったのに何であんなに精度の良いものだったんだ?しかもドラゴンのあの首をを長刀で一撃って、どういう仕組みなんだ?そもそも何で魔法の切り替えをあんなに素早く行えるんだ!攻撃は一度も当たっていなかったよな!」
そして俺の手前で立ち止まると、どこか興奮冷めやらぬ様子でそう矢継ぎ早に捲し立てる。
「おいおいちょっと待て…」
「水魔法の速射が特徴的だったがあれはどうやっているんだ?防御魔法を菱形にしている理由は?そもそもなんで魔法と剣を両方使っているんだ?」
側から見てたと思えば、いきなりよく分からん捲し立てをされている状況がよく理解できていない。
「おい…マジでなんだよ。」
少女は俺の周りをくるくると回りながら何かメモをとっている。かつて仲間だったテクノが未知の植物や魔物を見た時みたいに興味津々そうにしていた。
「お前、名前はなんていうんだ?」
少女が俺の目の前にやってくると、その目を輝かせたままそう尋ねてきた。
「…センフ・カリスタ。」
「ふーん、センフね。この街にいるってことは冒険者か。パーティーに所属はしているのか?」
「冒険者って言えばそうだな。ただパーティーには所属していない。」
「ならソロで旅をしているのか。まあそのくらいの強さがあれば仲間は必要ないんだろうな。」
「…」
「どうした?」
「いや、なんもない。お前はなんて言うんだ?」
「ああ、自己紹介が遅れたな。私はユア。ユア・エルスターだ。」
黄金色に近い髪をした少女…ユアはこちらに視線を向ける。先ほどまで気付かなかったが、よく見るとユアの目は若干オッドアイなようだ。
赤と青、なんてわかりやすいものではなく、青と薄い水色、とでも言うのだろうか。遠目から見れば普通の目に見えるが実際はその色合いが多少異なっている。
髪色と目の色から察するに西方の街の出身だろうか。あの地域は黄金色の髪をした民族が多かったはずだ。
「そうか、エルスターさん。」
「長いだろう?ユアでいい。さんづけも不要だ。」
「…ならユア。お前はなんでこんなところにいるんだ?その様子じゃ冒険者ってわけでもないだろ。」
西の方を見ればすっかり日は暮れている。正確にはまだ日の光は多少あるが、もうしばらくすれば夜になるだろう。
ユアは武器の類も、魔法書も一見持っていない。身につけている衣服も冒険に適した身軽で丈夫なものではないように見える。いわば平穏な都市部に暮らす、ただの少女の姿とでも言うべきだろうか。
「ああ、それはこの辺りの植生を調べていたらこの山道に迷い込んでしまったんだ。」
ユアは手元に持っているノートを開いた。そこには近くに生えている植物の絵と、それに関するメモ書きがびっしりと刻まれていた。
「山の中で現在地もわからないし、これから日は沈んでくるし…で途方に暮れていたところ、爆発音がそちらから聞こえてきてな。ひとまず向かってみたら、まさにセンフと炎龍が戦っている最中だったというわけだ。」
「迷子って…お前、山には一人で来たのか?」
「流石に同行者をどこかに置いたまま、ここで道草を食うほど常識は欠けていない。」
「こんな山の中に一人で来る方が常識を分かっていないだろ。もう日も暮れるのに一人なんて、普通に死ぬ可能性だってあるぞ。」
近隣の都市部ならともかくここは広大な森の一角、いわば都市と都市のちょうど真ん中に位置するような人の手が届いていない場所だ。夜になれば獰猛な魔物が跋扈し、そもそも自分の位置を特定するのさえ難しいため遭難する危険もある。山の中に慣れているような人間でなければ、一人で訪れるのは自殺行為だ。
「…むう。」
俺の指摘に対し、なぜかユアは頬を膨らませる。
「山が危険なのは分かっている。だから街の皆にも止められた。」
「ならなんで…」
「でも、山の中には私の知らないことがたくさんあるだろう?近郊にはいない魔物も、ドラゴンも、ここには眠っている。知らない果実だってたくさんある。それがどうしても気になるんだ。」
「つまり、好奇心には勝てなかったというわけか。」
「一言で言えばそうなる。」
「たまにいるよなあ…危険を顧みず興味本意だけで突き進む奴。」
「私が視野が狭いバカとでも言いたいのか?」
