衣織の物語16「ママと私」
そもそも私の話をみんなにしようと思ったのは、ママと私の関係性について、みんなにも聞いてもらいたいと思ったから。ママと私は、簡単に言うと、チグハグだ。いろんなことがうまくマッチしていない。
まず、考え方が違う。ママはまじめすぎる。自分の学生時代を基準にして、それに、今を生きる私を当てはめようとする。うまくいくはずがない。二人は互いを理解できず、いつも不機嫌になる。けんかで終わる。
それにママは、ユーズーが利かない。何事も一直線に考えてしまい、遊びというものがない。それに対して私は許容範囲が広い。まーいーんじゃない? と考える。物事はこだわりすぎると、心も体も頑なになる。確かに私も頑なな部分がある。でもそれは、ものによる。ママは全部かっちりきっちりやりたいタイプだ。私はゆったりのんびりやりたい。起床時間については前にも話したけど、登校時間に間に合えばいーんじゃない?って、私は考える。ママは余裕をもって登校することを強く勧める。人生観?が違う。私は、そんなにあくせくしてもしょうがないと考える。
こんな二人がうまくやってゆくには、どーすればいいんだろう? みんな、何かいい考えないかなー。ホント、コツを教えてほしいのだ。私だってイサカイは好まない。でも、ほとんど毎日ケンカに始まり、ケンカで終わる。心も体も消耗する。学校に行きたくなくなる。ママにとって学校は、行くのが当たり前な場所だ。私にとっては、具合が悪い時には休んでもいい場所だ。結局、毎朝のケンカは、この根本的な学校観の違いによるものだ。この溝を埋める方策はあるのだろうか? 誰か教えて。
でも、仲がいい時はいい。ママの運転で一緒に出掛けたり、登下校も車で送迎してくれたり、一緒にお風呂に入ったり、たまに同じ部屋で布団を並べて寝たり、ホントに仲がいい。ママにしてみれば、私の機嫌がいい時は、仲良しになるそうだ。私自身はいつも不機嫌なわけではないと考えるが、ママにとっては、基本、機嫌が悪く感じているようだ。心外である。気分にムラがあるように言われるのは。
今朝のこと。
7時の防災無線の放送(野ばら)とともに、ママが二階に上がってきた。そうして、私の部屋の南側と東側のカーテンを勢いよく開け、言葉を発した。
ママ「今日はがっこー行くの?」
私「……」
ママ「具合が悪ければ、がっこー休むのか、遅刻していくのか、病院に行くのか、自分で決めなさい!」
私「……(まだ、夢の中)」
ママ「いずれにせよ、早く起きなさい!」
私「……」
寝起きである。私は7時にアラームをかけている。そのアラームと町の放送との鳴り初めにママは二階に上がってくる。そして開口一番、さっきのようなことをまくしたてる。毎朝だ。「返事をせよ! 今日の体調と登校を判断しろ!」と言うのは、まだ夢の中にいる私には無理だ。思考力も判断力もゼロである。誰か、どーにかしてほしい。トホホ。
当然、私の心は、がっこーにも行きたくなくなるし、フテクサレたくなる。反抗したくなる。今日はあんまり行きたくないけど、でもしょうがない、行こうか、と思っていても、こうまくしたてられると、あっという間に行きたくなくなる。そこがママはわからない。気づかない。なんでわからないんだろう? 誰か、何とかして! 一日の始まり方をママに教えてほしい。最悪の目覚めである。心の貴族としては、耐えがたいものがある。
で、学校を休むじゃん。どんよりとした憂鬱な気持ちのまま、自分の部屋でべんきょーをする。受験生だから。中学三年だから……はかどるわけがない。まったくはかどらない。非効率的だ。やってる意味がない。スマホを眺める。その瞬間だけ無になる。いやなことが一瞬忘れられるような気がする。あっという間に夕方になる。無駄な一日である。こんなことが数日続くと、廃人になってしまうような気がする。青春とは、こういうものなのか? 想像の逆だ。いつまで続くのだ?
これに対して、土日は天国となる。好きな時間に起き、べんきょーをそれなりにして、あとは好きなことが好きなだけできる。べんきょーはちゃんとする。でも、それだけでは中学時代という大切な時間を、無駄に過ごすことになる。世の中の様々なことに触れ、特にその中のオモシロソーなことに興味をそそられ、優雅な時間を過ごす。そーでなければならない。そーでなければ、私という人間は形作られない。べんきょーは確かに大事だと思う。でも、それだけってのも違うと思う。心の余裕というか、教養を高めるというか、新たな世界に出会うというか、そんなこともとっても大事。人生には、彩りが必要だ。