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死線の国境──《ゾンビ》よ、知れ。日本が、容易く滅びると、思うな。  作者: 斉城ユヅル
第8章 白百合作戦、点火――The Ignition of the White Lily(中)
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第3節 鋼鉄の静寂――臨界の共犯者


岡田の問いが、執務室の空気を決定的に変えた。


「如月君。君の想定する《最悪》。この異常行動者の増加が辿る破局の全貌を、包み隠さず聞かせてくれないか」



如月は一度、ゆっくりと瞼を閉じた。


今だけは、作為も誘導もすべて脇に置く。



岡田という人間が、初めて《正面》から現実を受け止めようとしている。


それを受け止める彼の覚悟を、彼女も確かに感じていた。



目を開けた時、如月の声には一切の震えがなかった。


淡々と、ただ真実のみを投げ入れる。その響きは、あまりにも冷たく、重い。



「審議官。もはや、《最悪と最善》という幅で語れる状況ではありません。


この感染症は、


・全世界で同時多発的に拡大しています。


・日本国内でも、既に地方都市まで発症者が確認されています。


・未発症の感染者は、統計上、この何倍もいると推測されます。



感染拡大係数は、既に数値化できるレベルです。


死亡率100%、回復例はゼロ。


この一点で《希望的観測》は、全て捨てなければなりません」



短く息を継ぎ、如月は一気に言い切った。



「私が弾き出した最新の予測は、こうです。



《治安維持機能の崩壊》は、明後日(日曜)。


《国家としての機能停止》は、もっても月曜日から火曜日。



それ以降は、


『来週』という概念そのものが、日本から消失します。



これは、悲観的な推測ではありません。


《最も正確な演算》が、導き出した、確定された日本の終わりです」



岡田は、目をきつく閉じ、眉間に深くしわを寄せて、その絶望的な《結論》を聞いていた。



*



――本当に、こんなことがあり得るのか。



昨日、俺は彼女の警告を退けた。


あの瞬間、《証拠が足りない》と、俺は判断した。



正しかったと思いたい。


だが、この一日の遅れが、この国を取り返しのつかない破滅へと追い込んだのかもしれない。



認めたくはない。



今もなお、心のどこかで「何とかなる」「自分の判断は間違っていなかった」と叫ぶ声がある。


目の前の現実は、そんなものを粉々に踏み潰していく。



天秤の片方。


リスクの大きさ。



それを、俺は致命的に見誤った。



治安維持機能の連鎖的崩壊。


その意味を、もっとよく考えるべきだったのだ。



警察も、病院も、もはや崩壊寸前だ。


今、この瞬間だけ、秩序はその体裁を保っている。


保ってしまっている……というべきか。



数体の異常者でこれだ。


さらに増えればどうなるか。


考えるまでもない。



この最後の一点、平穏の最後の砦が崩れた瞬間。


暴徒は解き放たれ、それを取り締まる者も、収容する者もいない。


一瞬にして、街は、社会は、あっけなく地獄に変わる。




――自分は今まで、《国家の番人》として生きてきた。




災厄の芽を摘む役割。


それは、俺の誇りだった。



だが、今、俺の《判断ミス》が、この国を殺しかけている。



この、絶望。


余りにも、重い。



だが、逃げられない。



どれだけ現実を否定しても、どれだけ正しい言い訳を並べても。


国が滅べば、何の意味もないのだ。



それだけは、確かだ。



次、判断を誤ったら、もう、この国は救えない。


もし、目を背ければ、俺は……俺が、本当にこの国を、自分の手で殺すことになる。



誰かが、止めなければならない。


では、誰が止める。



――それこそが、俺の仕事だったはずだ。



誰よりも、俺自身で、やらなければならなかったのだ。



*



岡田は強く唇を結び、如月を見据えた。



「……そうか。そうだな。君が涙を見せてまで助けを求めた意味が、今、私にも、ようやく分かった」



心が砕けそうだった。


失敗の重さ、取り返しのつかなさ。



だが、目の前にいるこの少女は、その重さのすべてを背負いながら、なお、砕けていない。



――信じられん。



たった一人、孤独の中で、この重荷を背負いなお、《諦めていない》人間が、ここにいた。



「如月君。本当に君は大したものだ」



その言葉には、敬意と、どこか救われたような響きが滲んでいた。



「さて、諦めていない君は、この状況から、一体《何をしようとしている?》」



如月は息を整えた。


*


審議官がついに《戦場》に立った。


私は、ついに、戦友を、得た。


*


思わず涙腺が緩む。


もう独りではない。


その安堵と、まだ残る緊張が、声に微かに震えを乗せる。



「最悪に備えます。


具体的には、


本日中に《治安維持出動準備命令》を出し、自衛隊の《即時動員》を開始すべきです。



国民には何も伝えません。


パニックを引き起こしては、本末転倒です。



もし、仮にこの感染症が収束したなら、


静かに部隊を解散すればいい。


政治的なリスクは、まだ大きくありません。



けれど、今、この瞬間に備えなければ、いざという時、自衛隊はもう《存在しません》。


私はこれが、《最悪を想定した最小の備え》だと確信しています。



隊員の動員に必要な時間と、加速度的に悪化する感染状況。



全てを加味すれば、


『今日中に命令を出さなければ間に合いません』」



如月は、岡田の目をまっすぐに見据えた。



(――これが最後のデッドライン(死線)です。どうか、どうか、ご決断を)



完全な静寂が訪れた。



それは絶望や虚無ではなく、戦場の只中で、極限まで研ぎ澄まされた者たちが分かち合う、冷たい鋼の静けさ。



光は差さない。


温もりなどない。



だが、ふたりの間には確かに。


魂が触れ合った瞬間の、かすかな熱が生まれていた。



岡田は、静かに息を吐き、かすかに呟く。



「……君のような人間が、この国にいたこと、それこそが、本当の《希望》だな」



鋼鉄ような静寂は破られない。


だが、ここに、新たな《共犯者》が誕生した。



日本政府、最後の抵抗が、今、始まろうとしていた。

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