「そこまで言ってねえだろ。そもそも俺はお前をバカにするつもりはない。ただお前みたいな人間を理解できないってだけだ。」
この世には己が好奇心だけで危険を顧みない人種が一定数いる。彼らは大抵、自分の欲望を何よりも優先し、自分の身さえ気にせず好奇心の赴くまま突き進む。そんな頭のネジが外れているとしか思えないタイプの奴はこれまでにも何度か目にしてきた。
「前のパーティーにもそんな奴がいたんだ。知らない武器や道具があるかもしれないと街中の店を巡っていたり、知らない植物があるかもしれないと周りを見ずに道草を食う奴だった。」
パーティーのリーダーがそんな調子だったから、他の冒険者よりもトラブルには多く巻き込まれた。1番人を待たせていたのも、戦闘職でもないのに1番死の淵に立っていたのも、テクノだった。
「パーティー?元々ソロじゃなかったのか?」
「少し前まではな。今は1人だけど。」
「へえ、お前が所属するパーティーなんてさぞかし強かったんだろう。」
「別にそうでもなかったぞ。はっきり言ってよくある中くらいのグループだ。」
「嘘だろう。お前ほどの実力者が所属していたのなら、そのランクも高かったはずだ。」
「さっきの戦闘だけで実力者って判断されてもな。」
確かに昔の仲間よりかは戦闘の実力はあっただろう。それにもっと前は一人で旅をしていた。そこやへんで野垂れ死ぬことなく命を繋ぎ止めていた時点である程度の力はあるのかもしれない。ただユアとはつい今し方、初めて出会ったのだ。俺が実力者と断言できる理由がわからない。
「先の討伐を見ていればわかる。魔法も剣も並外れたものだった。これまで数々の戦いを見てきたが、あそこまで心惹かれるのは2ヶ月ぶりくらいだ。」
「微妙な期間だな。ていうかお前、魔法の精度とかわかるのか。」
「これでも一応、魔法学校の生徒だったからな。最低限の知識はある。」
ユアは胸に手を当てて、どこか誇らしげにふんと鼻を鳴らす。
…ドンと胸部にぶつかる時に鈍い音がしたのは、きっと気のせいだろう。
「魔法学校の生徒…ってことは、お前も魔法使いか?ぱっと見そうには見えねえけど。」
「一応、そういうことになるな。」
「一応ってなんだよ。魔法使いのライセンスは持ってるだろ?」
ユアはその見た目的に、おそらく魔法学校を卒業しているくらいの年齢だろう。魔法学校を卒業した生徒はすべてでないにしろ、大抵が魔法使いの道へ進む。商人の子供が商人となるように、勇者の一族は勇者である運命のように、子供を魔法学校に通わせるのは大抵、魔法使いの人間だからだ。
だがどうも目の前の少女が魔法使いには見えない。魔力なんて見えないものを操る以上、魔法使いには大なり小なり魔力を纏っているため、オーラのようなものがある。しかしユアからそれを一歳感じない。
魔法を扱う人間は大抵、ライセンスと呼ばれる、自分が魔法使いであることを示す資格を持っている。大陸魔法協会が発行、承認しているそれは、裏の人間でなければ大抵は持ち合わせているものだ。
「ああ、五級しか持っていないけど。」
「1番下か…通りで魔法使いに見えないわけだ。」
「悪かったな。センフと違って全然魔法が使えなくて。私に才能はないから仕方ないさ。」
「なんでそんな卑屈なんだよ。」
なぜかユアは頬を膨らませて拗ねている。才能がないというのは確かなのかもしれないが、そこまで悲観的になる意味がわからなかった。
…いや、単純に俺の言い方が悪かったのかもしれない。1番下と言った時にユアの眉が下がったため、そこが気に食わなかったのだろう。
「俺の物言いが悪かったんなら謝る。馬鹿にするつもりはなかった。」
「別に謝ることではない。別にそこまで気にしていないし。」
「それは気にしてる奴のセリフだろ。気にしてない奴は気にしてないって言わないぞ。」
そもそもユアの表情から気にかけているのが窺える。今はただ強がっているだけなのだろう。
ぐぅー、と静かな森に呑気な音が鳴り響く。いわゆる腹の虫が鳴く音だ。
音がした方を見てみると、ユアが今度は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、その目を伏せていた。
