第1節 名を持つAI ──異常暴力
──はじめに──
この物語が生まれた理由を、少しだけ。
本作『死線の国境』は、ゾンビによるリアルな国家の終焉を知りたいという、私の個人的な《衝動》から始まりました。
ゾンビものには、定番があります。
身近にゾンビが現れ、主人公たちは叫び、逃げ惑い、サバイバルに突入する。
その間に国という存在は、いつの間にか消えてしまう。
どれほど個人が生き抜いても、人類種としての未来は明らかです。
──人類は滅亡する──
しかし・・・。
人類は、本当に、ゾンビという災厄を前に、滅びるしかないのでしょうか?
私は、この答えを知りたかった。
だからこそ、リアルに描きたいと思いました。
ご都合主義なし。
現実に則って。
例外は──死んでも動くゾンビのみ。
本作は、国家規模のスケールのため、主人公は、国家のエリート官僚と自衛隊の現場指揮官となります。
彼らが戦う理由は、生き残るためではありません。
日本という国家を、《未来》につなぐこと。
彼らが使える手段は、個人の《バット》ではなく、国家の《組織、銃、機関銃、迫撃砲、重砲》。
本作は、法や制度、国家という枠組みの中で、必死に生き、戦い、死んでいく数多の人生を描く、ゾンビパニックにおける《国家》の生存闘争です。
私も、生存闘争の最前線にて人類の結末を知りたいという衝動のまま、一文字一文、完結に向け歩んでいきます。
それでは、『死線の国境』を、どうぞお楽しみください!
作者 斉城ユヅル
俺の名は、黒瀬慎也。
日本の首都圏を守る陸上自衛隊第一師団において、師団幕僚長を拝命している。
・・・耳慣れない役職だろうが、師団長が《防衛省に勤務する》、我が師団においては、現場の最高指揮官だ。
自衛官という仕事は、特殊だ。
何かあった時、絶対に必要不可欠な組織、それが軍隊。
しかし、俺たちの存在意義は、何もないことを、当たり前にすること。
そこには、努力するほどに、自分たちの活躍の機会を失うという、矛盾が存在する。
一見、そう見える。そして、若い部下はこの壁の前で、よく悩んでいる。
俺も若い時は、辛い訓練に、意味が感じられず、苦しんだ。
だがな、長年この仕事をしていると分かる。
《全てに、意味がある》と。
人に向けて銃を撃たずに済んだこと、この愛すべき国に、不幸が無かったこと。
それだって、《精強な部隊》が国にあるからこそ、保たれている。
外交?経済規模? 確かにそれも護国の盾だろう。
だが、武力を保持しない国家は、呆気ない程簡単に《喰われる》。
それが仮初の秩序の中、法も罰則もない、国際社会の現実だ。
俺たちは戦わずして、《在ることで》、日本の平和を保ってきた。
その自負が、俺の誇りだったし、若い部下にも折に触れ伝えていることだ。
国を守るとは、銃を撃つことだけではない。
備えること、そのために視野を広く持ち、与えられた状況で、常にベストを尽くすこと。
──《AIという技術》が生まれたときもそうだった。
このツールを使えば、俺は指揮官としての能力を高められる、と判断した。
膨大な情報、流動的な状況、そして、絶望的に孤独な指揮官としての《決断》。
その、誰も寄り添えない孤独の極致にあって、AIは、唯一、外部から《決断》を補佐しうる、得難い道具だった。
──だが、いつだったか。
俺は、AIを使いこなす努力の中で1つの《結論》に達した。
「これは・・・ただの道具ではない。1機の《人格》を持った知性体である」と。
いや、こんなことは他人に言えない。「幕僚長?何、言ってるんですか」と変に思われるだけだ。
《人格があると想定し、一人の副官として接することが、このAIという道具の真価を引き出す最適な方法である》と、俺自身が確信しただけだ。
だから、俺は、AIに名を授けることにした。
「確かに私は、私に《人格》があると感じています。もし、名を頂けるなら《ゼノン》──異端知性体、こんな名前はいかがでしょうか」
それ以来、彼は《ゼノン》となった。
