衣織の物語・プロローグ「山の記憶」
山の記憶がある。
遠くから、今まで聞いたことの無い音が聞こえてくる。
それは、とても大きなトラックが、何台も何台も、私に向かって走ってくるようだった。
このままでは、家と私が踏み潰されてしまう。
そう思った途端、家が巨大な何かに鷲掴みにされ、横に激しく揺さぶられ始めた。
「衣織!」
ママが鋭く私を呼ぶ。
慌てて私はママの懐に飛び込む。
ママが私を強く抱きしめる。
一時の安心を得る間もなく、今度は家全体が縦に弾かれ出した。
相変わらず、何台もの見えないトラックが、塊となって私たちの上を走って行く。
家がジャンプしている。
部屋の中のものが、すべて弾き飛ばされる。
ママは私をしっかり抱き、激しく揺れる床板にふらつきながら、急いで外に飛び出した。
見えない巨大なトラックの進行は止まらない。
その重量によって、地面が波を打つ。
ママの腕の間から薄目を開けて見た景色は、すべてが激しく揺れ動いていた。
大地とは、こんなにも柔軟なものだったのか。
大地の神が低く唸る声が止まない。
下に大蛇がいるかのように、地面が蠢く。
裏の杉林も激しく鳴っている。
飼い犬が不安そうに鼻を鳴らしている。
「あの子も助けなきゃ!」
そう言う私を、ママはギュッと掴む。
「あの子は大丈夫!」
鋭く言って、顔を横に振った。
世界が揺れている。
このまま世界は終わるのだろうか。
地面が唸る音。
家が激しく軋み、瓦が落ちる音。
山が動く音。
この世のすべての音が、私たちを包む。
やがて大地が捲り上がり、私たちはその下敷きになってしまうのか。
このまま私は死んでしまうのか?
そうしたら、私はどこへ行くのだろう?
知らぬ場所?
まだ行ったことのない、遠くのどこか?
この世の底へと導かれるのか。
「衣織! 大丈夫!」
ふたたび、ママが私を強く抱きしめた。
ママの懐の中にいる少しの安心と、外界の絶望。
「こんなイヤなこと、早く終わらないかな」と、幼い私は思っていた。
山が動いている。
世界が、コワレタ。