「腹減ってるんだな。」
「うるさい、別に空腹ではないからな!」
「いや誤魔化せないって…」
ユアはまた俺に嘘をつくが、さっきよりもあからさますぎる。そもそもこんな夜中まで歩いていたのだ、お腹が空くのは自然の道理だろう。
「…一応そこに獣の肉と果物がある。食べるか?」
先ほど炎龍との戦いの際、荷物を置いた場所を指差す。ユアの視線が自然とそちらに移っていった。
「いいのか?センフの分だろう?」
「一人で食べきれない量あるから大丈夫だ。というかこんなところで遭難した人間を見捨てておくほど終わってはいねえよ。」
元々は保存用、というか明日の朝食用に余分に取っていたが、それくらいなくても体は持つだろう。少なくとも今は自分に敵対していない人間を見捨てるほど腐っていない。
「ならその好意に甘えさせてもらってもいいか?」
「構わねえよ。準備しているから少し待ってろ。」
「ああ…一応言っておくが、決してお腹が空いているわけではないからな。」
「だからもういいって…」
なぜか言い訳をするユアに対し、小さくため息をつきながら俺は食料の方へと歩いていった。
ユアと出会ってしばらく経ったのだろう、気づけば西の日が暮れていた。夜の森は魔物が活発になる上、そもそも周囲が見えなくなるため一気に危険な地帯へと変わり果てる。その上ここは山の中腹部に当たるため、もしかすれば気候も急に変化するかもしれない。夜の森では安全を確保するため、必然キャンプ地を準備するのが優先事項だ。
集めていたサンカスの枝葉は、そのほとんどが先ほど炎龍によって無残に潰されていた。しかし何とかその被害を免れた枝は一部残っており、先ほどの戦いで炎龍が潰した木々が散らばっていたため、思った以上に火をつけるための燃料は簡単に揃った。
「… なあ、これくらいでいいか?」
「ああ…」
俺が枝を焚べている傍ら、ユアはその両手に小さな枝や葉を集めては近くに置いていく。魔法で枝に火をつけるのは難しくないが、その加減を調整するのはなかなか難しい。燃料があれば楽なんだけどな、と呟いた時には、ユアはすでに動いていた。
「お前、腹減ってるんじゃなかったのか?」
「だからお腹は空いていない。」
「…そうだとしても、ここまで歩いてきたんなら疲れてるだろ。ゆっくりしててもいいんだぞ。」
焚き火の準備に取り掛かる前に、ユアにはそこらへんでゆっくりしておけと伝えていた。しかし何故かユアは、なんなら俺よりもずっと活発に焚き火の準備をしている。
「流石にセンフ一人に任せるわけにはいかないさ。食料を貰うんだ、これくらいのことはして当然だ。」
「ふーん、まあ、ありがとうな。」
他人に施しを受けるのなら相応の、そうでなくとも可能な限りの見返りを。最近知った普通の人間の間では当たり前らしいこの考え方を、目の前の少女もまた持っているようだった。
「フレイム」
ユアから貰った枝葉を組み木の中に入れて、そこに火をつける。強すぎるでは枝を一瞬で灰にしてしまうため、小さな炎を徐々に燃やしていく方がキャンプには向いている。
小さな炎は枝葉に引火し、やがてその勢力を強めていく。しばらくすれば腰ほどまでの高さの火が組み木の中に出来ていた。
「…フレイムか。」
「お前魔法使いなんだろ?フレイムは炎魔法の一番基礎的なものだし、周りにも使える奴はいただろ。」
「ああいや、そうではないんだ。」
ユアはかがんで焚き火の方を眺めている。その瞳が橙色に染まって揺れる。
「火種をつけるのに、簡単な魔法を使うなんて知らなかった。焚き火は最初からこのくらいの大きさの火を出す魔法を使うと思っていた。」
「別に最初からバーニングを使うのもいいが、火力の調節が難しいんだよ。多少時間をかけても、こっちの方が夜を過ごすには向いている。」
魔法という点であれば、フレイムよりもずっと強力な炎を出すことだってできる。ただ大きな力は制御するのが難しく、すぐに組み木を燃やしてしまうため長くは続かないのだ。
「センフはすごいな、こんなことを知っているなんて。」
「たまたまだ。組み木も火の調節も、昔やったことがあるんだよ。」
