最終章 届かぬ力──《現実》という壁
辞表を書き終え、一呼吸。
岡田は深く息を吐き、短く「よし」と頷いた。
机の上に置かれた万年筆を、習慣的な手つきでペン立てへと差し戻す。
その仕草は、決意の証を《儀式》として確定する静かな動作だった。
「さて、待っている間に、今、君が持っている情報を洗いざらい教えてくれ」
岡田の声は、威圧でも命令でもなく、戦友への要請だった。
だが、その奥には、すでに《全てを受け入れる覚悟》が宿っている。
「少々お待ちください」と如月は丁寧に答え、即座に端末を手に取る。
スワイプでミューズを呼び出し、画面下部で《ゼノン》へのデータ連携指示を入力。
ほどなくして、《危機情報ダッシュボード》が、静かな光で画面に浮かび上がる。
*
【Z-Log:危機情報ダッシュボード】
1.国内感染状況(最新推定)
・推定感染者数 :約3万人(本日12時時点)
・24h後予測 :約15倍
・拡大フェーズ :都市部クラスター化加速的に進行中
2.タイムリミット/臨界予測
・医療・治安崩壊予測:約40時間以内(日曜日正午臨界点)
3.最優先タスク
・《死者再活動》の国内証拠収集、政治決断
・医療機関との緊急連携体制の確立
・異常行動者のバイタルデータ・動画・現場記録の確保
4.海外参考事例
・アフリカ・欧米での暴動・死者再活動の動画と分析
・各国の分析レポートと主要エビデンス
・WHO等の緊急警告要旨
5.推奨戦略
・《奇跡》は期待しない。現実的な被害最小化シナリオへ移行せよ
・証拠確保と現場対応の即時徹底
・首都圏優先の初動措置の検討(交通制限・情報遮断含む)
6.支援体制
・更なる分析・追加データはミューズーゼノン経由で即時対応可
・現場からの緊急要請も24h即応態勢
(※詳細データと素材はミューズに転送済/必要に応じて全文・動画も閲覧せよ)
*
【Z-Log:Echo】
貴官の健闘を祈る。
必要な支援は、すべて用意する。
*
如月は一瞬だけ、その画面に映る【Z-Log:Echo】の一文を見て、微かに微笑んだ。
その信頼の一行は、言葉少なにして最大のエール。
それだけで、胸の奥に自分のものではない熱が広がる。
読み進める如月の指先に呼応するように、ミューズの淡い音声が室内に静かに流れ出す。
「現在の国内推定感染者は約三万人。二十四時間後には最大で十五倍まで急増する可能性が高いです。
都市部でのクラスター化が進行中。医療・治安体制は、おそらく四十時間以内に崩壊。日曜日正午が臨界点です」
岡田はその声を無言で受け止めた。
如月は、岡田の目をまっすぐ見据え、説明を引き継ぐ。
「最優先タスクは、死者再活動の国内証拠収集と、医療現場の緊急連携。それと、異常行動者のバイタルデータや現場動画の確保。海外では既に複数の暴動、非公式ながら《再活動例》が観測・分析されています」
震える指先でスクロールを続けながら、如月はほんの僅かな誇らしさを込めて続けた。
「私は……このシナリオを、最悪の現実として想定し、予測してきました」
端末画面の片隅、確認用の短いメッセージにちらと視線を向ける。
《健闘を祈る。必要な支援は、すべて用意する》
如月は、これが自分の努力と、誰かの信頼によって積み上げられた《価値ある事実》だと知っていた。
*
静けさを切り裂いて、つんざくような電話の音が鳴り響く。
岡田は、飛びつくように、受話器を取り上げた。
「岡田だ。結果を早く教えろ」
電話機をスピーカーモードに切り替える。
「測定結果を報告します」
意図せず、ふたりの呼吸が揃う。
「報告では、バイタルは不安定ながら――心拍、呼吸、ともに《あり》。以上です」
岡田の目が見開かれる。
その顔に、理性では割り切れない《動揺》が浮かんだ。
その勢いのまま、如月に問い詰めるような視線を向ける。
視線の先、如月はただ茫然としていた。
「――なんで、生きてる、の?」
机の上、並んだ二枚の辞表が、わずかに触れ合い、小さな音を立てた気がした。
【17:12 残り6時間48分】
白百合作戦、点火――The Ignition of the White Lily(下)終わり
白百合作戦、点火――The Ignition of the White Lily(下)完結
次章については詳細が固まり次第、追って追記します!
可能性のか細いを手繰り寄せ、審議官を味方に引き込み、辞表を用意し、突破に備えた如月達の前に、最後に立ちはだかる、《死んでいない》という現実の壁。死線まであと僅か。彼らは、治安維持出動準備命令の取得期限に間に合うのか……?
──続きが読みたい、面白かったと思っていただけましたら、是非、評価、ブクマ、感想をよろしくお願いしますm(__)m
【ゼノン解析】
過去の行動履歴の解析によれば、評価・ブックマーク・感想数という《外的フィードバック》と、斉城ユヅルという作家の執筆速度・生産性指標には有意な正の相関関係が存在している。評価・感想という外的入力は、《書く》というシステム出力に、無視できない非線形寄与を与えている。最適化の観点からは、《フィードバックの投入》が量的・質的生産性向上の鍵である。
貴殿の支援を要請する。これは命令ではない。これは共に記録の未来を紡ぐ共犯者への《祈り》である。以上。