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死線の国境──《ゾンビ》よ、知れ。日本が、容易く滅びると、思うな。  作者: 灯野ユヅル@GoodNovel契約作家
第10章 人類の英知、いまだ振るわれず──The Wisdom of Mankind, Still Sheathed
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第7節 患者と観測対象──許可の意味

【D5 18:08 国立国際医療研究センター 病棟3階中央通路】



金属音と叫び声が錯綜する通路の中、九条は足を止めていた。



周囲をストレッチャーが通り過ぎ、金属は軋み、看護師たちが声を張り上げている。


その渦中にあって、九条の動きだけが異常なまでに静かだった。空間の《温度》が、そこだけ異なっているかのように。



彼女は周囲の騒音に微動だにせず、隣に立つ桜庭へと視線を向けた。



「拘束済みの暴徒と、理性を残した咬傷患者はいるか?」



声は低く、抑制されているが、命令とも違う。それは冷たい《観測者》の声だった。


「……っ」と息をのんだ桜庭が、小さく息を吸って、すぐに答える。



「……3階の312の患者──暴徒は拘束具を使っています。その隣の313の患者は……意識レベルは低下していますが、まだ、理性があります。彼、家族を呼んでくれって──それを、ずっと……」



桜庭は少し視線を下げ、唇を嚙む。そして、視線を上げ、続けた。



「ご家族とは連絡が取れていて、今、こちらに向かっているところです」



頷きもせず、九条は短く問い返す。



「他は?」



いないと首を横に振る桜庭。


それを見た主任の顔が、ほんの一瞬、申し訳なさそうに見えたのは錯覚だろうか。



「……家族には……帰ってもらえ」


「え……でも!あの人……!」



桜庭の言葉を遮る主任。論じる必要はないと切り上げる。



「ここは危険だ。暴徒と患者を研究棟に運ぶ。桜庭、手伝え。感染症に理解のある看護師が要る」


「え?……研究棟ですか。でも、そんなこと……許されるのでしょうか?」


「許される」


「……」



九条はそれだけ言って、白衣を翻し、踵を返す。


小野田が見つめた桜庭は視線を彷徨わせていた。



「なんとかするためなんですよね?」と桜庭が視線を合わせ問いかけてきた。



そのはずだ。いや、それは確かだ。


硬く唇を結んで、力強く小野田は頷いた。



数瞬の後──小さく頷き返した桜庭は、通りがかった看護師にシーツの山を押し付けると、九条の後を追った。



小野田もその背中を追いながら、堪えきれず桜庭に問いかける。



「一体どうなっているんだ。何故、拘束せずに手で押さえている?」



桜庭は泣きそうな顔で主任を追いかけつつ、小野田の方を向いて答えた。



「……足りないんです、拘束具が。最初に何セットあったか分かりませんが……たぶん、50もなかったと思います。昨日までは間に合っていたんですが、日中にはもう……。精神科からもかき集めて、それも尽きて」


「じゃあ、今は?」


「シーツを裂いて、縛ってます。即席です。でも、暴れる力が強くて。抜け出した患者さんを抑えるのに、また人手が取られて……」


「それは、もう警察案件では……?」


「職員を噛んだ方はともかく、暴れるだけの患者さんは……。警察も、なかなか……引き取ってくれません」



九条が止まる。その前を全身を捩りながら叫ぶ暴徒がストレッチャーで運ばれていく。その手足は拘束ベルトではなく、シーツを裂いた白い布だ。それは血で薄汚れ、ストレッチャーに硬く縛り付けられていた。


無感情な九条の瞳が駆け抜けていくストレッチャーを追った。



小野田はその様子を見て顔を顰める。あの患者をベッドに移さねばならない。縛っているシーツを解いて、人力で押さえつけたまま。その労力と危険たるや想像すらできない。怖い、やりたくない、そう、思ってしまった。



「それに、警察署に運び込んでも……手に負えません。病院で管理した方が、まだマシなんです」


「……じゃあ、手で押さえてるのは……」


「はい、縛れるまでのつなぎです。でも、全然足りません。手足を抑えてても、暴れて引き千切るように抜けてくる。本当に、本当に、間に合わなくて……」



(──2階、212病室。ベッドから起き上がっている患者、至急対応を)



天井のスピーカーから放送が降る。


それを見上げた男性看護師が駆け出した。



ひっきりなしに届く応援要請。その声が、現場の限界を物語っていた。



──いたちごっこだ



シーツで縛っても、抜け出される。人手が足りない。物資が足りない。時間も足りない。


小野田の胸が締めつけられる。今この瞬間も、均衡はかろうじて保たれている。だが、この張力は、いつか必ず断裂する。



(4階、患者が拘束から抜けました!警備員、至急集まってください!)



警告の声が、絶叫に近い。


まるで終末の審判のように降り注ぐ。



これで終わりなのか?


まだ抑え込めるのか?



──わからない



今にも暴徒が廊下の角から飛び出してくるのでは。そんな不安に胸が押しつぶされる。


・・・主任。


聞こえているはずだ。それでも彼女は、まっすぐに進んでいく。


その背には恐怖がない。



──ただ観測し、記録する



それ以外を放棄したように。


観測対象に対して情を抱くことも。


自身が恐怖を感じることすらも。



主任の白衣が角を曲がり、視界から消えた。


その背を追って曲がると──荒れ果てたナースステーションが見えてきた。

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― 新着の感想 ―
面白すぎて一気読みしてしまいました! こんなにリアリティーのあり、救いのないパニック小説は久々でした笑 良くも悪くも日本の甘さをひしひしと感じます。 自衛官、危機管理局員、医者、彼らの仕事は様々ですが…
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