十分に火が安定してきたところで、あらかじめ枝に刺しておいたトラフを火の方にくべる。このトラフは死んでから時間が経っているし、魔力を抜き出す作業もしたので食べても害はないだろう。
「そこら辺に生えている植物の名前なんて、お前みたいに知らないし見分けもつけられない。食べれるか食べられないかくらいは判別できるけどな。」
先ほど軽く見ただけだが、ユアのノートは植物一つとってもかなり詳細に書かれているようだった。しかもそのノートはかなり分厚く、その全てに植生やら魔法やらが書かれているのなら、俺よりも圧倒的な知識量を持っているだろう。
「そうは言っても、私はただ興味本位でこんなのを作っているしているだけで…センフのように何かの役に立つわけではない。」
ユアは手元にあるノートをギュッと抱えている。誤って手を滑らせて仕舞えば灰になってしまうかもしれないからだろう。その仕草からユアがどれだけそのノートを大切にしているかなんてわからないはずがない。
「それでもその知識は俺にないものだ。仮に俺を高く見ても、だからって自分を下げる必要はないだろ。」
「…そうか。」
ユアはどこか小さく頷くと、より一層そのノートを強く抱きしめた。
しばらくすればトラフが食べ頃になっていた。肉を切り裂いて生焼けになっていないか確認すると、しっかりと中心まで茶色に変わっている。
「ほい、もう食べられるぞ。」
「お、ありがとう。」
切り裂いたのとは別に焼いていたトラフを手渡せば、ユアは嬉々とした表情でそれを受け取る。
心なしか頬が緩んでいるあたり相当楽しみにしていたのだろう。なんならヨダレちょっと出てるし。これで空腹じゃないって流石に無理がある。
「じゃあいただきます。」
「いただきます。」
二人で手を合わせてトラフの肉を頬張る。やはり凶暴な性格のトラフは筋肉質であり、街で売っている家畜の肉より硬い。ただそれでもどこか甘みがありジューシーなのでそれなりに満足感がある。
ユアの方を見てみれば、幸せそうにトラフの肉を頬張っている。今日狩った中でおとなしめだった個体を渡したのもあるのだろうが、食べるスピードが俺よりも速く、もう半分も平らげていた。
「…本当にお腹空いてたんだな。」
「何か言った?」
「いや別に。味は大丈夫か?トラフの肉は好き嫌いがどうしても生まれるからな。」
「それなら心配ない。食べるのは初めてだけど、とても美味しいよ。」
「ならよかった。…食べるのに抵抗とかはないんだな。トラフは一応魔物だぞ。」
人によっては、というより普通の人間は魔物を食べること自体に抵抗がある。何の処理もせずに食べて仕舞えば、それこそ魔力を放出しないまま食べて仕舞えば体にそれなりの影響はあるからだ。
「魔力はきちんと処理しているんだろう?それに火が通っているなら菌にかかることもない。」
「そういった問題じゃ…まあいいか。」
魔物を食べること自体に忌避感を抱いていないのは、良くも悪くも俗物に対する偏見がないからだろう。そして論理的な根拠を持って安全だと判断しているから口にしているのだ。
「…ユアって五級なんだよな。」
「確かに魔法使い五級だ。何か文句があるか?」
「そうじゃなくて…お前、五級にしては魔法に詳しくないか?魔物の毒とか、魔法の精度なんて単語を聞くは思ってもみなかったぞ。」
魔法使いのライセンスを持っている以上、もちろんユアはある程度の魔法について知識を持っているはずだ。しかし五級なんて1番下のライセンスは、魔法にはいくつかの種類があることや基礎的な魔法の打ち方を知っていれば、それだけで十分である。
「五級のライセンスを取るくらいなら、魔物はただ魔力を持つ危険な生き物としか教わらないだろ。魔力を抜けば害がなくなるなんて、どうして知っているんだ。」
「それなら街の人間から教わった。実際に魔力を処理するところを見るのは初めてだったけどな。」
「ふーん…ならあんなに魔法の精度に詳しいのは?」
ユアは俺の魔法を見ただけでその精度…もっと言えば、その特徴を見抜いていた。魔法は人によりある程度個性が出るが、些細な違いを見抜くのは簡単なことではない。少なくともライセンス五級の人間にとっては至難の業とすら言えるのではないだろうか。
