衣織の物語55「synchronicity(シンクロ)」6
ユウ アオイ、食欲がないのかい?
アオイ ……うん。
ユウ でも、食べなきゃ力がつかないよ。
アオイ ……そうだね……(食べようとする)
ユウ 無理しないで。
アオイ、うなずく。少し食べる。
ユウ ごちそうさまする?
アオイうなずく。手を合わせて、
ユウ ごちそうさまでした。
アオイ ごちそうさまでした。
ユウ 薬を用意するよ。撲はαタイプ。アオイはγマイナス。(確認して渡す。二人はそれぞれ飲む)
アオイ ……マズイ。ユウは、よく飲むなぁ。
ユウ 『良薬は、口に苦し』さ。子供だね。(アオイをからかう)
アオイ (無視して)午後の準備しなきゃ。
音楽、カットイン。二人それぞれ片付けと準備。 (『シンクロ』)
翌日は朝から雨だった。私はママ運転の車で学校へ送ってもらった。こういう時にはとても重宝する人だ。ふだんはケンカばかりだけど。
ただ、素直にすんなり乗せてもらえるわけではない。「自分の高校時代は、カッパを着て自転車で登校したものだ」とか、「なんなら歩いて行ける距離なのでは?」など聞くに堪えない言葉が羅列される。仕方がなく私は、彼女の下手に出る。ここは我慢のしどころだ。なんせ車は楽だ。毎日送迎してもらいたいくらいだ。しかしそれらの言葉は決してこの世に出してはいけない。交渉決裂どころか、生命の危機に近づくことになる。わたしゃまだ死にたくない。それではあの震災を生き延びた甲斐がない。せめて青春を味わい尽くしてから死にたい。おいしいものもまだ食べきれていない。
車の後部座席でブランケットにくるまり、ぬくぬくしながらそれらのことを思うともなく思う私だった。ママは高校の勉強について何やらしゃべっているようだが、私の耳のシャッターは完全に閉じられている。精神的な貴族に、雑言は必要ない。
放課後の部活動は、顧問の先生の計らいで、西校舎の外れにある空き教室での練習となった。私たちは机とイスを教室の後方に寄せ、ホウキで清掃した。狭い教室は、声がやたらに反響するけど、今日は雨を気にせず練習できる。
影山先輩の、「衣織、食欲はどうだい?」という寒い言葉にその日の部活動の行く末が案じられたけど、副部長さんがチラッと睨んだだけで事なきを得た。バカにはいちいち構っていられないということだろう。
私「アオイ、食欲がないのかい?」
副部長「……うん……」
私「食べなきゃ力がつかないよ」
副部長「……そうだね……(食べようとする)」
私「無理しないで」
副部長「(うなずく。少し食べる)」
私「もう、ごちそうさまする?」
遠藤「アオイうなずく。手を合わせて」
私「ごちそうさまでした」
副部長「ごちそうさまでした」
副部長さんの演技はとてもはかなげで、誰もが守ってあげたくなる雰囲気を醸し出す。ふだんの気の強さは影を潜めている。
私「次の薬の場面の意味を確認したいのですが」
部長「ふたりが毎食後に飲む薬は、被曝した放射線を体から抜き取るイメージだ。実際にはそんなことできないんだろうけどね。破壊された遺伝子の修復を図るためと考えてもいいよ」
私「はい、わかりました」
副部長「……マズイ。ユウは、よく飲むなぁ」
私「『良薬は、口に苦し』さ。子供だね」
私、副部長にじゃれつく。
副部長「ふざけてないで、午後の準備するよ!」
私「じゃれるのが難しいです。どうすればいいですか?」
副部長「こうしてみたら?」
副部長さんは、私のおでこを指先でつついた。そのしぐさと表情が、とてもかわいらしく憎たらしい。ほんとに役者向きだ。真の美人ではないが、表情を通した感情表現が豊かで輝いている。うらやましい限りだ。
そうして私は少し心細くなってきた。舞台の上には私と彼女しかいない。片方は演技の天才。もう片方は駆け出しのヒヨッコ。勝負にならないならまだしも、観客からはそのでこぼこさ、ちくはぐさがとても目に付くだろう。物語に入る前にそちらが気になってしまっては、物語が成立しない。
かといって副部長さんが演技の手を抜くことはできないだろう。開始の合図で彼女には役の人物が憑依する。鍛錬もあるだろうけど、これは生まれ持ってのものだ。
そうするとここは、私がぜひとも頑張らねばならなくなる。少しでも副部長さんに近づかねば。ガンバレ私!
この日はその後、同じシーンを何度も練習した。繰り返しとなかなか先に進めないので、精神的にきつい。
明日は副部長さんに、演技のコツを聞いてみよ。
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