表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/66

第4節 猟犬の嗅覚──見抜かれた焦燥

【D2 昼】



昼下がり、師団司令部の食堂。


喧騒の波が途切れる窓際のテーブルに、黒瀬は一人腰を下ろしていた。



書類に目を落としながら、やけに味のしないカレーを口に運ぶ。



軽快な軍靴の音が一つ、近づき、黒瀬の前で止まる。


顔を上げずとも分かる。


人の変化を嗅ぎつけるのが、異常に上手い男の気配だ。



視線を上げれば、案の定、トレーを手に、柴崎大隊長が立っていた。


先ほどの会議で、唯一黒瀬の提案に理解を示した男である。



「お疲れ様です、黒瀬一佐。ここは静かですね」



黒瀬は苦笑して答える。


「考えごとにはちょうどいい」



向かいに腰を下ろした柴崎は、真剣な表情で黒瀬の顔を覗き込む。


「……黒瀬一佐。俺が言うのもなんですが――喋らない時間が増えてますよ。そんなにヤバいんですか?さっきの会議のあれ」



その、愛嬌の中に刺のような鋭さを含んだ言葉に、黒瀬は一瞬だけ息をのむ。


(……そんなに出ていたか?)


胸の奥の抑えきれない焦燥を、この男は見抜いていた。



柴崎の《嗅覚》に、黒瀬は内心でまた一つ評価を上乗せする。



「……いや、まだ《嫌な予感》の域を出ない」



杞憂かもしれぬことで、あまり不安がらせるべきではない。


だが、柴崎は、その黒瀬の配慮すらも見透かしたように、言葉を続けた。



「黒瀬さん。俺は、あなたの《嫌な予感》を軽く見ませんよ」


柴崎の声が、確かな《信頼》を帯びる。


「ほら、前の災害派遣の時。皆が『やり過ぎだ』と渋った、あのルート変更の判断。もし、あのまま進んでいたら、俺の部隊は、今頃、土砂に呑まれていました。俺だけじゃない。現場の人間は、あなたの《勘》がよく当たることを知ってます」



「だから――俺は、あなたの判断を信じます」



その、どこまでも実直な言葉に、黒瀬は静かに頷いた。


(危険の香りに寄ってきたんだ。ならば、伝えておくべきだろう)


黒瀬は、柴崎をまっすぐに見据え、声を潜め、しかし、有無を言わさぬ口調で告げた。



「柴崎――。《嫌な予感》がする。もしもの時は、頼んだぞ」



柴崎は、一瞬だけきょとんとした後、すぐに、まるで分かりきったことを聞かれたかのように、ニッと笑った。


「もちろんです。黒瀬さんの頼みなら、何でもやりますよ」


そのやり取りで、もう十分だった。



黒瀬の小さな頷き。


それを見て柴崎は、満足げに、しかし、どこか誇らし気な笑みを浮かべて立ち上がった。



「俺は、あなたが引き金を引くのを待つだけの、猟犬ハウンドですから。何かあったら、いつでも声をかけてください」



そう言い残して、彼は部下たちの方へと戻っていった。


黒瀬はわずかに口元を緩め、その背を見送った。




ふと、窓の外を見やる。


――日常の風景が、どこか遠い世界に思えた瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