「魔法について調べるのは好きなんだ。だから学校で学んだこと以外にも自分でいろんな魔法を研究している。」
「また独学か…そんなに魔法に詳しいならもっと上の階級取れよ。そっちの方が色々便利だろ。」
「知識として知ってても、実際に扱えないんだ。四級を取る魔法すら私にはままならないんだよ。」
「ああ、そういうことか。」
どうやらこのユアという少女、根っからの研究者気質があるらしい。それゆえ知識だけが先行し、実践が追いつかない。ライセンスが五級で止まっているのも、知識面に関しては十分すぎる理解があっても、実技が追いついていないためだ。
「…お前どうやって生活してるんだ。見たところ冒険者ってわけじゃないし、街で働いてたらこんな山奥には来れねえだろ。」
魔法のライセンスを持っている人間は、その多くが魔法使いとして旅をしたり魔法協会の役員になったりすることが多いのだが、少なくともユアを見た感じ魔法使いとして仕事をしているようには見えない。
「今は正式な仕事をしていない。親が街でそこそこの事業をしているから、養ってもらっている。」
「ああ、だから呑気に山の探索なんてできるわけだ。」
「呑気にって…やっぱり馬鹿にしてないか!?」
「のんびりしてるっていいことだろ。」
やっぱり俺の言葉がユアには馬鹿にしているように
聞こえているらしい。4年間旅をしていた仲間に度々注意されても、どうしても直らなかった部分だ。
「そもそも私のこれは探索ではない。私の人生を賭けた研究だ。父に認めてもらうためのな。」
ユアは手に持ったそのノートをビシっと握りしめる。それなりの力をかけているはずなのに、ノートのカバーは一切崩れない。
「…研究、お父様?話が見えてこねえんだけど。」
「ライセンスをとった時に、旅へ出ようとしたんだ。この世界には私の知らない魔法が、自然が、都市がある。本でしか見たことのないそれらをこの目で確かめたかったんだ。」
「旅って…一人で?」
「ああ、当然反対されたよ。お前にはまだ早いってね。」
「そりゃそうだろうな。いくらライセンスを持ってても危険すぎるし。」
両親がユアの旅に否定的になるのは無理もない。魔法使いとして最低限のランクしか持っていなければ、自分の身に何かが起きた時にまともに戦うこともできないだろう。それに何よりこの少女は、一人で旅をするには幼すぎるように思える。
「お父様は私をまだ子供扱いしているんだ。もう大人になっているのに、私の自由にさせてもらえない。私の研究も、遊びの一環だとそう思っている。」
「だからこんなところまで来たのか?その研究とやらのために。」
「その通りだ。私の本気を見て貰えば、父も気が変わるかもしれない。私のことを認めて、旅をさせてくれるかもしれないとな。」
ユアは手元のノートをさらに強く握りしめる。おそらく無意識に出たその行動が、ユアの気持ちの強さの表れだろう。
森の中に焚き火が木に擦れる音がした。大きな風が吹き寄せて、火が少しその形を変えるが、またすぐに元の姿に戻った。
「…ガキだな。」
「はあ、お前今なんて!?」
俺のそんな呟きに、ユアが目を見開いてこちらの方を見た。少し時間をかけて、なるべく当たり障りのない言葉を選ぼうとしたが、どうやらまた失敗したらしい。
「だからユア、お前はガキだって言ってんだよ。」
今更言葉を撤回することも無理だろう。だから敢えて、ユアにとっては厳しい言葉を俺は繰り返した。
「私が子供なはずないだろう?こんなに身長も育っているし、体も…」
「…体?」
「いや、何もない。」
ユアは両手で何かの仕草を取ろうとして、しかし一瞬で硬直してその手を下ろす。その頬にはうっすらと赤が浮かんでいるのが、焚き火によって見えた。
もう今出ている言葉の時点でろくなことを言おうとしていなかったのはなんとなくわかるが、掘り下げても意味がない。
「とにかく私はもう成人もしている、魔法も最低限扱える。それなのにガキだなんて、どういうことだよ?」
「体つきとか年齢とかそういうことじゃない。ただお前の精神性の話だよ。」
「精神性って…」
「研究のために旅をしたいってのは立派だ。ただ両親が止めているのに、自分勝手な考えで旅をしたいってのはわがままじゃないか?」
