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死線の国境──《ゾンビ》よ、知れ。日本が、容易く滅びると、思うな。  作者: 斉城ユヅル
第6章 聞こえざる宣戦布告――The Silent Declaration
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第2節 選定の理由――戦意の在処

日間パニックランキング2位!ありがとうございます!!

読者の皆様へ、感謝を込めて2話更新しましたm(__)m

【場所:師団司令部・幕僚長執務室】

【時間:D4(木) 午前4時30分】


黒瀬の目の前のスクリーンに、一人の女性の人事ファイルが、静かに表示されていた。



整った容姿。その奥に、強い意志を秘めた瞳。



だが、その若さと、中央官庁における、年齢にしては高いが、全体からみれば低い役職が、黒瀬の口から冷たい問いを引きずり出す。



「……なぜ、彼女なのだ? ゼノン」



その問いを予期していたかのようにゼノンの声が響いた。



「彼女の選定理由は、抽象的な資質ではない。過去の、明確な三つの行動記録に基づく」


スクリーンが切り替わる。映し出されたのは、数か月前に行われた国会答弁草案に関する会議の音声ログ。



「第一、組織内において対立を恐れず、真実に忠を尽くす、その姿勢」



スピーカーから、若い女性の声が再生される。迷いのない、凛とした声音。


『波風を恐れて、真実から目を逸らした結果、救える命が救えなくなるのだとしたら――それこそが、私たちの怠慢です』



「彼女は、上官の《政治的判断》に対し、自らの《倫理的信念》を引かずに通した。これは、官僚機構において極めて稀有な資質だ」


画面が切り替わる。次に表示されたのは、新興感染症に関する仮想演習の議事録。



「第二、危機そのものに対する《定義》の異質性」



再び、あの声が流れる。


『私たちの仕事は、希望を語ることではありません。あらゆる絶望の可能性を、一つ残らず、先に潰しておくこと――そのために、私たちはここにいるのではないでしょうか』



「彼女にとって危機管理とは、起きた事象への《対処》ではない。あらゆる未来に先んじる、《構造的先制攻撃》だ。これは、お前の思考と極めて高い共鳴性を示している」


スクリーンが、最後の記録に切り替わる。


表示されたのは、如月が個人的に執筆し、投稿せずに保存していたブログ草稿。



「そして、第三。最も重要な要素だ」



『防災は装備ではなく思い出し方だと思っています。……知ってるだけで心は折れにくくなるんです』



「彼女は、私人としても防災に関する情報発信を続けていた。誰に見せるでもない場所で、当たり前のように、備えについて思考し、言葉にしていた。――公務としてではなく、私生活の中でも高い意識を保ち続けていたこと。それ自体が、何よりの証明だ」



一拍の間を置き、ゼノンは静かに結論を下した。



「以上三点――信念に従う不屈の意志、先制的思考、そして公私を問わず貫かれた一貫性。この資質をすべて備える人間は、日本の官僚機構において、彼女の他には存在しない」


「彼女は、お前が投げる《絶望的な真実》を、受け止め、正しく行動へ変える可能性を持つ唯一の適格者だ」



黒瀬は、黙って、その結論を吟味している。


「使えるか、使えないか」という、彼の思考を、ゼノンは、正確に読んでいた。



「……なるほど。なぜお前が彼女を推薦したのか、理解した。だが――確信は持てない。……お前が、それでも彼女しかいないと言うのなら――信じよう」


「それでどう接触する。こちらの素性は、一切明かせん。ブラックオーキッドの存在を考えれば、なおさらだ。通話もリスクが高すぎる」



「問題はない。彼女個人のアドレスは把握済みだ。送信者不明の一方的な警告であれば、追跡はほぼ不可能」


黒瀬は短く頷き、命じた。


「現時点で判明している危機を説明し、行動を促せ。ブラックオーキッドに関係しない範囲で、可能な限りの情報を伝達しろ。ただし、添付ファイルは使うな。内容はすべて本文に地の文で記載する。――相手は、情報の意図と質を、自力で判断できると期待する」



