衣織の物語22「浪江町6」~私たちの心も死んだ瞬間があるのだろうか~
今回ママの実家に10年ぶりに帰って来て一番感じたのは、静かさだった。あたりに人がいないと、こんなに静かなんだと思った。家の外の鳥のさえずりがはっきりと聞こえる。そうして、命として感じるのは、鳥たちだけだった。もちろん、周りの家々が取り壊されて更地になり、物理的に人が住んでいないということもあるだろう。でも、それだけでは説明できない静けさがとても不思議だったし、印象にも残った。パパもママも同じことを感じていたらしい。
町全体が、ひっそりとしている。他の世界から隔絶された(させられた)ような、人の暮らしが止まったような、変な世界。でも鳥の鳴き声は聞こえるから、命を持つものを感じられないこともない。命の存在はある。でも、空間自体は死んでしまったような、死んだ何かの中に閉じ込められたような、変な感覚。山奥に取り残されたのとも違う。激しい攻撃を受けて、すべてが破壊されたのとも違う。緩慢な死に向かっているような感覚。そこに今いる私たちは生きているのに。あるいは、この10年で、私たちの心も死んだ瞬間があるのだろうか。
ママが、「町内を一周してから帰ります」と言って立ち上がり、みんなで家の外に出た。実家の裏には、それほど大きくない田んぼと畑があるのだが、一面に長く草が生えている。おじいちゃんが時々来て、定期的に草を刈ったり、トラクターでうなったりしているそうだ。大変な作業だ。目前に広がる風景と見比べながら、田植えの話とか、そのあたりを犬と散歩したこととかを、私の記憶の保存領域に光を当てるんだけど、ぼんやりとした映像しか思い浮かばない。時間はずいぶん流れたんだと思った。家屋の周りは整地され、砂利が敷かれている。庭の植木は、おじいちゃんとおばあちゃんが手入れしてるらしい。隣に最後に残った一軒家も、やがて取り壊されるそうだ。そうすると、田んぼの真ん中に一軒だけ、ママの実家が残されることになる。
昼間はまだいいけど、夜になると治安が悪いからと言って、おじいちゃんとおばあちゃんが今後、ここに長期間住むことはないらしい。以前、日本語のたどたどしい二人が、納屋に残されていたトラクターを売らないかと突然尋ねてきたらしい。それに、このあたりもだいぶ泥棒に金品やテレビなどが盗まれているようだ。各家の裏のガラスが割られ、確かに誰かが侵入しているはずなのに、室内は元のままの状態であるらしい。物を動かした形跡がない。わざと数センチ開けておいたふすまが、その開き具合のままなのに、貴重品だけがなくなっている家がたくさんあった。いままで何人かの泥棒が捕まったニュースがあったけど、住民の警戒心はほどけず、夜間の宿泊はためらわれた。避難指示が解除されて自宅に戻れるようになっても、緊張して住まなければならない状態が続いている。たまにある大きな地震も、震災当時を鮮明に思い出させる。福島県沖の地震活動は、まだまだ収まりそうにない。
浪江に戻る人の数は、頭打ちに近い状態だ。まだ、避難指示前の人口の十分の一くらいしか町には戻っていない。




