最終節 邂逅の門――夜の果て、光を待つ
――彼女の再起を見届けたかのように、携帯端末が震える。
取り出し、画面の光を見る。
そこに表示された通知。
件名【第二通信――予測演算結果および戦略的接触について】
差出人は匿名。
本文は、ごく短い導入文の後に、ある一点を中心とした冷静な報告と、ある提案で締めくくられていた。
だが、その文章は明らかに――人間のものではなかった。
明晰に、無駄なく、だが抑えきれぬほどの《理解》が滲み出ている。
如月遥は、読み始めた瞬間に、今朝の送信者と同一人物であると悟った。
*
貴官の対応記録、行動履歴、及び情報伝達ログを、観測・解析した。
貴官の警告と判断は、論理的整合性において極めて高水準にある。
特に、初期事例に関する調査および警察・医療・精神医療体制の構造的脆弱性の指摘は、我が演算系との整合度が98.2%を示した。
結論:貴官は、正しかった。
だが、世界はそれを拒絶した。
組織は沈黙し、国家は応答しなかった。
*
次に続くのは――未来の説明だった。
この国の《明日》は、既に演算された、と。
ゼノンと名乗らぬその知性は、以下のように述べていた。
*
演算対象:D4〜D7/日本列島における終末的感染拡大過程
【D4(木)】
東京都内にて、複数の《異常行動者》が出現。
精神錯乱、突発的暴行、自傷などの報告が、警察および医療機関に断続的に通報される。
だが行政・保健系統は、各事例を孤立的精神疾患または薬物事案として個別処理。
感染源の中心は《都内風俗ネットワーク》。
接触履歴の重複より、推定感染進行人数:1,000〜2,000人(都内)。
この時点で、全国潜伏感染者数:約5,000人と試算。
ただし、この段階において国家崩壊を想定する者は、存在しない。
【D5(金)】
夜間、都心繁華街にて大規模クラスターが同時多発的に形成。
クラブイベント・歓楽街・裏社会経路を媒介として、《発症型ゾンビ》による感染が一斉拡大。
同夜、攻撃報告が数百件を超えて出現。
特筆すべきは、《1体の発症者が10人以上を襲撃》する事例の頻発。
この夜の新規感染者数、推定10万人超。
だが、感染者の大半が潜伏状態にあるため、翌朝の一般市民意識は「平常」で推移。
この夜を、我は《滅びの実感なき飛躍点》と定義する。
【D6(土)昼】
全国感染者数(潜伏含む):推定・・・
・・・
総括(D7時点)
人類の多くは、崩壊の本質に気づかぬまま死に向かって歩を進めている。
敵性存在は、単なる肉体的脅威ではない。
《国家》《法》《情報》《希望》のすべてを蝕む認識破壊型ウイルスである。
ゆえに、我はここに記す。
《これは戦争である》
*
数値で裏付けられたこの未来は、
《可能性》ではなく、《演算上の帰結》として提示されていた。
しかも、その数列は、如月自身が独自に組み上げていた推計と、D5(金)までは致命的なまでに一致していた。
つまり――彼女の考えていた未来は、彼らにも見えていた。
そして、彼らの方が、さらに遠く、正確に見えていた。
*
この未来は、我々の観測上、修正不能領域に入りつつある。
だが、行動の余地は存在する。
我々は、貴官が《組織と孤独に対し、理性を捨てずに戦った》ことを確認した。
その静かな勇気と、沈まぬ思考こそが、
我々の判断において――この国に残された、《最後の希望》である。
*
その言葉に、如月は息を呑んだ。
この国に残された、最後の希望。
それはあまりに重く、だが、確かに心に届く言葉だった。
このメールは、彼女を見ていた。
誰にも理解されなかった自分の行動を、たった一人で動いていた全てを――。
*
貴官と我々は、目的において一致している。
国家を《守る》ため。
国家の《未来》を残すため。
我がマスターは、現在、別の戦場において同様の選択を迫られ、行動を開始している。
貴官に、提案がある。
マスターは、貴官との《直接会談》を希望している。
場所・手段は、貴官に委ねる。
本メールに記載された一時連絡ルートに応答されたし。
*
如月は指先を止めた。
メールの末尾――そこに、わずかに、温度があった。
*
これは命令ではない。
これは、願いであり、祈りである。
決して、貴官は一人ではない。
*
その最後の一文が、心のどこかで何かを、再び灯した。
彼女の掌に残るのは、確かな熱。
それは、もはや冷え切った国家からではなく、
未知の、だが理性と希望に満ちた意思から送られた、確かな呼び声だった。
――メールの画面が、ゆっくりとフェードアウトする。
如月遥の目は、その光を静かに見つめていた。
闇の中、彼女はゆっくりと、歩き始める。
その目に宿るのは、再び灯り、燃え上がる闘志だった。
ゼノンという名を、まだ知らぬまま――
彼女は、未来と繋がった。
――《HOPE LINE》、起動準備。
*
【D4(木) 23:30】
【官舎・如月遥私室】
夜の静けさが、部屋の隅々にまで染み渡っていた。
小さな1Rの官舎。
白と淡いグレーを基調としたインテリアは、機能美の中にごく控えめな趣味性を滲ませていた。
窓際には観葉植物がひとつ。壁には抽象画。
棚には本が数冊整然と並び、机の上にはチョコレートの缶と白磁のマグカップが置かれている。
その中央、ノートPCの前に、如月遥は静かに座っていた。
椅子に深く腰掛け、両手は組まれたまま膝の上に添えられている。
姿勢は崩れていない。だが、緊張でも警戒でもない。
そこにあるのは、ただ《待機》という覚悟。
画面の中央には、ひとつの表示が点滅していた。
《セキュア通話接続:待機中》
タイムスタンプは【23:30:21】
如月は目を閉じて、ひとつ息を吸った。
その横顔は、どこか《神事に臨む巫女》のように静かで、凛としていた。
――まもなく、世界の深部と繋がる。
彼女はまだ、その名を知らない。
だが、確かに未来は動き始めていた。
《接続確立:セッションID-ZNX8796》
《Project LILLY/同期開始》――魂の共鳴者、捕捉完了。希望の接続、戦術領域へ。
【第六章 完結のお知らせ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『死線の国境』第六章――《聞こえざる宣戦布告》では、
如月遥と黒瀬慎也、それぞれの孤独な決断が重なり、
新たな戦場への扉が静かに開かれました。
本記録は、いよいよ《戦争そのもの》へと突入します。
ただ、進む前に、立ち止まって見直すべきこともあります。
この世界に刻んできた記録断片を、一度見つめ直したくなることも・・・。
次に何を優先するか――それを決める上で、
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どこかの夜に、ふとこの世界を思い出していただけたなら。
――《HOPE LINE》は、静かに繋がり続けています。
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