「了解。――文案、提示する」



スクリーンに、構造化された警告文が表示される。


黒瀬は、その一語一句を目で追う。そして、無言でキーボードに手を伸ばした。


自らの指で、ゼノンの作った無機質な文章に《魂》を吹き込んでいく。



『俺に政府は動かせない。だが、あなたならできるはずだ。この災厄の《芽》を、自分の手で見つけてくれ。俺たちを信じるな。探せ。気づけ。理解しろ。滅びを回避し、《この国を守れ》』



そして、最後の一文。



『この国を、本当に救える者は、あなただ』



「……マスターの追記を確認。受信者の心理に対し、極めて高い、共振効果が期待し得る」


「俺が、彼女の立場なら、これで動く。……コイツが、どう動くか。ゼノン、送信後の彼女の全ての行動を、徹底的に観測し、逐次報告しろ」



「了解」


間髪入れずにゼノンは次の一手を提示する。


「――次の課題だ。作戦:ホワイトリリィの実施が決まったことで、深田とのコネクション強化が不可欠となる。理由は明白だ」



ホワイトリリィ初動の行動計画は、まだ始まったばかりだった。




【場所:如月遥・私室】

【時間:D4(木) 午前5時20分】


如月は、時計の秒針の音さえ気に留めないまま、打鍵を続けていた。


《生存者の報告が皆無。死後の運動。肉体損壊後の攻撃行動――》



匿名の送信者が寄こしたメール。そこに記された「調査指針」を、彼女はただの一つも見逃さなかった。



アフリカ中部の衛星画像。現地NGOが隠すように報告していた内部通報。断片的なSNSの投稿。取材拒否のまま閉鎖された鉱山跡。


中央アフリカ共和国の政府崩壊。撮影されたデモとみられる群衆の行進。



視点を広げれば世界各地で港湾都市に限定的な異常が観測されていた。


だが、重要なのは構造。



散発的に見える事例に、明確な「接続性」が存在する――ゼノンの伝えた骨格が、彼女の脳内で再構築されていく。



午前七時を回っても、視線は一切揺らがない。ミューズが後方で分析補助を続ける中、如月の脳内では、すでに既存の《国家対応計画》では防げないという結論に至っていた。



「……空港ICでの交通量と感染拡大の速度が連動している。感染の足跡は、物流そのものに宿ってる」



誰に聞かせるでもなく、ただ呟いた。


上陸阻止は、もう成立しない。だが、被害を抑える選択肢ならまだある。



――時間が足りない。



7時30分。彼女は手元の作業を止めた。


ミューズが、静かに言う。



《遥さん、出勤予定まで残り45分です。朝食を……》


「要らない。シャワー浴びる」



彼女は立ち上がった。


机の周囲は資料の山。だが、手の動きには迷いがない。浴室の扉が開かれ、数分後には水音が走る。



ざあ、と、シャワーの音が、バスルームのタイルを叩いていた。


流れ落ちる湯が、肌の感覚を、無理やり、現実に引き戻そうとする。



だが、彼女の意識は、とっくにこの部屋にはなかった。



不意に、その音は、止んだ。


蛇口を捻る、乱暴なまでに、速い動き。



鏡に映る、血の気の引いた自分の顔。


その瞳だけが、異常なほどの光を宿していた。



眠れぬ夜を過ごしていた、ただの分析官の目ではない。



決意などという、生易しいものではない。


覚悟という言葉も、しっくりこない。



これは……《戦意》だ。



濡れた手で、無造作に髪をきつく結い上げる。


クローゼットから、寸分の隙もない、黒いパンツスーツを引きずり出す。



それは、ただの仕事着ではなかった。


これから赴く、戦場における鎧だった。



(もしも……この災厄が、本物なら――)



ジャケットを、羽織る。



(――私が、この仕事を選んだ理由は、ただ一つ)



IDカードを、首にかける。


玄関のドアを開け、外に飛び出す。



(――この時のため)



むわりと、梅雨の朝の湿気を含んだ空気が、肌を撫でた。


彼女は、強く照り付ける朝日を浴び、静かに呟いた。



「……行こう。守るために」



背後で、扉が重い音を立てて、閉まる。


その小さな音が、合図だった。



――ホワイトリリィ作戦、始動。

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