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『さっきはありがとね!明後日は午後六時に学校近くにある公園に集合ね。メンバーは私と玲くんと───』


 その後も何回か連絡を取ったが、集合場所と時間が分かれば十分だ。野崎さんには申し訳ないと思うが、とある男のせいで携帯に通知が来るのは大嫌いだ。


 速水先輩には、十分だけ早い集合時間と学校に来てください、とだけ端的に連絡を入れた。返信は無かったが、既読だけはついていた。

 来なかったとしても、知るのは俺一人だけ。来ない可能性もある。それでも、速水先輩は来る、と謎の確信だけがあった。


「野崎さんとは別クラスなんです。ゴミ捨て場でゴミ崩しちゃってたの見かけたので、ただ戻すの手伝っただけ。それから何かと構われ続けて二ヶ月くらい」


 白の半袖シャツにジーパン、前掛けのショルダーバッグ。花火大会には不相応な簡単すぎる格好で隣を歩く先輩に話しかける。格好に関しては人のことは言えないくらい、似たようなものだ。

 ただ、返事は無いから、また独り言だ。


「構われるのが嫌だった訳じゃ無くて。自分の時間が取られるのが嫌だった訳でも無くて。なんというか、同じ温度感でいれないんですよ」


 花火大会に来た破局寸前のカップルにでも見えているだろうか。周囲の人達と目的は同じはずなのに、俺たちだけ区切られていて、空気が違う。俺の声は喧騒に飲まれて、すぐ隣の先輩にすら届いているか怪しい。


「楽しいなら楽しい、が正解だと思うし、悲しいなら悲しいでいいじゃないですか。まさに野崎さんはそんな人なんですよ。でも、俺は『楽しそう』『悲しそう』ってなっちゃうんですよね」


 携帯の画面には十七時五十七分と表示されている。時間には間に合っているが、集合には少し遅れている、そんな頃合。次の十字路を左に曲がれば、本来の集合場所がある。

 周囲の人は寄り道なんてせず、真っ直ぐと観覧会場へと向かう。親子連れ、老夫婦、男子学生、違う年代の人々が足並みを揃えて、真っ直ぐと進んでいく。その中で二人だけが、道を外れる。


「先輩はどう思います?」


 角も曲がってすぐに男女五人のグループが目に入る。

 野崎さん、野崎さんと一緒に図書室に来ていた女子二人。廊下でたまにすれ違う一年の男と、見たことの無い男が一人ずつ。

 女子は浴衣を着て、下駄を履いて、如何にも花火大会という格好をしている。両手で巾着袋を丁寧に持ち、お淑やかさも演出している。そんな彼女らとの格好とは対極的な速水先輩と男三人は、少しだけ浮いているような気もしてくる。


「誘ったの侑李くんじゃなかったんだね」

「誘ってもらう前に花火の話ししてたから、なんとなく」


 落ち込む野崎さんと信じられないという顔をする他の面々。非常識さ、という観点でみれば、俺の方が頭一つ分抜けているかもしれない。

 初めましての人がいるからか、軽い自己紹介から始まる。本来、花火大会という数少ないイベントは仲の良い面子だけで行くべきものだ。今日集められたメンバーの殆どは居心地が悪いことこの上ないだろう。そう感じるのは俺、もしくは俺らだけなのかもしれない。


 三年生の男が場の盛り上げにかかる。無理矢理なノリに一年の男が乗っかって、さらに無理矢理に女子三人から笑いを取る。何度か繰り返すと、そうあるのが当たり前かのような空気になってくる。無理矢理笑っていた女子三人も、気付けば当たり前に笑うようになっている。もちろん話を振られれば話すし、彼らのノリが面白ければ笑う。気付けば定位置が野崎さんの隣になっている。いつも前を歩いていた先輩は一番後ろだ。


