衣織の物語25「浪江町9」~夢にまで見たスパゲッティ~
ちょっといろいろ疲れてしまったし、お昼も過ぎていたので、念願の(夢にまで見た)スパゲッティ屋さんへ向かうことになった。カルボナーラ! カルボナーラ! 車で30分の距離だ。国道を北上する途中の風景は、見渡す限り雑草の海。
スパゲッティ屋さんは大変混んでいた。1時過ぎだというのに店内はいっぱいで、外で待っている人たちがいる。その脇をすり抜けて私たちが入店すると、店員さんが「お時間かかりますがよろしいでしょうか」と言った。パパとママは顔を見合わせたが、その言葉にひるむ私ではない。スタスタと奥の空いていたカウンターまでまっすぐ歩き、着席した。なんせ、ピアノコンクールぶりだ。小学生の私をうならせ、貴族の舌を虜にしたカルボナーラである。仕方がない、待ってやろうではないか。いくらでも待ちますよー!
ところがそこからが長かった。なんせ私たちは、久しぶりに故郷をあちこち歩きまわり、ほとんどがっかり(落胆)ばかりし、そうして腹を空かせてここにたどり着いたのである。いくらなんでも遅いんじゃない? と3人とも、ほぼ何も入っていない腹の中で思っていた。しかし口には出さない。他のお客さんたちも待っている。
探り見ると、まだ3グループぐらいの机上に料理が来ていない。そのうちの1グループは、食べ盛りの高校生サッカー部らしき男子8人が、大きな肩を寄せ合って座っている。さぞかしたくさん注文してることだろう。これは訃報だ。条件が悪すぎる。いったい、私たちのテーブルに料理が届く日はあるのだろうか?
私たちの後から入ってきたお客さんのグループがあったのだが、店長が店員に、「ものすごく待ちますがいいですかと言え」とけっこう大きな声で伝え、店員はそれをお客さんにそのまま繰り返した。すごすごと帰っていくお客さんの後ろ姿が哀れだった。ほんとに「すごすごと」という言葉にぴったりの場面だった。
少ししてパパが、以前来た時よりも駐車場が広くなってると言った。それが原因なんじゃない? とママが言った。店長は一人で必死に料理を作ってる。店員さんたちの動きも悪くない。でも、お店全体のスタッフの数が、駐車場やお客さんの数とはつりあっていない。「駐車場を広くしたのが敗因だよね」と小声でパパが言い、ママが強くうなずいた。私たちが座っているカウンターからは調理場が見えるのだが、店長は鋭い口調でスタッフに指示を出す。店長の奥さんらしい女性が時折たてる皿洗いの大きな音に敏感に反応し、そちらをじっとニラむ。戦場である。火花が散っている。それが私たちの席から見える。丸見えである。それらすべてが空腹に応える。疲労困憊の私たちにはつらい経験であった。これでは安心して食事などできるはずがない。
結局50分待ち、飢えた私たちは、やっと配膳されたスパゲッティにありついた。そこにはいくばくかの期待があった。当然である。かつての私を感動させたカルボナーラが目の前にある。しかもいいにおいを立てている。大盛である。
ひと口食べた。ん? もうひと口食べてみる。んん? 三口目。んーむ……。おいしいような気がする。昔の味がかすかにする。しかし、何かが違う。味にキレがない。うまみもない。味がぼんやりしてる。お腹が空いていたし、マズイわけでもないので、その後も食べ進めた私だったが、首をひねりながら隣を見ると、パパもママも微妙な表情を浮かべてた。大きな?マークが、二人の頭の上に浮かんでるのが見えるようだった。パパはペペロンチーノ、ママはフレッシュトマトのスパゲッティ。三人で交換して食べてみた。はてなマークは消えなかった。
私たちの期待が大きすぎたのだろうか? それとも、以前食べた感覚(味覚?)が誤っていたのだろうか? 依然として厨房は殺伐としている。そのせい?
結局、三人とも全部食べた。たいらげた。お腹が空いてたから。時間も時間だし。パパのペペの皿には、オリーブオイルが溜まっている。オイルが多すぎるんだよ!という表情をして、パパは胃からこみ上げるものを押し殺してた。ママは相変わらず首をひねってた。
車に乗るとパパは即座に、「駐車場を広くしたのが敗因だよね」と再び言った。「忙しすぎるのよ」とママが言った。「ケンカしてるの聞こえてきたね」と私が言った。3人とも、それらの言葉以外の感想が思い浮かばなかった。お腹はいっぱいになった(大盛である)。でも、心は満たされなかった。物理的な満足は、精神的な満足とは必ずしもイコールではないことを、この時、私は知った。




