衣織の物語19「浪江町3」~とにかくとてもマイペースな犬と金魚~
ママの実家には、おじいちゃんとおばあちゃんも来てくれていた。おじいちゃんたちも、今私がいる町に避難していて、そのままずっと住んでいる。私たちが久しぶりに浪江に行くと聞いて、家の中も見たいだろうということで、わざわざ来てくれたみたい。周りに何件かあった家々はほとんど取り壊されていて、あたりの景色が変わってた。ママの実家も、古い方の家を解体し、家を取り囲むように生えていた杉の木を切ったため、とても明るく感じた。家の中もそうなんだけど、前より広いような、私の背が伸びたせいで狭く感じるような、変な感覚だった。三半規管がおかしくなったような、めまいとも眠気ともつかない気分だ。平衡感覚が乱れて、少し体がふらふらした。山道を車で走ったせいもあるのかな?
おじいちゃんの家では、犬を飼っていた。ママとママの弟がたまたま入ったペットショップにその柴犬はいて、ママが衝動買いしたものだ。血統はしっかりしているという触れ込みだったが、もうだいぶ大きくなってしまっていた。後日送りますと言われた血統書は、結局いつまでたっても送られてこなかった。ママの弟は、その犬の値段が相場より安かったし、怪しいペットショップだったからしょーがない、とあきらめていた。自分たちが買わなければ、長くは生きられなかったろうと、ママが言った。
とにかくとてもマイペースな犬だった。(私と同じ?) 散歩の後にえさを与えても貪り食うということがなく、自分が食べたいときに食べていた。空腹を感じないのだろうか? 私がふとした時に気が付いて犬小屋の方を覗いてみると、固形のえさをカリカリさせながら、少しずつゆっくり食べている。散歩は好きだったようだが、自分が満足すると、歩みがゆっくりになり、家に帰りたがった。基本的に小さい私は引きずられるように歩いたのだが、やがて散歩に飽きると、私を横目でチラチラ見ながら静かにゆっくりと歩く。それがその犬のペースだった。他の家族に対しても同じようで、人間の方が犬に合わせていた。人間を下等と見ていたのか?
私がお腹をさすると、ふだんは冷たい横目を送るのだが、たまに甘え、もっとさすれという表情になることもあった。なにについても気まぐれだった。(やっぱり私と同じ?)
10年ぶりの帰省ということで、その犬小屋のあったあたりで手を合わせた。原発事故による突然の避難で、その犬を見殺しにしてしまった。あの当時のことははっきり覚えていないし、小さい私にはうまく判断できなかった。事故の状況もはっきりわからず、放射性物質がどのように飛散しているかとか、放射能の影響はどうだとか、大人たちもまだ事故当時はよく理解してなかった。二、三日で帰れるとみんな思っていた。その後も、実際の状況がわからなかったので、浪江に帰って犬を連れだすということが、怖くてできなかった。その後悔ややるせない思いは、今でもみんなの心に残っている。私も、とてもつらく感じる。
ママに、犬は迎えに行かないのと聞いたことがあったそうだが、そう言う私にママは、放射能の状況がわからないから、迎えに行けないのと言って、寂しく笑った。その表情を見て、私も、いくら望んでもどうすることもできないことがこの世の中にはあるんだという思いが身に染みた。
今はその犬を思い出す回数が減ったけど、心の奥底に、重くつらい何かが存在している。理由もなく、体と心が重くなる時が、今でもある。
私自身も、浪江の自宅で金魚を飼っていた。小さな水槽をテーブルの上に置き、お祭りの金魚すくいでゲットした小さな金魚たちが泳ぐ様子を眺めていた。餌をあげる係は私だった。たまにガラスをつついてちょっかいを出し、金魚がびっくりするからやめなさいと、ママから怒られた。
パパが震災の年に一時帰宅したときに、まだ生きていた金魚を一匹持ち帰った。震災から半年以上経っていたため、もう生きていないだろうと家族で話してた。それが奇跡的に生きてた。一時帰宅から帰ってきたパパに、「はい、金魚」とビニールの袋に入れられた金魚を差し出された時には、ホントにびっくりした。信じられなかった。水槽の水はそのままで、水の循環もなく、エサもやらずでよく生きていたものだ。でもその金魚は、今の家に帰ってから、三日で死んでしまった。静かな環境から急に車に乗せられて、一時間半の旅に持ちこたえられなかったのか? パパは、こんなことになるなら、あのまま浪江の川にでも放してやればよかったと、けっこう長い間落ち込んでいた。
その金魚は、今の家の小さな庭の隅に埋めてあげた。その子には、あだ名がついてたんだけど、恥ずかしいからここでは言わない。
私は、愛するものの死の現実を生まれて初めて体験した。しかも同時に二つもだ。




