衣織の物語10「忍野八海心中事件2」
私「うん……それでさ」
演劇部員「うん」
私「上流階級の所作は、私が教えるとして」
演劇部員「うん」
私「男子との恋愛のほーはどーするの?」
演劇部員「ヘ?」
私「へ、じゃなくて、恋愛経験、ないんでしょ?」
演劇部員「ウーム」
私「ウーム、じゃなくて。そっちは私、教えられないよ」
演劇部員「エッ?」
私「だから、エッ、じゃなくて、恋愛経験なかったら、恋愛の話は厳しいんじゃない?」
演劇部員「ハッ!」
私「ハッ!、じゃなくて、恋愛のシーン、どーすんの?」
演劇部員「どーしよー」
私「どーしよーかねー」
演劇部員「ほんとにどーしよー」
私「実際に好きな子のことをイメージすると、演じやすいかも。好きな子いる?」
演劇部員「実は私、気になってる子がいて」
その後告白された意外な名前に、私は驚いた。粗暴でクラスのみんなから嫌われてる子だった。観覧車という密室は、人をこうも饒舌にしてしまうものなのだろうか? 恐るべし。
私「いきなりキタね。でも、そーなんだ」
演劇部員「あの子はみんなに嫌われてること、知ってる。でも、なんか、気になるの」
私「そーだよね。恋ってそーゆーもんだよ」
演劇部員「わかってくれる? 私さんならわかってくれると思ってた」
私「それほどでも」
演劇部員「でね、気が付くと、その子のこと、考えてる」
私「うんうん」
演劇部員「考えないでおこうって思っても、また考えてる」
私「うん」
演劇部員「チョット姿を見ただけで、ドキドキする」
私「うん」
演劇部員「なんなら気配を感じただけで、その場から逃げ出したくなる」
私「わかる」
演劇部員「夜が怖い」
私「あー」
演劇部員「彼のことばっかり考えちゃうから」
私「うん」
演劇部員「しかも悪いほーに」
私「それが夜の怖いとこだよね」
演劇部員「そーなの。耐えられないの」
私「うんうん」
演劇部員「でね、うまくいかないイメージしか湧かないの」
私「わかるー」
演劇部員「どう声を掛けたらいいかとか」
私「(うなずく)」
演劇部員「やっと声を掛けられても、会話が続かないとか」
私「(うなずく)」
演劇部員「自分の気持ちをどう伝えようかとか」
私「(うなずく)」
演劇部員「自分に伝える資格はないだとか」
私「(うなずく)」
演劇部員「伝えたとしても、どんな返事が返ってくるかとか」
私「(うなずく)」
演劇部員「フラれたらどうしようとか」
私「(うなずく)」
演劇部員「そしたら、きっと泣いちゃうとか」
私「……」
完全に、その子のペースである。その子のペースにはまっている。わたしゃ、うなずきマンか?
私は恋する乙女を前に、ただただうなずくことしかできなかったのだ。
いつの間にか、恋バナである。しかもディープな。役をどう演じるかよりも、その子の恋愛をどーするかに、完全に話題が移っていってしまっている。
女子にとって、修学旅行とは、恋に始まり恋に終わるものなのだろう。
私は時々考える。人にとって恋愛とは何なのだろうかと。周りのみんなは、そういうことをあまり深く考えないように思う。ただ単純に誰かを好きになり、うまくいったりいかなかったりする。うまくいけば喜び、いかなければ悲しむ。そういう意味では、周りの子の恋愛は、非常にシンプルだ。お腹が空いたら何か食べたくなるのに近い。私にもそーゆー感情や感覚は理解できなくもない。気になる男子のことを考えると、体の内側から、得体のしれない何かが湧き上がるような気がするときもある。でも、なにかしっくりこない。動物的な本能に自分が惑わされている感じがして、おもしろくない。
もう少し大人になったら、また違う恋愛ができるようになるのだろうか? パパとママは、どーゆー恋愛をしたのだろう? 今も互いに愛し合っているのだろーか?(そーゆーふうには見えないけど)
純粋に相手を好きだと告白するその子を見ていて、わたしはうらやましくもあり、青春だなとも思い、少しの寂しさを感じたりもしていた。なんなんだろ、この沈む気持ちは?
それで、みんなはすっかり忘れていたと思われるが、心中事件の話をまとめると、しがらみを振り払い、流れ流れて忍野八海にたどり着いた男女二人は、手と手をひもで結びあい、美しい水底へと落ちていく。しかし、その途中でひもがほどけ、気を失った女はそのまま沈み、男は息の苦しさに耐え切れずに水面に浮かぶ。その後、男は殺人の罪に問われ、拘置所の中で愛に苦悩するシーンで終わる、という結末らしい。何とも言えないビミョーな脚本だが、しょせん中学生が考えた劇なので、面白おかしくやればいいと思う。