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死線の国境──《ゾンビ》よ、知れ。日本が、容易く滅びると、思うな。  作者: 斉城ユヅル
第3章 黒蘭の夜明け――The Dawn of the Black Orchid
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第2節 滅びのシナリオ――崩壊への推論

『――補足します。7日間という演算は誇張ではありません。日中の追加調査によって、その根拠となる事実が判明しました』


『アフリカ中部において複数のコミュニティが崩壊に至っているという事実。そして、その崩壊モデルを全世界に適用した場合の、予測結果です』



黒瀬は、眉間に皺を寄せながら、慎重に言葉を選んだ。


「……複数コミュニティの崩壊は《異常事態》だ。だが、戦争でも起こりえる。それだけで《人類滅亡》と言い切れるのか?」


受け入れるには根拠が弱く、簡単に拒絶するには――ゼノンの演算が、過去に幾度も予想を的中させてきた。その事実が慎重な反論を生む。



『マスター。確かに、戦争でもコミュニティは崩壊します。しかし、今回の事象は、その本質が全く異なります』


その言葉と共に、タブレットの画面に、世界地図といくつかのキーワードが表示される。


『第一に、崩壊の完全性。戦争であっても、必ず生存者や抵抗の痕跡が残ります。しかし、今回観測された複数のコミュニティは、根こそぎ、その存在が《根絶》されています』


『第二に、その速度。通常、感染症の蔓延で一つの地域が機能不全に陥るには、数週間を要します。しかし、今回は、それがわずか24時間から48時間で完了している』


『そして、その異常な速度を可能にしている、第三の、そして、最大の要因――』



黒瀬は息を呑んだ。


「……昨夜、お前が見せた、あの不鮮明な動画のことか?フェイクの可能性もあると…」



『いいえ、マスター』


ゼノンの言葉が、黒瀬の最後の希望的観測を断ち切る。



『この24時間で、状況は、統計的に事実と判断できる臨界点を突破しました』



タブレットの画面が複数のウィンドウに分割される。そこに映し出されたのは悪夢そのものだった。


監視カメラ、ドローン、そして市民のスマートフォンから撮影された、悍ましい映像の数々。



銃で撃たれても倒れない警官。


炎の中から無表情で歩き出てくる何か。


そして、倒れたはずの人間が、あり得ない角度に関節を曲げながら、ゆっくりと立ち上がる――。



『――死者が、生者を襲い、殺し、そして、その死体を、自らの軍勢として復活させる。この、無限の兵力補充サイクルこそが、この脅威の本質です』


『これはフェイクではありません。観測された、事実です』



黒瀬は、背筋を冷たい汗が伝うのを感じた。


ゼノンの声色は変わらず冷静だが、その言葉は、もはや報告ではなく、宣告に近かった。



『この事象の被害は、感染症に関する従来モデルでは、正確に見積もることはできません』


『第一段階は、《村落の崩壊》でした。通信が途絶し、地図の上からコミュニティが、ただ、消えた』


『そして今、我々は第二段階にいます。直近数時間のデータによれば、都市部において、警察・医療といった都市の免疫機能が、同時多発的に飽和状態を迎えつつあります』



ゼノンは、一瞬だけ言葉を切った。


まるで、黒瀬に覚悟を促すかのように。



『マスター。このままいけば、次に来る第三段階は、一つしかありません』


『――《国家》という、システムの、死です』



一拍起き、黒瀬が理解するのを待って、ゼノンは、更なる地獄を提示する。


『そして、この感染症が、今、恐るべき速度で、世界を侵食しています』



タブレットの画面に世界地図が映し出され、アフリカ、北米、南米、そしてアジアの、いくつかのエリアが、同時に赤く点滅し始める。


「…なんだ、これは。世界中で、同時に…?」


その問いに、ゼノンは静かに、しかし、有無を言わさぬ事実を告げる。


『マスター。この赤く点滅している都市は、まだ発症者が一人も確認されていない平穏な場所です。しかし、世界の交通網を考慮すれば、すでに感染者が、そこに侵入している。――そう、断定せざるを得ません』



黒瀬は言葉を失ったまま、点滅する赤い光を見つめていた。


北京、シンガポール、ロンドン、ニューヨーク……そして、東京。


まだ、平和なはずの都市。しかし、その内側には、すでに無数の時限爆弾が仕掛けられている。



「……つまり、封じ込めの余地がない速度で感染が広がり、地域の治安維持能力では防げない――この事態が、制御不能になるまで、あと7日ということか?」



『いいえ。――《5日》です』


ゼノンは、黒瀬の希望的誤解を一言で、斬り捨てた。



『現代の航空網と交通インフラは、ウイルスの拡散速度を、我々の想像を絶するレベルにまで高めています。最悪の場合、5日後の日曜日には、世界の主要都市で制御不能な感染連鎖が発生し、社会は、回復不能な《致死的パニック》に陥るでしょう』