 住宅街の入り組んだ細道を抜けて大通りへ。大通りに出たら人の流れに任せて、ただ進んでいく。流れる先は河川敷。花火の打ち上げ場所でもあり、多くの屋台も並んでいるだろう。神輿も出てくる夏祭り程ではないにしろ、屋台があるというだけでテンションが上がるというものだ。ソースの匂い、甘ったるい匂い、それらが風に乗ってほのかに香る。近づけば近づくほど匂いがより鮮明になり、人の数も増えていく。


「あたし焼きそば食べたーい」

「え、俺も食いたいわ。ちょっと買いに行こうぜ」


 買い終わったら連絡するから、と言い残して、女子が一人と三年生の男が人混みのなかに消えた。

 せっかく皆集まって来たというのに、もう別行動だ。


「リンゴ飴の屋台あるかなぁ?」

「さっきリンゴ飴持ってる人いたから奥の方にあるのかも。あ、ちょっと待ってチョコバナナ買うー」


 ジャンケンに勝てば二本オマケ。よくあるフレーズ。

 店主に勝った彼女と野崎さんがキャッキャッと喜ぶ。二本のうち一本は野崎さんに渡して、もう一本は速水先輩に。渡そうとしたが遠慮して、一年の男と譲り合う。結果、チョコバナナを買った彼女が二本目を食べ始めることになった。


「ねぇ、二人から連絡返ってこなくなっちゃった」

「ってことは、そういうことっしょ?」

「やっぱりそうだよね!いつからそんな関係だったのかなぁ。全然っ気づかなかったよ」


 二人の恋愛話から始まり、誰くんが誰ちゃんを好きだとか、あの先輩はタラシだからやめた方がいいだとか。噂話は大好物のようで、火のないところににも煙が立ち続ける。女子というよりか、幅広く付き合いがある彼女らは、この場で話すネタの底は突きそうにない。


「ヒカリとソースケ先輩付き合い始めたらしいよ」

「なにそれ、初耳!」

「通話してたら告られたんだって!」

「それじゃ、前ヒカリと一緒に帰ってた奴がソースケ先輩だったのか」


 次から次に色んな関係が溢れてくる。

 先輩から友達に、友達から自分たちに。話が少しずつ寄ってくるのも無理はない。


「千帆はそういう話全然出ないよね」

「あたしは聞いてるだけで満足だもーん。綾乃こそ、どうなのよっ!」


 声に合わせて肘で野崎さんを小突きながら、遂にここにいる人にまで話を伸ばす。私は別にと、そんなことを言いながら、小声になりつつその話に付き合っている。


「遠山くんは花恋ちゃんとイイ感じだよね」

「花恋とはそんなんじゃないって。ただの腐れ縁ってヤツだよ」

「そんなこと言って、このこのー」


 野崎さんから標的を遠山に変えて、まだ色恋沙汰の話を続けるようだ。彼女の話す事が全て正しければ、確かに男女の仲と言われても仕方がないように思う。


「男はそんなんじゃないって。な、涼宮」


 遠山にガシッと肩を組まれて、同意を求められる。笑って見せているが、急に自分に矢印が向いたことが嫌だったのだろう。目を見れば、助け欲しいと言う気持ちがヒシヒシと伝わってくる。


「そうだね、そのとおりだと思うよ」


 背中をトンっと軽く押される。人混みだから誰かとぶつかるのも無理はない。あと十分で花火を打ち上げが開始されると、繰り返し放送されている。人の数も、テンションも、全てが最高潮に近い。