俺がそう言えば、ユアは黙り込む。
「そもそもお前、なんで親が一人での旅を拒んでいるのか理由は知ってるのか?」
「それは…私がまだ幼いと思って」
「違うな。お前の両親が反対している理由は、多分ユアを危険な目に合わせたくないからだ。」
冒険、旅、それ自体には様々な危険が伴う。魔物に襲われることもあれば、盗賊に狙われることもある。十分に戦える技能がなければ、一人でなくても定住地を持たずに放浪するのは危険な行為なのだ。
「さっき山の危険性はわかってるなんて言ってたけど、あれほんとか?」
「もちろんだ。山は気候が変わりやすいし、魔物が多いのだろう。だから雨が降ってもすぐ凌げる準備はしていたし、山を歩く時も魔力探知によって危険がないかずっと確認して歩いてきた。」
「…やっぱわかってないな。」
「はあ?」
「お前は山の危険性を知識として持っているだけだ。十分な対策をすれば危険に合わないと思ってるだろ。」
ユアの性格を見るに、山の特性に関しては俺よりも知識を持っているのかもしれない。しかしユアが兼ね備えているのはあくまでも本の中の知識だけだ。
「魔力探知に引っかかった時には、魔物がすぐ近くまでいたらどうしてたんだ?急に雨が降って地形が崩れた時に何をすればいい?」
「魔物がすぐそばに寄っていれば、全速力で逃げる。崩れそうな地形があればすぐにその場を離れるさ。」
「それかわ最適だろうな。でも多分お前じゃできない。なぜならお前は魔法使いとして、それ以前に探索者として一人前ではないからだ。」
所謂机上論とでも言えばいいのだろうか。ユアが語っている危険への対策は、結局のところ絵空事であり、現実味がない。
「旅に必要なのは何かあった時に対処できる力だ。冒険をしていれば予想外の出来事なんていくらでも現れる。魔物に襲われた時、迷子になった時、金がなくなった時、魔法でも何でも対処できなかった奴から死んでいくんだよ。それが旅だ。」
ユア・エルスターは人として弱すぎる。少なくとも魔法使いとして五級の資格しか持っていないのならば、自身の身に及んだ危険に一人で対処するのはおそらく不可能だ。
「現にお前、迷子になってるしな。これは予想内のことだったのか?」
「いや…」
ユアは歯を食いしばり、悔しそうな、苦しそうな表情を浮かべている。おそらくユアにとっては信じ難いというより信じたくない事なのだろう。だが、現実はいつも残酷であるものだ。
「今回はたまたま運が良かったが、普通なら多分お前は死んでいたか、重い怪我を負っていたと思うぞ。」
「今回は失敗したが、次からはもっと山の危険性を考えて対策を考えれば大丈夫なはずだ。」
「無理だな。いくらお前が山の特性について知識を深めようとも、いつか必ず予想外のことに出会うはずだ。」
「なんでそう言い切れる…」
「全ての出来事が予想できるなら旅をする意味なんてないだろ。旅ってのは未知に触れることだ。」
もちろん旅の道中において、旅や魔法、植生に関する知識はあった方がいい。ただ、その全てを知るのはほとんど不可能なことなのだ。もしそれが可能ならば、未知を踏むという旅の意味自体がなくなる。
「お前は山の危険性を知ってはいるが、真に理解はしていない。そしてその予想外に出会った時、太刀打ちする力を持っていない。だからお前の両親は旅に出ることに反対してるんだよ。」
今回の場合、間違っているのはユアの方だ。自分の力を過信し、あるいは楽観視し、何とかなるだろうなんて考えているその甘さに原因がある。
「そんで危険だ、なんて言う町の人間の言葉に耳を貸さず、山の中に好奇心だけで入ってきたお前はガキだって俺は言ってんだ。」
「…」
ユアは最早反論することなく黙り込んでしまった。視線を下の方に向けて、地面を睨みつけている。
少し言いすぎたか、と小さくため息をつく。焚き火が先ほどよりも弱まっていた。近くにあったサンカスの枝を数本火の中に投げ入れればまたその勢いが強くなる。
「…わかっている。わかっているさ。私が弱いことなんて。私に旅なんてできないって。」