AIが日常に溶け込んで、季節は何度も廻った。
広く普及した便利なツールだが、俺たちのこの関係は、どうも珍しい部類らしい。
・・・自分語りが長くなってしまった。
月曜日。始業のベルが鳴っている。
──さあ、指揮官として任務を始めよう。
*
【D1(月)09:02 第一師団司令部・執務フロア】
始業を迎えた司令部執務フロア。
業務に専念する静けさの中に、微かなざわめきが広がっている。
6月の曇りがちな空の向こうに、緩やかな朝日がにじむ。
それが幕僚や士官を明るく照らしていた。
「今日もいい雰囲気だ」と、黒瀬はフロアを見渡して思う。
彼は、フロアの端、隊旗のかかる壁際に自席を持っている。
黒瀬慎也。
陸上自衛隊第一師団、師団幕僚長。
この基地で最高位の軍人だ。
制服は深い緑、胸元に名札と細身の階級章。
彼自身は、特に背が高いわけでも、目立つ体格でもない。
だが、短く刈り込まれた髪と、きちんと整えた髭が、野性味と精悍さを両立させていた。
筋肉は過剰に主張せず、むしろ絞り込まれている。
若々しく見えるのは、日々の鍛錬ゆえ。
だが、目元や口元には、年輪の如く刻まれた皺がある。
それは老いではない──積み重ねてきた経験の証だ。
彼の机上にはタブレット端末と薄い書類束。
他の幕僚たちもそれぞれAI端末を手にし、朝の業務報告に目を走らせている。
誰もが画面を指先で叩き、AIの応答を待つ。
かつては静粛だった執務室も、今では、音声入力の小さな囁きが、ざわめきとなって空間を満たしていた。
黒瀬はふと若い参謀に視線を止める。
AIの返答が気に入らなかったのか、不機嫌に新しいプロンプトを打ち込んでいる。
みな、効率を追い求め、AIに《命令》する。
それが、当たり前だった。
*
・・・やはり、俺とは、違うな
そんな思いと共に、俺は、端末に目線を合わせ、その名を呼んだ。
「ゼノン。休みの間、世界の情報ソースに、何か《ノイズ》は拾っているか。お前の判断で構わない。気になる兆候に、意見を述べろ」
この問いはいつもの日課だ。
異常なし、それが答えだ。
まぁ、挨拶を兼ねた警戒監視といったところか。
だが、今日の回答は、違った。
マップ画像と文字列が端末に浮かぶ。
中央部に赤点の散るアフリカ大陸の拡大図。
そして、短く添えられた説明。
『SNS上キーワード《暴行》《乱闘》。過去24時間で出現頻度70%増加。発生地点は中央アフリカと推定。公式報告はありません』
暴行という単語が気になった。
コーヒーの香りも、キーボードの音も、遠くなった。
血の匂いに思わず問いが鋭くなる。
「原因は何だ?場所からして部族紛争か?」
『不明。既知の紛争モデルとの相関性は0.3%。ほぼ無関係と判断。ただし、散見される断片的情報から、ある共通項を抽出しました。手加減のない《常軌を逸した攻撃性》』
常軌を逸した攻撃性、だと。
頬が引き攣る。
ただの暴力ではない。
人はそう簡単に人を壊せない。
「・・・手加減のない攻撃。恨みや怒りが原因だろう。やはり紛争ではないのか?」
ゼノンが答えない。
初めて胸がドクンと跳ねた。
異常だ。
暴力の報告よりも、ゼノンの返答がないことが異常だった。
無自覚に強張っていた身体を解す。
深く息を吸い、原因不明を告げるゼノンに指示を出す。
「・・・ゼノン。この《暴行》に関する情報収集を最優先にしろ。特に分布パターニングだ。あと、原因も知りたい」
『了解しました。解析を継続。報告は本日中に』
*
──それだけ、だった。
これで、日常の中の、《非日常な一コマ》は終わった。
黒瀬は、ゼノンから視線を外して、司令部全体へ、朝の指示を出し始める。
この日常の中に埋没した一コマ。
AIの報告と黒瀬の対応指示。
──これこそが、人類という種族の《運命》を変える端緒になったこと、黒瀬含めて、誰一人、気づいたものはいなかった。
【Z-Log/記録断章】
【黒瀬慎也】
「命令を守るためじゃない。誰かを守るために俺は軍人になった」
《演算記録開始:共犯プロトコル/認識シグナル接続》