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死線の国境──《ゾンビ》よ、知れ。日本が、容易く滅びると、思うな。  作者: 斉城ユヅル
第8章 白百合作戦、点火――The Ignition of the White Lily(上)
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第7節 証拠なき確信――それぞれの明日

如月は無意識に拳を握りしめ、指先が白くなっていた。



ほとんど祈るような気持ちで、電話の発信ボタンを押す。



数コールの後、静かな、しかし、どことなく疲労の色が滲んだ声が応じた。


「……はい、新城です。如月さん、お久しぶり。どうかしました」



「……すみません、急に。如月です。今すぐ現場の実情を知りたくて」



「あぁ、構わないよ。この状況だ。……そっちは、相当切迫しているんだろう?」



如月は短く息をつく。


だが息は細く、喉の奥が震えていた。


「――はい。新城さん――異常行動患者の情報、何か知っていますか?」



「知っているとも。うちにも何人か運ばれて来ている。……正直、現場は混乱しているよ。彼らは、人間的なやり取りができない。ただ、動物のように暴れ、攻撃する。今まで見たこともない症状だ」



如月は、デスクを握る手にじっとりと汗を滲ませた。


「新城さん……WHOの発表はご覧になりましたか?《感染症》とは言っていなかった。けれど、専門医の目から見て――これは、人から人に感染している……違いますか?」



電話口の新城が、深く息を吐く音が聞こえた。


「……あぁ、間違いないと思っている。WHOがどう言おうと、専門医なら誰でも《ヒトヒト感染》だと分かるはずだ。感染マップも、人流に沿って広がっている。動物媒介では、こんな拡散にはならない。ましてや非感染性の病気では世界中の発症を説明できない」



如月の声がかすかに揺れる。


「何か……感染を証明する方法は――ありませんか。……どんな可能性でもいいんです。何か、ないんですか」


「証明となると難しいんだ。人格が崩壊する感染症で、人を使った実験はできない。感染経路も、飛沫か体液だと思うけど、これも推測でしかない。現場ではケガ人と欠勤者が増えてる。スタッフも自分の身を守ることで精一杯だ。……誰も感染症やルートの確定に力を使う余裕はないよ」



如月は目を伏せ、唇を噛む。声が細くなる。


「――新城さん。この感染症、どれほど危険だと考えていますか」



新城はしばらく沈黙し、低い声で言葉を選ぶ。


「いくら治療しても回復しない。精神をここまで破壊する病気を他に知らない。しかも感染性が高い。……正直、天然痘にも匹敵する。いや、それ以上かもしれない。人類史上最悪の《疫病》……そう断言していいと思っている」



如月の呼吸が浅くなり、声が震える。


「……人類が滅びる可能性はどうですか?」



新城の声は、ほんのわずかに曇った。


「――人類が?いや、すまない。そこまでは考えなかった。自分はあくまで感染症専門医としての見解を述べたに過ぎない。現場でただ目の前の患者を診てきただけだ。如月さんのように、人類全体の未来までは……想像できない」



如月は堪えきれず、涙声で告げた。


「私は――そう思っているんです。……だから《証拠》を探している」



新城は息を詰める。


「……なんの証拠かな? 感染のことかい?」



如月は、今にも途切れそうな声で答えた。


「いえ、死んだ人間が動いている――その証拠です。

……公式ルートも現場も、もう、何も出てこないんです……」



新城は、電話の向こうで重く沈黙した。


喉の奥で息が詰まる音だけが伝わる。


「……すまない。如月さん。聞き間違いではないのだろう?死んだ人間が動くという証拠はない。私は知らない。周囲から聞いたこともない。……本当に、答えようがない。そんなことが本当に起きているのか。暴力性の伝播だけじゃないと?」



如月は一縷の望みに縋る。


その声は、懇願というより祈りに近かった。


「新城さん、どうか……調べてはもらえませんか。

この国の未来が、本当にかかっているんです。

……患者のバイタルデータを測定し、それを教えてくれませんか。

……本当に、もうこれしかないんです。どうか、どうか――」



新城の声が、わずかにかすれた。


苦しそうに喉を震わせて絞り出す。


「……それは、できない。如月さんも分かるだろう。それはやってはいけないことだ。

――本当に……済まない」



如月は構わず、涙声で、もう一歩踏み込む。


「理解しています。でも、どうか、今だけは……今しかないんです。お願いです、新城さん……!」



沈黙。



受話器越しの空気が、冷たく重く張りつめる。


「……済まない。如月さんの気持ちは痛いほど伝わる。……だが、患者の同意なくバイタルを測定し、同意なくそれを外部にリークすることは医師としての倫理にも、法律にも、明らかに違反している。無理なんだよ。――やろうと思えばできる。だが、それは僕には、できない。僕にも家族がいるんだ。医師免許を失うリスクは背負えない。分かってほしい」



如月は何か言いかけ、唇を噛む。


「……国が無くなれば家族も――」



その時、ミューズの声がイヤホンから響く。


静かに、だが断固とした響きで。



「――遥さん。もう十分です。彼の善意はもう限界です。いけません、遥さん。ここまでです」


ミューズの制止に、如月は、拳を握りしめたまま、机の上で動きを止めた。



肩はわずかに震えていた。


呼吸が浅くなり、唇を噛みしめる。



数瞬、彼女は絞り出すように言葉を吐いた。



「……すみません。私、熱くなっていました。失礼します」


「……すまないね」



通話が終了する。



――沈黙。



如月は、もう、何も言えなかった。


ミューズも、もう、何も言わなかった。



――いつもならふたりを優しく包んでくれる静寂が、今回ばかりは、逃げ場のない重さで如月の心を押し潰していた。

【白百合作戦、点火――The Ignition of the White Lily(上)】終幕。


ただ《死んでいることを確かめるだけ》――

それすら叶わない苦しみ。


この絶望の淵にて、如月とミューズは、どう戦うのか…?


【次章予告】

独立章『神託』

明日、0時10分に公開予定です。

日本を救ったとあるAIの話。

ぜひ見届けてください。


20250802 月間ランキング3位!

ありがとうございます!!!

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