焚き火が、また腰の高さ程度まで燃え上がった瞬間、まるで炎が湧き上がるのかを待っていたかのようにユアが口を開いた。或いは単に自身の言葉を火の中に隠そうとしたのかもしれない。
「だがどうしても私は旅をしたいんだ。生まれてこの方、ほとんど街から離れたことがない。世界の広さを知らない。生き物の豊かさを知らない。ずっと閉じこもったまま、狭い世界で死にたくないんだ。」
「わがままだな。やっぱお前はガキだ。」
「別にガキでも構わない。わがままというのならそうなのだろう。でもそのわがままを諦めるしかないのか?私は狭い世界で生きていくしかないのか?」
「…さあな。真に人ってのは自分のことしか理解できないもんだ。」
共に旅をしてきた仲間が急にいなくなった。心が通じ合っていると思っていたのに、曖昧な理由で、まるで邪魔だというように追放を宣告された。四年一緒にいる仲間たちとの結末すら予想できていなかったのだ。出会ったばかりの少女の未来なんて、わかるはずもない。
「ただ、これだけは言える。お前の望みがわがままになってる理由は簡単だ。ただユア自身に実力がないから。旅をする力がないからだ。」
「そんなの…わかってる。」
「本当に旅をしたいのなら、世界を知りたいのなら、強くなればいい。旅をする力を持てば、お前のわがままはただの野心になる。」
冒険とは常に予想外の連続だ。その予想外に対処できない奴から死んでいく。逆に言えば、何があっても対応できるのならば、生き延びることができる。世界を知りたいという希望は、冒険者のありふれた感情になる。
「…強く、か。」
ユアは手元の棒を一つ手に取ると、それを火の中へと放り込む。先ほどよりも火の勢いが強くなった。
「強くなるにはどうすればいい?」
「そこまでは知らん。魔法使いとしての実力を上げるなら魔法学校にでも行けばいいんじゃないのか?」
正直、魔法使いとして、剣士として、僧侶として強いというのは己の才覚や努力によって形作られる。強ければ生き残れることは知っているが、どう強くなるかなんて俺にはわからない。そう考えれば、俺が今こうして生きているのは、運が良かったと捉えることもできるだろう。
「…そうか。」
風が木々を揺らす音が響き渡る。パチパチという木が燃える音が彩りを与えていた。中々に饒舌だった少女の口は、しかし今は閉ざされている。
「今日はもう遅い、とりあえずもう寝ろ。」
月明かりの位置的に、夜になってある程度時間が経っている。この時間帯ならば街はおそらく閑散としているが、それでも住人はまだ蝋燭を焚き付けて、あるいは雷魔法を用いて灯りを確保し、家で団欒に更けているはずだ。ただ野宿は疲労が溜まる上、光を確保するのも難しい。寝てしまうには十分な時間である。
「寝るって、ここで寝るのか?」
「当たり前だろ。今から山を降りるのなんてそれこそただの自殺行為だぞ。」
ユアと出会った時、もっと言えば炎龍を倒した時点ですでに日は傾きかけていた。あの時間帯ですら山を降りるのは危険なのに、今の時間帯では命の保証なんてまるでない。
「魔物が襲ってきてもちゃんと守ってはやる。流石に俺もそこまで非情じゃない。」
「いや、そういうことではないんだが…」
「なら何が不満なんだよ。」
「不満というより疑問だ、布団どころか寝袋の類もないだろう?これでどうやって眠ればいいんだ?」
「そんなん地面に寝そべればいいだろ?余った枝を枕にでもしとけ。」
「いや、流石に。」
ユアはどこか躊躇いを浮かべる。しかしそれも一瞬で、すぐに頬をキュッと閉めた。
「…わかった。そうする。」
「…」
ユアは胃を結したように首を縦に振ると、近くにあったサンカスの枝をまとめ始める。足の縦の大きさほどまでそれらを積み上げると、その上に布を一枚引く。職人技で縫われたのだろう、繊細な構造をしているそのハンカチのようなものの一部が土に汚された。
「明日はどうするつもりだ。」
「色々考えたけど、家に帰ろうと思う。今日は両親へ何も知らせずにここに来たんだ。」
「帰れるのか?」
「さあな。もしかすればずっと迷子かもしれない。」
ユアはなぜか笑っていた。都市部から離れた山の中で彷徨っているのに、泣き喚くこともなければパニックになっていないのは、ただ単に楽観的なのか、あるいは胆力が強いのだろうか。
