第1節 ゾンビの証明──調べるしかない
日本の首都、東京。永田町と霞が関に、日本の中枢がある。
首相官邸。日本の最高権力者の座すその建物は、コンクリートと強化ガラスで築かれた4階建ての要塞だ。正面の広場には鋭利な柵が連なり、地下には危機管理のための通信回線とシェルターが張り巡らされている。
夕日が都心を橙に染める中、建物内の危機管理局審議官執務室にもまた柔らかな夕日が差し込んできていた。
だが、その執務室の空気は柔らかさなど、微塵も纏っていなかった。
*
【D5 17:12 危機管理局 審議官執務室】
「──なんで、生きてる、の?」
如月が無意識に呟いた一言。
それは、直ぐ様、彼女の脳内で回答として組みあがっていく。
死後も動く。これは確信のある情報。
だが、死ぬ前に暴徒になる──つまり、脳の変性は致命ではなかった。
死体が動くという報告がどこからも上がらない理由も分かった。
彼らは、《生きていた》。
そして、死んだのちにも動く。これがゾンビ──今、欲しい証拠。
考えに沈む如月の耳に重苦しい呟きが届く。
「暴れるだけの暴徒では、《証拠》として弱い」
厳めしい顔に、厳しい表情を浮かべ、腕を組んだ岡田が短く言った。
「生きている暴徒では無理・・・死んでいる暴徒が必要です」
「でも、どうやって?」
そこまで答え、如月は岡田の硬く結ばれた唇の意味を理解する。
どうやって?
その答えが見えない。
瞬時の思考の先、無数の法と倫理の網が垂れている。
『生きている暴徒で、どのように死んだ後も動くと証明する?』
少し考えれば直感的な解は浮かぶ。これはきっと誰だってすぐに思いつく。
──殺してみればいい
それで結果は出る。
──でも
誰を、誰が、どのような根拠でと具体論を浮かべれば、その不可能性が痛い程に重くのしかかる。
──誰を?
暴徒はゾンビではない。現時点では《生きた患者》である。
氏名、年齢、職業、人生のある日本の一般市民。
その中の誰を殺すのか。どう選ぶ?
──誰が?
医者か、警察官か?誰が実行し、誰が命令を下すのか。
根拠は?
実験のため殺していいという法律などあるはずもない。
無い以上、正規の命令は出せない。
でも、この解のシンプルさは惜しかった。
「死刑囚を使った実験は不可能でしょうか?」
無理は承知だ。でも、議論の手がかりとして呟かずにはいられなかった。だが、彼女はマッドサイエンティストではなく、現実の官僚だ。そして、岡田も。
「無理に決まっている。死刑は法務大臣の命令でのみ執行され、方法も刑法で定められている。人体実験のために彼らを利用する余地などかけらもない。しかし、状況はあらゆる可能性を模索すべきときでもある」
「模索するため」と岡田が前置きした上で、合法的に暴徒をゾンビに変える方法を検討していく。
「入院している患者が自然死するのを待つ。これが最もリスクがない。問題は・・・」
「それでは間に合いません。彼らは患者として治療を受けています。簡単には死にませんよ?」
暴徒は拘束され、治療されている。数時間で死ぬことを祈るだけでは日本の未来が消えるのは明らかだ。
「入院している以上、治療をするなという指示も出せない。根拠がないどころか、憲法で生命の尊厳が守られている以上、医師は治療を止められない」
少し間をおいて、呻くように言葉が続く。
「・・・誰かが殺してくれれば話は早いが、現状、それは確実に殺人として逮捕される」
「警察が確保する際に・・・」と苦し紛れに話し出した如月が途中で言葉を切った。
(偶然を装って殺してもらう)
その言葉を続けるのは可能性の模索とはいえ、如月の口から出せるものではなかった。
話しながら、警察官の誰がそんな《お願い》を聞いてくれると言うのかという反問が浮かぶ。
今、殺せば殺人なのだ。
「「・・・」」
(手詰まりだ)
二人の間に重い沈黙が落ちる。
倫理が、法が、憲法が並んで、前を塞ぐ。どんなルートも《証明のために人を殺す》ことの正当性を国家に与えはしない。それが、日本の誇る堅固な国家システムだ。
「調べるしかないだろう」岡田は沈黙の果てに静かに告げた。
「生きているように見えて、実は死んでいると証明するしかない」
「例えば、脳死だ。これが示せれば活路になる。無論、臓器移植法では、本人の同意が必要だ。生前に脳死の場合は臓器移植をすると同意している暴徒を探す必要はあるが・・・」
でもと如月は思う。
(心臓を摘出されてもなお動き続ける暴徒。それは証拠になる。だが、間に合うか?)
だからこそ、暴徒を調べる・・・と岡田の言葉を受けて如月の中に疑問が生まれる。
そもそも。
「今の時点で、暴徒の治療ではなく、本症例の研究をしている機関は国内に存在するのでしょうか?」
呟くように問いを発し、如月は岡田の顔を見上げた。