「だよな、涼宮。男は男とバカしてる時がいっちゃん楽しいんだよ」

「ほんっと男子って馬鹿なんだから」


 振り返ると速水先輩は消えていた。


「玲くん?どうかしたの?」

「あ、いや、先輩がはぐれた、みたいで」

「あれ、ホントだ。探すの大変だぞ、コレ」

「えー、探す必要ある?先輩なんだから、自分で何とかするでしょ」


 彼女らは、今この瞬間の楽しい空気を壊されたくない。きっとそうに違いない。


「ね、遠山くんもそう思うよね!」


 誰にも気を使わないで、ただ話すだけで、全てが楽しいと感じるこの雰囲気を失いたくない。きっとそうに違いない。


「まぁ、この人混みから一人だけを探すのなんて無理だろうな」


 そんな彼女らに不釣り合いなのは自分に違いない。

 もし、そうでないのなら。違わないのであれば、楽しそうな彼女らを見て、楽しむことすら出来なくなってしまう。

 例え電話をしても、連絡を入れても意味が無い。俺だけが知っている。俺だけしか知らない速水翠が現れた。


「玲くん……?」

「野崎さん、今日は誘ってくれてありがと。それと、ごめんね。後は仲の良い三人で楽しんで」


 その言葉だけ残して、人の中に紛れ込む。野崎さんの声が聞こえる気がするが、周りの声に飲まれて、すぐ消える。言葉だけじゃなくて、心の底から申し訳なく思う。せっかくの花火大会をダメにしてしまった。

 なぜ野崎さんが俺なんかに声を掛けてくれたのか、彼女の態度を見ればなんとなく察せる。だから余計に申し訳ない。


「そんなことより……」


 そんなことより先輩を。


 探す。

 雑踏の中。数百、数千の人が流れる中、ただ一人を探す。これから花火が咲く夜空を見上げる人、屋台の料理を見つめる人、隣にいる大事な人を見つめる人。全ての人を掻き分けて探す。

 今は人の顔も、その表情もよく見える。ゼロコンマ二秒にも満たない時間、すれ違う人と目が合う。視界も視野も広がって分かる。目的が一人だけ違う。

 それでも、探す。


 歩く。

 河川敷の遊歩道。雑草が入り混じった砂利の道。所々に陣取って歩みを止める人が出てきた。打ち上げ開始までもう二分を切っている。こんな星月夜に打ち上がる花火はよく映えるに違いない。それでも人を避けて歩き続ける。

 屋台の並ぶ河川敷から離れて、人の少なくなった大通りに戻って、住宅街の細道へ戻る。花火の音が響いて、次から次に打ち上がる。静かな街に溶けずに、消えずに、音は鳴り止まない。皆で歩いたこの道を、ただ一人で歩く。


「───見つけた」


 河川敷から離れた、学校近くの寂れた公園。集合場所とは真反対に位置する、神社が隣にある公園。目当ての人物はそこにいた。二つ並ぶブランコに座り、地面に足を着けたまま、前後にゆっくりと揺れている。近づくと、金具の音がギィギィ鳴っている。ブランコに座る先輩は、自分の足元を見ているだけだ。


「せっかく花火上がってるのに、下見てるのは勿体ないと思いますよ」

「花火は、あんまり好きじゃないから」

「奇遇ですね。俺もです」


 久しぶりに先輩と会話ができた。独り言じゃないというだけで、満足してしまう。


「君はすごく変わってるね」

「そうですね、自分でもそう思いますよ」


 空いているブランコに腰掛けて、指摘を肯定する。

 一度目の打ち上げが終わり、街は静まり返る。ブランコの軋む音と先輩の澄んだ声だけが耳に届く。


「最初に話してた言葉には続きがあって。構われ続けるのは別にいいんです。人と関わるのは嫌いじゃないから。でも、彼女と関わる時は日常にはならなかった。日常にはするものじゃなくて、なってるものだとは分かってるんですけどね。彼女の話す俺の優しさは、彼女だけじゃなくて、遠山くんや侑李にも同じ。ただ頻度が違うだけで、本質的には同じなんです。なのに勝手に勘違いされる。俺は同じに、同じ距離で居たいだけなのに。みんなに平等にしたいってのは間違ってるんですかね」