思えばユアは、初めて出会った時からずっと迷子だったのに、そのことを不安視していない。
「お前ってどこから来たんだ?この辺りならカンナグの街か?」
「いや、バングスルーだ。私の家はそこで武器屋をやっている。」
「…お前が冒険したくなる気持ちが少しだけわかるな。」
この山の近くには3つの都市がある。バングスルーは大規模な都市の間にある街だ。別名武器の街と呼ばれるほど武器商人や鍛冶屋が多く、その立地も含めて多くの冒険者が立ち寄る所でもある。一度町の中心部にたどり着けば、そこには各地から集まった冒険者の姿があるはずだ。
「私の店には冒険者が武器を買いに来るんだ。時折、旅の中の出来事や不思議な生き物の話なんかを彼らはしてくれた。」
「世界を見てみたいと思ったのも、その冒険者たちの影響か?」
「もちろん全てではないが、それでも大部分が彼らのせいだな。」
ユアはどこか物憂げに笑みを浮かべる。街の中で、冒険者の話を聞いていた幼き頃のユアもこんな表情をしていたのだろうか。
「私は甘かった。彼らの話を聞いて、冒険は楽しいものだと、自由なものだと楽観視していた。」
「仕方ねえよそれは。普通街の娘に、冒険者が旅の悪い部分を話すわけないし。」
「そんなことも考えずに私は旅に出たいと言い続けたわけだ。センフの言う通り、私は呑気な奴だ。」
「…呑気な奴の方が旅には向いているけどな。」
「さっきと言っていること矛盾してないか?」
「適性はないが向いているって話だ。冒険ってのは呑気な奴から死んでいくが、同時に何事も楽観的に考えられる奴が一番楽しめるんだよ。」
そういった意味では俺はやはり旅には向いていないのかもしれない。ユアには散々冒険の危険性を教えておいて、その楽しさなんて何も話をしていないからだ。
冒険者をしているのは、それしか選択肢がなかったから。生きていくために仕方なく旅をしていた。少なくとも数年前までは確実に。
「お前は案外、冒険者に向いてるかもな。植生やら魔法やらに興味があるんなら、多分旅は楽しいだろう。」
「センフは旅が楽しくないのか?その言い草だと私にはそう聞こえる。」
「さあ。」
「さあって…そんな他人事みたいに。」
「自分でもわからなくなった。昔は楽しんでた気もするし、最初から楽しくなかったのかもしれない。ずっと冒険者だったからそもそも比べられない。」
もし仮に少し前の自分に対して同じ質問をされていたなら、躊躇いなく肯定していただろう。少なくとも仲間と旅をしていた時は、様々なハプニングがあれど、生まれてから一番幸せな時期だったと、そう断言できるほどには楽しかった。
「センフ…お前は。」
ユアが何かを言いかけようとして、しかしその言葉の続きは繋がらない。何かをためらうようにその口を固く閉ざした。
「バングスルーから来たんだったよな。明日街まで送り返してやるよ。」
「え…」
「魔法を使えばある程度の方角はわかる。迷うことはない。」
「いや…いいのか?センフにとっては無駄足だろう。」
「別にそんなことねえよ。ちょうど武器の点検や買い出しをしたいところだったからついでだ。」
先ほど龍の首を切り落とした剣はおそらく表面が返り血で汚れているだろう。それに剣を振り下ろした時に、刃が滑らかに入りきらなかった。もしかすれば表面が少し削れているのかもしれない。点検は必須だろう。
そもそもこんな山中で出会った街女を見捨てておけるほど心は死んでいない。放っておけばユアの命に関わってくる。
「明日は朝早く出る。もう寝るんだな。」
「わかった。」
ユアは素直に頷くと、サンカスの木の束を枕にして地面に横たった。
「改めて礼を言っておくよ。ありがとう。」
「別に何もしていないし、これからも何もしない。感謝するなら勝手にしとけ。」
「…そうか。それじゃあおやすみ。」
「ああ、おやすみ。」
ユアは静かに目を閉じた。焚き火の奥からその寝顔がよく見える。
よほど疲れていたのだろうか、数分もすれば小さな寝息を立てて夢の中に入っていた。こんな環境下でもすぐに眠れるのは良くも悪くも楽観的なのだろう。そんなユアを少し羨ましく感じる自分がいた。




