2026/03/08
ここ一年、ずっと消えない「虚無感」が胸の奥にある。
これまでやりたいことは全部やってきた。好きなことを突き詰めて、それを仕事にまで繋げてきた自負もある。
けれど、どこまで登っても上には上がいるし、かつてあんなに心を震わせた「未知へのワクワク」には、ここ数年ちっとも出会えていない。
「もっと上へ、もっと遠くへ」と向上心を燃料にして生きてきた結果、皮肉にも、ただ純粋に楽しむことができない自分が残ってしまった。
人生なんて、結局のところ8割は苦しみなんじゃないか。
そう思えてしまう。
「末人」という予言
自分は何者なのか。答えを求めぐぐる中で出会った、ニーチェの「ニヒリズム」という言葉が、今の自分に痛いほど突き刺さった。
今の日本は、まさにニーチェが100年以上も前に予言した「末人の時代」そのものだ。
神様という絶対的な指標を失ったあと、人はどうなるか。
「どうせやったって無駄」
「頑張っても意味がない」
そんな虚無感に包まれ、誰かが決めた「ありふれた娯楽」を消費し、食べて、飲んで、なんとなく死んでいく。リスクを避け、ほどほどの幸せの中で眠るように生きる人々。
向上心の限界にぶち当たって、熱を失いかけている今の自分も、その「末人」の一部である。
かつてニーチェが「神は死んだ」と言いたとき、キリスト教が絶対だった社会からは猛烈なバッシングを受けたはずだ。弱者を救うことで巨大化した宗教の価値観を、彼は真っ向から否定したのだから。
超人へ
マッチョではなく、自分だけの「YES」を
なら、どうすればいいのか。
ニーチェの答えは、絶望して立ち止まることではない。
「超人」になること。
それは空を飛ぶ超能力者になることでも、鋼の肉体を持つこと、折れないメンタルでもない。
「人生に意味なんてない」という虚無の暗闇を認め、その上で「それでも、私はこう生きる!」と自分自身で新しい価値を創り出す人のことだ。
幸せの定義を世間に預けるのをやめる。
「すごい誰か」と比較して落ち込むのをやめる。
孤独を、自由という聖域に変えて
正直、モチベーションが続くわけがない。
向上心を燃料にすると、いつか必ずガス欠になる。
けれど、去年の五美大展で現代アートに心を動かされたあの瞬間や、万博で感じた面白さ。あれは誰に強制されたものでもない、自分だけの純粋な反応だったはずだ。
「何者でもない自分」でいい。
むしろ、何者でもないからこそ、何にだってなれるし、何にだって価値を見出せる。
自分だけの価値観を育てる「豊かな孤独」を選ぼう。
ひたすら進む。
それは他人を追い越すためのレースではなく、昨日の自分という影を軽やかに踏み越えていく、自分だけアートでもも。
昨日より1%でも学び成長できればいい。
人生の8割が苦しみなら、残りの2割でどれだけ自分勝手に「楽しい」をクリエイトできるか。
そこにかけるしかない。




