プロローグ
「はぁぁぁ~~、またかよ……」
乾いた音が六畳一間のアパートに響き、ゲームコントローラーが床に転がった。
俺――稲葉竜司は、絞り出すような溜息とともに、使い古されたソファーへ深く背中を預けた。天井の安っぽいシーリングライトがぼやけて見えるのは、連日の画面注視による眼精疲労のせいか、それとも拭い去れないやるせなさのせいか。
テレビ画面には、傷だらけで地に伏せ、二度と動かない男の姿。そして、その絶望を嘲笑うかのように、中央には『GAME OVER』の文字が虚しく明滅している。
「……にしても、このゲーム、どうなってんだよ」
やるせない気持ちを誤魔化すように、サイドテーブルに置いた缶ビールを煽る。ぬるくなった液体を喉に流し込み、間髪入れずにタバコに火を着けた。深く吸い込み、紫煙を吐き出す。煙が暗い部屋の隅へと消えていった。
『アウグスト戦記』。 剣と魔法、人族、エルフ、ドワーフ、竜人、獣人、そして魔族。様々な種族が時に争い、時に手を取り合って暮らす大陸を舞台に、君主となって大陸の覇王を目指す、国盗り国家運営シミュレーションゲームだ。
俺がこのゲームに出会ったのは3年前。
都内の銀行に勤める三十路のサラリーマンである俺は、そこそこ優秀な行員として評価され、それなりに忙しい日々を送っていた。
決してモテないわけじゃない。だが、ここ数年は浮いた話の一つもなかった。
理由は明白だ。仕事以外のほぼ全ての時間を、この「1,000円のクソゲー」に捧げていたからだ。
地元のゲームショップのワゴンセールの隅で、まるで何かに引き寄せられるように手に取ったそのパッケージ。聞いたことも無かったそのタイトルを、吸い込まれるような美麗なイラストに釣られて買ったのが、底なし沼への第一歩だった。
これまでに費やした時間は数千時間を超えるだろう。だが、俺はいまだに「納得のいくエンディング」を迎えたことがない。
初期君主8人、隠し君主2人。その全員が最後には悲劇の中で命を落とす。
領民を逃がすための玉砕、圧倒的軍勢を前にした自害、あるいは身内による毒殺……。どんなに知略を尽くし、内政を整えても、最後には「武神」を掲げる圧倒的な軍事力の前に、俺が愛した君主たちは泥沼に沈むのだ。
「……努力が報われないハッピーエンド抜きなんて、趣味じゃないんだよ。俺は、アイツらが幸せそうに笑う顔が見たいだけなのに。どんなに完成度が高かろうが、あんなに一生懸命生きてる奴らが救われないなら、とんだクソゲーじゃないかよ」
掲示板も攻略サイトもなく、知り合いに聞いても誰も知らない謎のゲーム。
だが、そのリアリティは異常だった。プレイしていると、まるで己の意識が画面の向こうへ入り込み、君主たちの怒りや悲しみを自分のことのように追体験してしまう。
それぞれの君主の怒り悲しみ喜びまでがまるで己の事の様に感じられてしまう、それ程の完成度の高いゲ-ムの中で、俺は毎度そんな君主達と共に笑い怒り悲しみながら共に戦ってきた。
だからこそ、報われてほしい。その一心で、サラリーマンとしての余暇の時間をすべて注ぎ込み、俺はコントローラーを握り続けてきた。
「……ふぅ。あと少しだけ……。眠そうな顔で出勤したら明日、また支店長に何を言われるか分かったもんじゃないしな」
最後の一本と決めたタバコを灰皿に押し付け、スタート画面に戻る。 すると、見慣れないアイコンが一つ増えていた。
「おっ、新キャラか……? 魔族?」
画面に現れたのは、闇夜のような漆黒 of 長髪をなびかせ、深紅に輝く瞳を持つ青年、ラルフ。
「名前は、ラルフ。……ステータス、うおっ、なんだこれ!?」
ラルフ 男 種族:魔族
【魔力】 MP:720 / 720
【ランク】 E
【スキル】 剣技:LV1
【種族スキル】 闇魔法:LV1、時空魔法:LV1
【固有スキル】 真祖:LV1
「魔力が桁違いだ……。それにランクは最低だが、種族スキルも有用そうだな……」
画面を見つめる俺の指が、かすかに震えた。
※真祖:LV1 魔力を分け与え、対象を眷属とする。眷属の活動から生じる魔力の1%を常時主に還元する。
(……1%の還元。一人一人は微々たる量でも、人口が増えれば増えるほど、俺の魔力は底なしに膨れ上がっていく。これまでの君主たちがぶつかっていた『魔力不足』という壁が、このスキル一つで消滅するぞ)
「……なるほど。真祖で『膨大な魔力』を確保する……このラルフというキャラ、これまでの無理ゲーを根底からひっくり返すために用意された、唯一の『正解』なんじゃないか?」
深夜1時。僅かに残っているサラリーマンとしての良識が「寝ろ」と警鐘を鳴らす。 だが、震える指先はすでに「決定」ボタンを押していた。こんな「希望」を見せられて、プレイせずにいられるわけがない。
「せめて、オープニングだけでも……」
ラルフを選択し、決定ボタンを押す。 いつもとは違う、猛烈な勢いのローディング画面。画面に映し出された大陸マップが、信じられないほどの密度でズームされていく。
カメラは大陸を横断し、東端の森林地帯へ。視界を覆い尽くさんばかりの、巨大な大樹。 「おいおいおいおい! なんだこれ! 演出がリアルすぎるだろ!」
上空から青い海と美しい白い砂浜が視界に飛び込んでくる。 生々しい「風の唸り」が耳を打った。平衡感覚が消失し、ソファーに座っているはずの体が浮き上がる。
「何じゃこりゃ――!!」
ズームの加速は止まらず、現実の視覚とゲームの境界が融解していく。
「おい、マジかよ……おい! ちょっと、、待ってぇぇぇ!!」
最後に俺の視界を捉えたのは、太陽を反射して輝く白い砂浜と、鮮やかな緑。 これじゃまるで、ゲーム世界に落ちてるみたいじゃないか――。
そんな思考を最後に、稲葉竜司の意識は暗転した。