 今日は口がよく回る。

 花火大会だから、という事にしよう。


「親が離婚したから、あんな風な大人にはなりたくなくて。誰かに肩入れしすぎたり、誰かの為に頑張ったりしたりとか、出来なくて。誰か一人の為だけに自分が突き動かされるのが嫌なんです。みんな同じ距離でいたいんですよ。でも速水先輩だけは違った。十差し出されたら十差し出す俺が、何も差し出さなくていい人は初めてだったんです。速水先輩との日々は俺の中で、日常だったんです」


 二度目の打ち上げが始まる。

 暗く寂れた公園が赤色、青色、黄色、様々な光で彩られる。酷く不釣り合いな光景だ。


「私の親は離婚してないし、毒親なんかでもなくて、どこにでもいるような普通の親なの。他の家がどんなのかは知らないけど、たぶん絵に書いたような普通の家族。良くも悪くも普通の家庭。だからね、普通になるのが当たり前で、私も普通を目指して頑張ってた。でもね、どこにいても、上を見上げて諦めて、横と下見て安心するを繰り返すの。みんな、他の人よりちょっとだけ上に自分を置いて、自分は大丈夫って安心する。私はね、もう疲れちゃった」


 先輩の足元にも大きな花火が咲く。

 音もなく、次から次に花火が出来上がっていく。


「だから見上げ続けることにしたの。安心する自分が浅ましくて、惨めで、耐えられなくて。そんな自分が嫌になったから諦めた。こんな私なんかと居るよりも彼女達といた方が君の為になるから。でも、君はみんなを平等に扱うから、私と一緒にいると君まで私の所に来ちゃう。それはダメ、それだけは許されない。早く彼女の所に戻ってあげて。だから、お願い……」


 俯いたまま、声を震わせて、心の内を吐露する。

 このまま先輩を捨て置くなんてできない、とでも本心で言えれば良かった。こんな異質な状態でも、普通の人ならここに居てあげるだろう、という考え方が頭にこびりついている。頭上の花火を見上げて、つくづく思う。いつからこうなってしまったんだろう。

 それでも、そんな俺でも居心地が良いと思ってしまった。速水翠と世界を見上げる日々が、何物にも代えがたい日常だったのだと。


 図書室に行けば、いつも隣にいてくれて、いつも話を聞いてくれて、いつも俺と同じ所にいてくれて、いつも、いつも、いつも、いつも。


「速水先輩、帰りまっしょっか。花火は好きじゃないので」


 だから、いつまでも俺の隣にいて欲しい。


「でも俺は、速水先輩との日常は嫌いじゃなかったですよ」


 だから、いつまでも俺と話していて欲しい。


「たぶん俺は速水先輩とじゃないと駄目だから」


 だから、いつまでも俺の二メートル先を歩いてい欲しい。


「なんで、どうして、私なんか、じゃ………」

「ただの我儘ですよ。それでいいじゃないですか」


 俯く先輩は顔を上げて、今日初めて瞳が交わされる。いつの日かとは違って、ずっと合い続ける。いつの日かと同じで、瞳の奥は酷く冷たく感じる。でも速水先輩の内情を知って、見え方が変わる。取り繕った姿だけじゃない、この人はどこを取っても、本当に愛らしい人だ。


 先輩に手を差し出す。俺の手は取ってくれないから、俺が先輩の手を取る。一番下で移動しても誰の目にも映らない、誰も気にしない。


「速水先輩、俺は涼宮玲です」

「そっか、君は涼宮玲くん、だね」


 いつの日かと同じ笑顔がそこにはあった。

 冬の晴れの日のような、そんな眩しくてどこまでも澄んでいる、そんな笑顔だ。


 花火が打ち上がる中、花火に背を向けて歩く。今年の花火大会も大詰めで、これ以上ないくらいに次々に空に花が咲いていく。みんなが空を見上げて、一番下には見向きもしない。それでいい。それがいい。


 いつもよりもほんの少しだけ縮まった距離で、先輩が前を往く。春先よりも伸びた髪を左右に揺らしながら、前を往く。二人しかいないこの道で、先輩を見失わないように、丁寧にその背中を追いかける。

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