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 時は過ぎ、夏休みを来週に控えている学校はどこか浮ついてるように感じる。カラオケに行こう、お泊まり会をしよう、旅行に行こう。クラス中がそんな話題で持ち切りだ。

 高校生になって初めての夏休みなのだから、こうなってしまうのもしょうがない。中学生の時にあった制限も全て外れて、自由度が段違いになっている。出来なかった事が出来るようになる、それだけで嬉しくなるというものだ。


 今日を耐え抜けば、待ちに待った夏休み。

 終業式とホームルームだけのスケジュールで、正午には放課になる。そんな日でも、変わらず図書室へと向かう。

 帰り支度を済ませ、お昼ご飯の話をしている生徒を掻き分けて、長い廊下を進んでいく。教室だけでなく廊下にまで空調を整備している校舎の窓は締め切られている。それでも運動部の掛け声に近い叫び声がうっすら聞こえてる。目の前にインターハイを控えた彼らは、今が最後の追い込みの時期だ。スポーツ科という学校の看板を背負っている彼らは、その看板に恥じない成績を持ち帰ってきた。学校の正面には、その功績を自慢するがごとく、垂れ幕が幾つも垂れ下がっている。職員室の横に並ぶトロフィーと優勝旗の数が、年々増えていっていると校長が誇らしげに話していた。


「新しい事でも始めようかな……」


 長期休みは何かを始めるには調度良いタイミングだ。ギターを始めた、釣りにハマってる、一人旅に行く予定。そんな話ばかり耳に入ってきたものだから、自然と思考が引っ張られている。

 心に穴が空いたような、正体不明の喪失感。それを埋める充足感が欲しい。

 心はどこにあるのだろう。どこに存在しているかも分からない、不確かなものに左右される。


「夏バテ、かな」


 数年前に比べて、最近は猛暑が続く。去年と比べても、さらに暑くなると天気予報士が言っていた。思考がまとまらない頭が、そんなことをぼんやり思い出す。


 図書室横のの掲示板には花火大会と夏祭りのポスターが貼られている。町の人が一箇所に集まる、年に数回とないビックイベント。片方は明後日に消化される予定らしい。


「図書室入らないの?」

「今来たところでして。正午で学校が終わるっていうのに、わざわざ図書室に来るのなんて図書委員くらいですよ」


 速水先輩とはあの一件以来、少しだけ距離が縮まった。日々の会話の中で偏屈じみた事を言えるくらいには、健全ではなくとも、それなりの関係に落ち着いている。


「速水先輩は花火大会行く人ですか?」

「誘われたら行くけど、一人だけだったら行かないかなぁ。君は?」

「俺も同じですね。打ち上げ花火は綺麗だけど、好きじゃなくて」


 音は大きいし、花火が咲く瞬間とズレて聞こえてくるのが気に入らない。もちろん光と音の速度の関係で同タイミングで鳴らない事など百も承知の上だ。

 そういう意味では整合性は取れている。だが、視覚と聴覚の情報が一致しないのが気に入らない、という自己分析はとっくの昔に完結している。


「ミヤ先輩からの伝言。『進路相談してから行くから遅れる』だってさ。大変だよね、三年生は」


 それだけ言い残して、図書室へ入って行く。元より廊下に何の用事もない俺も、先輩の後ろを着いていく。


「速水先輩も来年に受験控えてるじゃないですか。今のうちから考えとけって、言ってましたよ」

「それは沢山の選択肢がある人が考えることだよ。私には関係ないかな」


 つまり、進路は既に決まっているという事だろうか。進学科にいる時点で学力はそれなりにあるだろうから、選択肢が絞られる理由はそこじゃあない。就きたい職が既にあって、いや、これ以上他人の将来を妄想するのは無粋すぎる。


 案の定、一時間経過しても、図書室には誰も来る気配はない。

 図書室には一時間経っても誰か来る気配はない。だだっ広い図書室のカウンターに二人で座り、時間を潰す。今日くらい当番無しでもいいとか、近所の野良猫が不細工すぎるとか、間違って同じ小説を買ってしまったとか、くだらない話を繰り返している。


