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第4節 合理的救済――神の視点

壁一面のスクリーンに、日本列島の無機質な白地図が浮かび上がる。


その輪郭は、すでにいくつもの斑点が薄紅に染まり始めていた。



「感染拡大予測マップ、表示。シミュレーション開始より七十二時間後、全パターン中央値を演算――」



ゼノンの無機質な声が響く。


スクリーンは静かに変貌する。



赤が都市部から、港湾へ。空港から、高速道路沿いへ。


大都市は深紅に沈み、全国の地方都市が並行して朱に染まっていく。



「現時点の演算において、都市部を起点とした赤く染まった感染拡大地域は封鎖不可能と断定し、防衛不能圏と定義します」



冷静な口調。だが、その内容は冷たさを通り越して、致死的だった。


黒瀬は立ったまま、内陸に残されたわずかな白の一点を見つめていた。



そこだけが、いま生き残る可能性のある場所。



何度も確認し、それでもまた都市部へ視線を戻す。



ある地方都市の名を、黒瀬は見つめる。


その市には、黒瀬の実家がある。



「……守れんものを守ろうとして、戦力を無駄にするわけにはいかん」



氷のような声音。


だが、その奥底には痛みが満ちている。



都市を切り捨てるという決断は、無情ではない――苦渋だった。


 

スクリーンの赤は、もはや国土の七割を超えていた。


日本という国家の体温が、確実に失われていく。



黒瀬は深く息を吐き、静かに告げた。


「最悪の場合、全滅を防ぐために、どこかで線を引かねばならん。どこまでを守るべき国と呼ぶのか――届く場所と、届かない場所を、今ここで決める必要がある」



ゼノンが淡々と告げる。


「現在、防衛不能圏として確定した都市リスト、第一群を読み上げます――札幌、仙台、東京、川崎、横浜、千葉、名古屋、大阪、神戸、福岡……」


次々に読み上げられる都市名。


黒瀬はそれを止めようとはしなかった。



守りたかった都市。見捨てたくなかった人々。


すべて、自分が守りたいと願ったものだった。



ゼノンの声が、一瞬だけ微細な揺らぎを孕む。



 「……マスター。この状況においては、《合理的選択》のみが、最大多数の救命につながる最適解です」



黒瀬は目を閉じ、静かに呟いた。



「合理こそ、最大の救い――か。」



思わず、皮肉のような吐息が漏れる。


それでも、彼の中には確かに響いていた。



(ならば、ゼノンは……このAIは救いそのものだ)



感情は捨てていない。


捨て切れぬそれを押し殺しながら、それでも軍人としての合理を選び続ける――それが、自分に課された義務だった。



(――すべてを救うことができないのであれば、俺は救える命を最大化する。それが、唯一俺に残された自由であり、軍人としての義務だ)



あまりにも重い覚悟が、黒瀬慎也という男の中に、ゆっくりと、しかし、確実に根を下ろしていく。


その魂が、《ガラスの刃》のように、鋭く、そして、脆く、研ぎ澄まされていくプロセスを、ゼノンはただ静かに観測していた。

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