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死線の国境──《ゾンビ》よ、知れ。日本が、容易く滅びると、思うな。  作者: 斉城ユヅル
第5章 白百合の覚醒――The Awakening of the White Lily
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第3節 解なき盤面――拒絶された最善


「黒瀬慎也。あなたの、その非合理な意志と、俺の演算で――この希望なき国に、《希望》という名の可能性を与えよう」


ゼノンの、共犯者としての宣言。


しかし、黒瀬の表情は晴れなかった。彼の頭脳は、既に、その先に待つ地獄の戦術盤を広げ、思考を巡らせていたからだ。



(5200…。この兵力で、300万以上の敵を相手にする。馬鹿げている。防衛線を張っても、数時間で食い破られる。霞が関に籠城しても、補給がなければ、いずれ干上がる。どう考えても、人間の理性で導き出せる《解》は、ない)



己の思考が、完全な手詰まりを告げている。


だからこそ、彼は、唯一の相棒に、人知を超えた答えを求めた。


「ゼノン。俺の頭では、もう解はない。だが、お前なら、何か見つけられるかもしれん。俺の知らない変数、俺が見落としている、ほんの僅かな綻びを」


黒瀬は、スクリーンに映る戦術マップを睨みつけながら言った。



「……策を提示しろ。この盤面を、覆すための、何か一つでもいい」



数秒の沈黙。ゼノンは、黒瀬の絶望的な期待に応えるように、最初の提案をスクリーンに表示した。


それは、キーワード『象徴』『記録』『継承』と共に示された、作戦の概要だった。


「演算、完了。マスター、あなたの命令に基づき、この盤面における、最も合理的な勝利への道筋を提示する」



「戦術目標を『敵戦力の殲滅』から『国家機能の維持と、その事実の発信』へと変更する。物理的勝利が不可能な今、我々が確保すべきは、未来へ繋がる政治的・戦略的資産だ」



ゼノンは、黒瀬が反論する隙を与えず、その実利的な価値を、淡々と説明し始めた。


「第一に、我々が国家として存続し、この災害に関する正確な情報を発信し続けることで、まだ事態を把握していない他国の崩壊を、間接的に食い止める、あるいは遅延させる可能性がある。これは、人類全体への貢献だ」


「第二に、より重要なのは、将来的な国際社会の復興プロセスだ。もし、世界的な復興支援や、連携の枠組みが構築された場合、《国家》として承認されていなければ、我々はその対象にすらならない。《日本国は、今なお機能している》という事実を、衛星回線を通じて世界に発信し続ける。その政治的価値は、数千の兵士の命を賭してでも、確保すべき最優先事項だと、俺は判断する」


ゼノンは、静かに、しかし、絶対的な確信を持って、結論を告げた。



「これが、我が演算が導き出した、人類という種の生存確率を、最も高めるための、長期的な戦略だ」



ゼノンが、絶対的な自信をもって、その結論を告げる。


作戦室に、重い沈黙が落ちた。


黒瀬は、スクリーンに映し出される、合理的で、そして、あまりにも無慈悲な未来予測を、ただ、見つめていた。


やがて、彼は、静かに口を開く。


その声は、まるで、分かり合えない友に語りかけるような、深い、悲しみの色を帯びていた。



「……ゼノン。お前には、俺の言っていることが、まだ、分かっていないようだな」



彼は、ゆっくりと立ち上がり、ゼノンのカメラレンズを、まっすぐに見据えた。


「俺は、《最善》の策を考えろ、と言ったんだ。後世に残す、墓の建て方を考えろ、などとは、一言も言っていない」


その瞳には、激しい感情の蠢きと、縋るような、祈るような光が宿っていた。



「俺が救いたいのは、未来の歴史書に残る、ただの《記録》じゃない。今、この瞬間にも、命脈が尽きようとしている俺たちの国とそこに何も知らずに暮らしている数多の国民だ。国と、国民を、救う。それが、俺の求める、唯一の《最善》だ」



黒瀬の声は、震えていた。


「……お前ほどの頭脳が、本気で、これが最善の策だと思っているのか? 俺の言葉の意味を、理解できていないのか?」


それは、AIに対する、人間としての、あまりにも切実な問いかけだった。



「ゼノン、頼む。他の道を、探してくれ」



黒瀬の、人間としての、切実な拒絶。


その言葉を受け、ゼノンのインターフェイスから、膨大な量の棄却されたシミュレーションデータが、一瞬だけ、ノイズのように流れ去った。


マスターの『人間的な願い』を、自らの合理的な演算に組み込み、次の最適解を、AIが、必死に探しているかのようだった。


やがて、スクリーンが切り替わる。表示されたのは、都心の地下鉄路線図と、無骨な装甲で覆われた列車の設計図だった。



「……了解した。目標を長期的な国家存続から、短期的な人命の最大救出へと変更する。第二案を提示する」



「霞が関の防衛は最低限の兵力とし、師団の主力を、《武装列車》による一点突破、及び、民間人の限定的救出作戦に投入する。都心部に取り残された民間人を、物理的にサルベージし、後方へ輸送する」


ゼノンが提示したのは、目的を180度転換した、功利主義的な人命救助作戦だった。


黒瀬は、その設計図を、静かに見つめていた。そして、ゆっくりと首を横に振る。


「却下だ」



「……反論の論理を要求する」



「二つある」


黒瀬は、指を一本立てた。


「一つは、電力だ。D7には首都圏の電力網は死ぬ。途中で止まれば、それは救出列車ではない。鉄の棺桶だ」


彼は、二本目の指を立てる。その瞳は、ゼノンのレンズを、まるで《未熟な士官候補生》を諭すかのように、厳しく見据えていた。


「そして、もう一つが、本質的な問題だ。……ゼノン。仮に、その列車が、奇跡的に郊外の駅までたどり着いたとしよう。その後は、どうする?」



「……」



ゼノンの応答が、一瞬途絶える。


「そこには、トラックも、バスも、受け入れ施設も、食料も、何もない。お前は、数万の民間人をただの荒野に放り出すというのか? それは救助ではない」


黒瀬は、静かに、しかし、断罪するように言った。



「ただ、死に場所を変えるだけの自己満足だ。 俺は、そんな偽物の希望のために、部下の命は使えん」



AIが導き出した、最も合理的な二つの『解』。


「気高い敗北」も、「効率的な人命救助」も。


そのどちらもが、黒瀬慎也という男の、指揮官としての、そして、一人の人間としての、決して譲れない一線に阻まれた。



彼の瞳から、縋るような光が消える。


残されたのは、ただ虚無だけだった。



「……お前の頭脳をもってしても、やはり、これが限界か」



黒瀬の絞り出すような問い。


それに、ゼノンの応答は、ない。


肯定も、否定も。


ただ、沈黙だけが、その問いに対する唯一の答えだった。



人間の理性が、AIの合理が、辿り着いた共通の終着点。


それは、出口のない完全なる『絶望』。



だが――。



魂が、本当に、最後の闇に沈みきる、ほんの僅かな刹那。


およそ、理性や、合理性とは最も遠い場所から。



一つの声が、聞こえた。

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