 突然、図書室の扉が開かれる。

 どうせ誰も来ないと高を括っていたせいで、音に驚いてしまう。カウンターに突っ伏している姿勢を戻し、来訪者が誰か確認する。やって来たのは宮本先輩でも、他の生徒でもなく、汐田先生だ。普段は顔を出さないクセに最終日だけ様子を見に来たのだろう。


「宮本はまだ来ていないのか?」

「ミヤ先輩は進路相談してから来るそうです」


 そうか、とそれだけ言う。要件のある人物が居ないのだから職員室に戻ればいいものを、どうやら図書室で待つようだ。

 図書室に汐田先生がいることは可笑しくないはずなのだが、どこか違和感がある。一体どういう風の吹き回しだろう。


「ところで、お前たち二人は進路について、しっかりと考えているのか」


 何周か前に先輩と話した話題が再び出る。

 速水先輩は考えているような事を話していた。俺は何も考えていないと話した。


「先生、その話はさっき終わったんですよ」

「終わったのなら結果だけでも聞かせて貰えるか。教師なんだから、そのくらい許されるだろう?」


 俺と速水先輩を真っ直ぐ見つめながら、如何にも教師らしい事を言ってくる。汐田先生は俺の担任でもあるし、図書委員会の顧問でもある。言っていることに間違いは無いし、正当な権利も持ち合わせている。


「確か、涼宮は進路希望調査票に進学と書いていたな」

「あれって入学してすぐの調査じゃないですか。とりあえず進学って書いて出しただけで、大学とか分野とかはさっぱりですよ」

「まあ、他の奴らも似たようなものだろうな。大雑把にでも調べておくといい。それだけでスタートラインが変わってくる」


 恐らく進路についての捉え方に温度差がありすぎる。宮本先輩に言われた時点で考え方を改めるべきだったのだろう。


「そんなに難しい顔をしなくていい。まずは興味のあるものから調べてみるといい。興味を持つものが無ければ、自分の周りに目を向けてみろ。至る所に転がっているものだからな」


 本が好きなら、本に関わる仕事。司書でも、編集者でも、絵描きでも。そういうものを見つけられたのなら、自然と道筋は決まってくる。無駄に複雑に考えなくとも、もっと楽観的に捉えてもいいものなんだ。


 そう俺への言葉を言い終わったら、次は速水先輩へ視線を送る。お前はどうなんだ、と目は口ほどに物を言っている。


「私は前に言ったとおり、あれから何にも変わってないですよ」

「そうか、お前は本当に真面目な奴だな」


 口ぶりから察するに、以前も似たような話を二人だけでしていたのだろう。それが何時の話なのかは定かでは無いが、かなり早い段階で進路を決めているということになる。だから、先程のあの言葉が出たのか。


「涼宮、速水とよく話をしておくといい。それだけでお前にはいい薬になる」


 進路相談のような何かを話したら満足したのか。それとも、宮本先輩が来ないから図書室で待つのを諦めたのか。汐田先生の真意は定かでないが、どうやら職員室へと戻るらしい。立ち上がり、図書室の中をぐるりと一周見回す。もちろん本日の来訪者は汐田先生のみで、他に生徒はいない。


