第10話 女王
昨日少し深酒して、心地よい眠りの中にいた俺は、執拗に扉を叩く音で眼を覚ました。
「……………………う〜ん……。誰だよ、こんな朝っぱらから……」
どうやら昨夜は、深酒が過ぎたらしい。まぶたの裏に差し込む光が疎ましく、こめかみの奥には鈍い重みが残っている。
なおも耳元で、今度は『コンコン』と、断続的に扉を叩くノックの音が鳴り続けている。
「…………なんだよ。まだ夜も明けてないじゃないか。一体誰だ……」
寝ぼけた頭でそこまで考えて、はたと気が付いた。 ここは魔境の真っ只中。いまだ、この拠点に住んでいるのは俺、ただ一人。
当然、俺を訪ねて来る者など存在しないはずだ。
居るとするなら、それは――「侵入者」だ。
「どうして……!? 結界の警報音は鳴っていなかったはずだぞ」
一気に血の気が引き、アルコールが急速に抜けていく。急ぎマップの確認を行うと、俺は思わず息を呑んだ。
「……なんだ、これ……?」
表示されているのは、拠点を中心とした広大な警戒域。だが、その青い透過画面は、これまでに見たこともないほどの「白い光点」で埋め尽くされていたのだ。
数十、いや、百……いや、数百か。 恐ろしい密度の白い光点が、まるで俺のマイホームを飲み込むかのように包囲して展開している。
敵対を示す「赤」ではない。だが、この結界は「悪意」や「害意」を持たない者には反応しない仕様だ。 となれば、今も『コンコンコン』と、若干の勢いを増しつつ玄関を叩き続けている相手は、この聖域を司る原住民の方々の誰かだろう。
(……不法滞在者の、強制退去にでもいらしたのでしょうか?)
背筋を冷たい汗が流れる。 どうする? このまま、居留守を決め込むか? いや、この某国営放送の集金員並みの執拗さだ。逃げ切れるとは思えん。
『コンコンコンコン!』
扉の向こうの人物の苛立ちをそのまま映し出すように、叩くペースが一段と速くなっていく。 もはや、なるようにしかならんか…………。
俺は覚悟を決めると、寝癖を乱暴に手ぐしで整え、急いでコートを羽織った。念のため、腰に剣を差して身支度を整える。
緊張で強張る喉を一度鳴らし、俺は震える手でドアのロックを解除した。
「……はいはい、今開けますよ」
そう声を絞り出し、俺はゆっくりと扉を引いた。
ゆっくりと扉を開けた瞬間、俺の視界を埋め尽くしたのは、朝露に濡れた聖域の森と――空を舞う、圧倒的な数の鳥の群れ…………いやハーピーたちの大群だった。
薄闇の中に差し込み始めた朝焼けの光を背に、数百体のハーピーたちがホバリングしながら、一斉に俺を凝視している。数千枚の羽が空気を叩く低いうなりが、玄関先にいた俺の全身を震わせた。その光景は幻想的というより、もはや暴力的なまでの迫力がある。
そして、その群れの中心、俺の目の前。 一人のハーピーが宙に浮いたまま、胸の前で腕を組み、精一杯ふんぞり返っていた。その後ろでは昨日助けた5人の娘が、空中から俺に向かって手を振っている
「……ふん。ようやくツラを見せたな。貴様が、我が娘たちを助けたという殊勝な者かえ?だが、わらわを待たせるとは何事だ!わらわはハーピーが女王コルネリア28世ぞ。敬うがよいぞ!」
眼前に浮遊するその少女――もとい、女王コルネリアは、小柄な体を精一杯大きく見せるようにふんぞり返り、空中で胸を張った。
昨日助けた少女たちと同じく、見た目は中学生かそこらにしか見えない。だが、その背にある七色の翼は、朝焼けの光を弾いて神々しいまでの輝きを放っている。腰には一目で業物と判る、魔力の宿った細剣を差して、彼女が数百の羽持つ民を統べる長であることを示していた。
不遜な口調。尊大な態度。 だが、その顔にはあどけなさが残っており、その瞳の奥には、不安や緊張、それを悟られまいとする必死な虚勢が透けて見える。まるで、必死に頑張ってる、小学生の学級委員長のようで、俺の保護欲をくすぐってくる。
『よく頑張ってるな!』と思わず頭を撫でそうになるが、今の時代、下手な事をすればセクハラ行為で、即逮捕とかなりかねん。この世界で逮捕は無くとも、周囲を取り囲む数百人の親衛隊から一斉に掃射を浴びるかもしれん。気を付けねば。
「……これは、失礼いたしました、コルネリア女王陛下。昨夜は少し、酒を嗜みすぎてしまいまして。お待たせして申し訳ない」
俺が恭しく一礼すると、一転してコルネリアは機嫌がコロリと良くなった。
それまでの険のある表情はどこへやら、パッと顔を輝かせると、ふんふんと鼻を鳴らして満足げに何度も頷いている。どうやら「女王」として扱われたことが、彼女の自尊心を大いに満たしたらしい。
「ふむ! 礼儀をわきまえておるではないか。よろしい、その殊勝な態度に免じて、わらわを待たせた不敬は不問にしてやろう。」
その様子に少しだけ安堵しつつも、俺は本題を切り出すことにした。これだけの軍勢を連れて、夜明け前にアポなし訪問だ。ただの挨拶で済むとは思えない。
「……それで、陛下は早朝から何用でここまで?」
俺は平静を装いながら問いかけた。だが、心の内は穏やかではない。
(頼むから、強制退去にやって参りました! とかは止めてくれよ……。せっかく建てたマイホームなんだ、住宅ローン(魔力)だってまだ残ってるんだぞ……!)
