82、契約
やがてしばらく経つと、隣室から空気をつんざき何かを叩くような鋭い音と、同時にくぐもったようなアロエのうめき声が響いてきた。普段の彼女とまったく違うその声音を耳にすると胸元を掻きむしられるような気分になった。子供心にも、何となく聞いてはいけないものを聞いてしまったような感じがして、私は両手で耳をふさいで布団の中にもぐりこんだものだった。
(早く終わって帰ってきてくれないかな、アロエ……)
お子様だった当時はそう闇の中で願うのが精いっぱいで、その意味がまったくわからなかったが、今ではさすがに理解できる。結婚後早くに妻を亡くして再婚もしなかった父がその後どうやって欲望を処理していたのか想像に難くない。我が親ながら、随分とアレな性癖の持ち主だとは思うが。
「私はとある契約に縛られているのですよ……」
掛け布団に身を隠して振るえている時、以前アロエが誰に言うともなしにポツリとつぶやいた言葉が思い起こされる。彼女は何らかの制約のためにこんなひどいことになっているのだろう。
(私が何とかしなくちゃ……!)
長ずるにつれてこのような歪んだ状況を正さねばと固く心に誓うようになるも、それには厄介な障壁があった。
かつて父親が機嫌のいい時、「ねぇお父様、アロエが勝手にやめちゃうなんてことはないの?私、彼女がいないとよく眠れないんだけど」と探りを入れてみたことがある。
「安心しなさい、センナ。彼女は自ら辞職したくても出来ないんだよ。昔交わされた契約によってそうなっている。我がピコスルファート家の当主がその契約を破棄しない限りはね。だから大丈夫だよ。安心してお休みなさい」
彼は大きなソファーに身を預けながらにこやかにこう語ってくれたものだ。
(つまり、私自身が父を排除して我が家の新たな当主になるしか道はない!)
この時私は父の前で無邪気さを装いながらも、こう強く決心して内心で拳を固めた。我ながら末恐ろし過ぎる……。