「そうだ、最後に。好きなものを仕事にするのはおすすめしない。ただ、それだけだ」


 後味が悪い言葉だけ残して、汐田先生は図書室から立ち去る。その言葉だけは上手く呑み込めず、引っかかって、落ちていかない。


「先生っ!───先生はどっちですか」


 今までに聞いた事のない声が図書室に響く。焦燥を孕んだ声は汐田先生の背中へと突き刺さる。

 速水先輩は今、どんな顔をしているのだろう。


「さあな」


 突き刺さった言葉をものともせず、振り返りもしなかった。足さえ止めずに短い返答を残して、図書室から出て行った。

 先程まで偉そうに話をしていた癖して、速水先輩が一番聞きたかったであろう事は答えない。本当にずるい生き物だ。


「おっきい声出してごめんね」

「そうですね、ビックリしました」


 最悪な生き物でもある。

 残された俺の気持ちも少しくらい考えて欲しいものだ。隣に座る先輩は、スイッチが切れたようだ。


「……大人ってなんなんすかね」


 もちろん先輩からの返答はなく、独り言になってしまう。こんな些細な事で気分が上下してしまう人もいるのだから大変だ。でも、共感は無理だが、理解はできる。


 図書室の空気を変える為には新しい風が必要だ。だが、もう風が吹く可能性は低い。

 午後二時を過ぎた校舎に一般生徒はもう残っているはずが無い。運動部も汐田先生以外の先生も、図書室を訪れる意味が無い。残されているのは、未だにやって来ない宮本先輩だけだ。この時間になっても来ない時点で、相当話に熱が入っているのだろう。


 だから諦めて、思考のチャンネルを切り替える。

 三十五日間の夏休みはどう過ごそう。クリアになった思考で、再び同じ事を考え始める。他人に引っ張られていた思考も、今は自分の目線だけで考えられる。

 幸せ、というのも一長一短で、今この瞬間だけで言えば、やる事が決まっていた中学生の時の方が幸せだったともいえる。

 小学生の頃みたいに毎日遊ぶような友達はいないし、そんな生活を送る訳にはいかない。難儀なものだ。大人になるにつれて、自由でいることが出来なくなってきているのに、自由を与えられたら使い方が分からない。社交性、行動力、そういった能力が高ければ、まともな使い道も用意できたのだろうか。


「……難しいな」


 自己分析は得意だ。

 高校を入る前に全部済ませた。その結果を現実に落とし込んでみると、どうも上手くいかない。長所として導き出したものが、到底他人に自慢できなかったらとしたら、どうすれば良いのだろう。長所を伸ばしたとて、使えない。短所を克服するには遅すぎる。


「───ねぇ。ねぇ……ねぇってば」


 物思いに耽っていると、再びスイッチの入った先輩が肩を叩きながら呼んでいる。


「はぁ、君に用があるって子が来てるよ」


 入りかけだったようで、俺以外に見せる速水翠とは程遠い。隣でオンオフを見ている俺以外には分からないような少しの差。


「あ、あのさっ、明後日のっ!花火大会なんだけど……よ、よければ、もし玲くんがよかったら、一緒に、行かない、かなって……」


 どんどん勢いは落ちていき、併せて声量も小さくなっていく。野崎さんの後ろに控える女子二人はよくやった、とでも言いたげな表情をしている。


「予定何にもないからいいよ。他に誰か誘ってる?」

「うっ、うん!他にも何人か誘ってるの!詳しい事はまた後で連絡するね!!」


 野崎さんを含めた三人はキャーキャーと大盛り上がりだ。俺は当事者のはずだが、置いてきぼりを食らっている。速水先輩はどこかつまらなさそう。


「あのさ、野崎さん」

「玲くん?どうしたの?」

「俺も一人誘っていいかな?」

「うん、全然問題ないよ!」


 じゃあね、と元気よく手を振りながら図書室から去っていく。さながら、突風のような勢いがあった気がする。言いたい事を言って、欲しい返事を貰えて、大満足で帰って行った。


「言いたいことがあったら言えばいいと思いますよ」

「水を差すのは悪い気がして」

「先輩が何考えてるかは知りませんけど、そんなんじゃないですよ」

「何も言ってないって」

「なら、先輩も花火大会、行きましょ」

「は?」

「誘われたら来てくれるんですよね」

「そう言ったけど、ソレとコレとじゃ話が」

「同じですよ」

「さっきの子の気持ちくらい考えてあげなよ」

「俺の気持ちを考えてあげてください」

「尚更だよ」

「野崎さんからは許可は貰ってます」

「女子を連れてくるなんて思ってもないよ」

「同感です」

「それに一年生の中に混ざるのは無理」

「俺もそう思います」

「じゃあ、なんで」

「俺の抜け出す口実になってください」

「……え?」

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