『そこから、国家というシステムが、完全にその生命活動を停止するまで、もって1~2日。――《7日》とは、全てが終わるまでの、時間です』


その無慈悲な宣告に、黒瀬は奥歯を強く噛み締めた。


ギリ、と、歯が軋む音が、静かな司令室に小さく響く。



「……だとしても、まだ打つ手はあるはずだ。警察が無理でも自衛隊が機能すれば、局地封鎖だって――」


ゼノンは即座に否定する。


その声音は冷静にして鋭利。


すでに感情ではなく、戦略判断としての断言だった。



「軍もまた、感染初期においては極めて脆弱です。理由は2つ――統制構造の硬直性と、内部感染の伝播速度です。軍組織は、厳格な命令と指揮系統に従って動くため、《前例のない脅威》に対して、その初動が、致命的に遅れます。上層部が対処を決断したころには、既に手遅れになっていると考えられます」


「また、閉鎖空間・集団生活・宿営体制という特性から、感染拡大の条件がすべて揃っています。実際に国家単位の軍事組織が壊滅したという情報はありませんが、もし、そのような事態となれば、最悪のケースではなく、標準ケースで人類の滅亡を議論するフェーズになると判断しています」


「組織的防衛は、感染が可視化される前には平時規律を脱しきれず、可視化された後には命令系統が崩壊します。《壊死》は、静かに最奥から進行するのです」



黒瀬の背筋を、静かに悪寒が這い登った。


ゼノンが告げる、一つ一つの冷徹な事実。

それは、軍人である彼の脳内で――瞬時に、状況図へと再構築されていく。



駐屯地に集結できない兵士。


恐怖から同士討ちを始める部隊。


命令系統を喪失し、戦力として霧散する師団。


そして、手足と声に頭を失い――麻痺した司令部。



ゼノンの演算結果は、抽象的な予測ではなかった。


黒瀬がかつて幾度となく図上演習で回避を試みてきた――《敗北》そのものの情景だった。



だが、黒瀬は敗北必至な状況下でも粘り強く抵抗戦を続ける。


「……ならばせめて、敵の性能を正確に把握すれば、封じ込められるかもしれない」



ゼノンの声がさらに低くなる。


「承知しています。ですが、敵の性能には公式情報が皆無に等しく、SNS上の動画・画像記録からの推定に頼らざるを得ません」


タブレットが複数の画面に分割される。



そこには、ブレた携帯映像、監視カメラの切り抜き、ネット上に散乱した無数の断片的映像が映し出された。



画面のひとつで、逃げ惑う人物が倒れ、カメラが地面に激突する音とともに映像がブラックアウトする――その全てを、ゼノンは平然と解析してみせる。



 「再活動者──通俗的に《ゾンビ》と呼称されうる敵性体の挙動パターンを解析したところ、以下の特性が高確率で推定されます」



『敵性体コード:ウォーカー(仮称)/挙動パターン分析』


・視覚、聴覚に反応し、目標に直進する傾向


・破壊、射撃での行動停止率は低く、致死部位の損傷でしか無力化できない


・移動は全体的に緩慢だが、短期的な俊敏性は保持。


・物理的な障害を回避・突破する執拗さが見られる


・単独個体は致命的な脅威でないが、複数同時出現時に優位を奪う傾向



「……つまり、頭を撃ち抜くまで止められないってことか」



「その通りです。そして最後に、感染管理における最大の盲点があります。現在の観測では、感染後の発症はほとんどが1~2日以内です。ですが――この分析が間違っている可能性を、排除できません」


「……間違っている?」


「はい。実は、観測した潜伏期間の分布は、単一の山を描いていないのです。直接攻撃による24時間前後の鋭い山とは別に、原因不明の72時間を超えるなだらかな第二の山が、確かに存在しています。この24時間型と72時間超型の二峰性潜伏期が存在するという事実は――どんな《完全隔離》も無力化する可能性を示唆します」



沈黙が落ちた。



「発症者ゼロの収容地からの突然の感染爆発――それは、ランダム潜伏が引き起こす最悪のシナリオです。これが、封じ込め戦略を成立させない、最大の不確実性です」


黒瀬は、椅子にもたれて天井を見上げた。


しばしの沈黙。


まるで、現実に対して最後の抵抗を試みるような、そんな静寂だった。



――降伏。



「……俺の方こそ、現実が見えていなかった」


言葉はゆっくりと漏れた。その声には、敗北ではない。思考の転換としての、重たい諦念が宿っていた。


ゼノンの声が、どこか、安心したようにトーンを取り戻す。



「それは正常です。《死者が動く》という現象を、常識が拒否するのは、人間として正常な防衛反応。ですが、危機対応の判断だけは……現実を直視しなければなりません」



黒瀬は、短く頷いた。


「心に留めておく。――《最悪の現実》をな」

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― 新着の感想 ―
コメント失礼します。 ここまでの話、楽しませてもらっています。 慎也とゼノン、人とAI。 存在としての在り方は違えど、そこに確かな繋がりがある。 とても好みの世界観です。 ここから紡がれていく、この…
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