もし「不法占拠」を理由に立ち退きを命じられたら、俺は間違いなくこの場で、銀行員時代に培った最上級の謝罪の構えを披露することになるだろう。
俺の問いに、コルネリアは一瞬だけ「はっ」としたように表情を引き締めた。そして再び、空中で胸を反らし、指先で俺を指し示す。
「……昨日、わらわの娘たちが貴様に世話になったと聞いた。傷を癒やし、あまつさえあの忌々しいオークどもを掃討したとな。相違ないかえ?」
「……まあ、大体あってますね」
俺が少し気圧されながらもそう答えると、彼女は空中でふんぞり返り、ふんふんと満足げに頷いた。
「わらわは誇り高き一族の女王。一族の者が助けられたのに、わらわが挨拶もせぬとあっては女王の沽券に関わろう。今日は、娘たちの命を救われた礼を言いに来たのだ。感謝せよ!」
「…………えっ、お礼、ですか?」
拍子抜けして問い返すと、コルネリアは「な、なんだその顔は!」と顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。
「当たり前であろう! わらわは義理堅いのだ! 女王なのだ! 貴様のような、どこの馬の骨とも知れぬ者に借りを作ったままでは、夜も眠れぬわ!」
そう言い放つと、彼女はパチンと小気味よく指を鳴らした。 すると、待機していた昨日助けた5人のハーピーたちが、ずっしりと重そうな大きな籠を俺の前に静かに置いた。
籠の中には、獲れたてで銀色に輝く立派な川魚や、美味そうな果実が山盛りに詰まっている。
「お前のような一人暮らしの男は、どうせ碌なものを食べておらぬのだろう? 感謝して食べるがよい。わらわが直々に選別した、特級の品々なのだぞ!」
(お土産持参でわざわざお礼に……。ほんと、結構義理堅いのな)
てっきり「不法占拠だ! 出て行け!」と詰め寄られるものとばかり思っていた俺は、拍子抜けすると同時に、彼女の律儀さに感心してしまった。
「……痛み入ります。ちょうど朝飯の材料に困っていたところでした。ありがたく頂戴いたします、陛下」
俺が再び恭しく一礼すると、コルネリアは「ふふん!」と、これ以上ないほど満足げに胸を張った。頭上の小さな冠が朝日に反射してキラリと揺れる。
「お母様、もう! 威張りすぎだってばぁ!」
「そうだよ、お兄様びっくりしてるじゃない!」
女王の背後から、見覚えのある顔が飛び出してきた。昨日助けたフィアとミィアたちだ。彼女たちは俺の姿を見て、パタパタと空中で跳ねるように嬉しそうに手を振っている。
「黙っておれ、お前たち! 外では女王陛下と呼べと言っておろうが!」
コルネリアは顔を真っ赤にして娘たちを叱り飛ばすが、その様子は、威厳云々というより、微笑ましい姉妹喧嘩に近い。威厳の欠片も見えない。
彼女は再び俺に向き直ると、少しだけ表情を和らげ、どこか誇らしげに俺を指さした。
「……娘たちから聞いた。あの醜きオークの群れから、身を挺して娘らを守ったとな? おまけに傷まで治してくれたというではないか。わらわの大切な娘たちの命を救われた恩、決して忘れぬ。世話に成った」
そう言って深く頭を下げるその言葉には、先ほどまでの虚勢とは違う、一族の長としての、そして何より一人の母親としての真摯な響きがあった。




