衣織の物語2「ママと私の文化の相違」
現在、私の心をとらえて離さないものは、メイクだ。ママは化粧もファッションもナチュラル志向だが、15歳には15歳なりの価値観=文化があり、世代の相違に伴う化粧観の違いは、これまたいかんともしがたい。塗りすぎ、とか、白すぎ、とか、虫の触覚みたい、とか、けばけばしい、とか、派手すぎ、とか、まだ早い、とか、ママの口からは次から次へと文句が出て来る。それから、ママは私に、ボブが似合うと盛んに勧めるが、私的に髪型は、ロングでなければならない。マストだ。黒く長い髪が太陽の光を受けてキラキラ輝き、そよ風になびくなんぞ、連戦連勝の趣がある。15歳のキューティクルに勝てるものなどこの世に存在しない。何と戦っているのかは、自分でもよくわからない。
私のお気に入りは、この他にもたくさんある。イケメンがたくさん出て来るアニメ、やわらかくて肌触りのいいぬいぐるみ(思わず頬ずり)、これらが机の上とその周辺を占拠している。私の机の上に、学習スペースは、ほぼない。(断言) 従って、机に向かってベンキョーすることは不可能だ。(いつもどこでベンキョーしてるんだろ?) 机もベッドも床の上も、私の周囲は、少しの教科書やらノートやら参考書やら、たくさんの愛すべきキャラやら化粧品やら何やらが多数混在し、足の踏み場もない。まとめていうと、私の部屋に空いたスペースなどというものは、ない。(ふたたび、断言) 私はいつも、これらに囲まれて、幸せを感じておる。スペースは悪である。ママにとっては、スペースのない方が悪であるらしいが、低俗な者たちの考えることは、私には理解できない。
で、朝の話題に戻すけど、ママは毎朝ご飯を炊いてくれる。私は、朝はパンか冷凍ご飯をチンでいいよって言うんだけど、毎朝ママは焦げ茶色のとっても重い土鍋でご飯を炊く。あまりに重すぎて、先日、土鍋を洗った時に手首を痛めたらしいことは、パパに内緒になっている。
それでなくても、ママはしょっちゅうケガしてる。段数を読み誤っては階段を踏み外す。その時には、ものすごい音がして、家じゅうの者がびっくりする。料理をした後の指にはバンソーコーが貼られてる。きりがないので、ママの失敗については、またいつかまとめて話す。
で、炊き立てのご飯と焼きたての鮭とたらこと卵焼きとウインナーと納豆と海苔とごま塩と漬物とみそ汁が出て来る。たいてい、これが平日の我が家の朝食の定番で、私は時間がないからそれらをまとめて掻き込む。おいしいような気がする。でも眠いから、授業中にお腹が鳴らないように、ダイエットを気にしながらもしかたなく胃の中に納める。「かっこむからおいしさがわからないのよ」とママは言うが、私的に朝食は時間との戦いだ。貴族の朝は忙しい。朝からいろいろ文句を言うママだが、私が残さずちゃんと食べてくれることに少しの喜びを感じてもいるようだ。
ママと私はこんな絶妙なバランスで人間関係が営まれている。ママはそれが疲れるそうだが、私は生まれた時からズーッとこうなので、母娘はこんなもんだと思っている。バトりそうになると、ママが心の中で腕まくりをしているのが、娘の私には手に取るようにわかる。そんな時は、私も負けてはいられない。女と女の戦いが始まるのだ。