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「そうだな、まずは恋愛観からでも話そうか。さっき野崎は高校の時、好きって言ってくれたじゃん。でも、俺はその気持ちが理解できない。あ、勘違いして欲しくないんだけど、中学生とかみたいに、好きってどんな気持ちか分からない、とかじゃないよ。好きってのがどんなのかは知ってる」

「それじゃ、何が分からないって言うのよ?」

「まぁ、最後まで聞けよ、和泉」


 ピシャリと言われた香織はバツの悪そうな顔をする。誤魔化すように、グラス半分ほどのハイボールを一気に飲み干す。


「……悪かったわね」

「いいよ、別に。───何が理解できないかっていうと、友達とかに持ってる感情が恋愛に昇華するのが理解できない。例えば友達とか先輩とか、後輩でも。結局そういう人達は、友達とかの枠組の中にしかなり得ないんだよ、俺の中では。友達の枠組から急に恋人の枠組にチェンジする事なんて有り得ないだろ?」


 カラオケボックスの中に少しの間、沈黙が流れる。

 香織と綾乃は、涼宮の言葉の意味を上手く飲み込めていないようで、考える仕草を見せている。香織は何か言おうとして口を開き、閉じる事を繰り返している。この話を振った侑李はその姿を見て、ケラケラと笑っている。


「えっ、じゃあ、なに、高校生の私はどう頑張っても無理な恋でもしてたっていうの?」

「そういう事になるんじゃない」


 あっさり言い切る。綾乃が恋していた三ヶ月は、何もかもが無駄だったと。本当に時間を消費しただけだと。だか、綾乃は怒りを顕にはせず、落ち着いている。さらにいうと、納得した表情すら見せている。


「そ、ならいいの」

「ここは怒るところなんじゃない?」

「確かにそうかもね。でも、私が玲くん好きなのは学年中知ってたから、次の恋愛なんて出来なかった。その反動っていうとアレだけど、大学行って自信ついたし。今の私はそれでいいって思えてるからいいの」


 綾乃の姿を見れば、今の生活がどれだけ充実しているものか、言われなくとも分かる。それを自分自身の頑張りの成果ではなく、涼宮のおかげであると遠回しに伝える。実際、涼宮が綾乃に与えた影響は微々たるものだろう。だが、彼女がそう言っているのだから、これ以上追求する必要など無い、と涼宮は結論付ける。そちらの方が圧倒的におさまりが良い。


「友達から恋人になる方が普通なのに、変な話だよ、ほんと」

「それじゃ玲くんはどんな人なら恋人に出来るの?」

「家族……しか有り得ないんじゃない」

「正解。やっぱり和泉は俺の事よく分かってんじゃん」

「なんとなく、そう思っただけ。さっき枠組の話もあったから。察するに恋人が入る枠組は少なくとも交友関係では無い。もちろん仕事関係の人も有り得ない。あとは消去法で残ったのが家族だったってだけよ。……別に涼宮の事分かってるわけじゃないわよ。変な所で理性的だから予測が立てられるだけ」

「それを含めて分かってるって言ったんだよ。和泉は自分の事になると、急に察しが悪くなるよね。そこだけは何時までも治らないね」


 五月蝿い、と涼宮からの指摘を一蹴してやりたい気分だが、うまく言葉が出てこない。痛い所を突かれて怒りたいような、しかし、自分の事をしっかりと理解してくれている嬉しさのような感情が入り交じっている。そして、再び涼宮の指摘が香織に刺さる。


 涼宮と知り合ってからは何時もこうだ。

 初めて会ったのは中学の部活の大会。大会の度に顔を合わせ、互いにそれなりの成績を残していた。であれば、会話するようになるのも自然な流れだろう。会う頻度も多いわけでもなければ、まともに話したのも三、四回程度。それだけで相手の全てを知ることは難しくとも、大まかな人となりは分かってくるものだろう。しかし、香織は全くと言っていいほど、それを感じなかった。雲を掴めと無理難題を突きつけられたかのように、涼宮という人間を掴みきれなかった。


 高校に進学した時は心底驚いた。何故なら、涼宮が同じクラスにいたからである。彼らが進学した高校は進学科とスポーツ科の二つだけ。涼宮はスポーツ科に進学するという事を、信じてやまなかった。それだけの実力もスポーツ科に進学する資格も持ち合わせていただろう。それに学生にとって部活という存在は、学校生活の中でもかなり大きなものだ。生活の一部、切り離せないものといっても過言では無い。にもかかわらず、涼宮はいとも簡単に切り捨てた。さらには、部活を無かったモノとして扱っていたのである。だからといってはなんだが、事ある毎に涼宮に突っかかってしまっていた。


 香織は今になって思うことがある。恐らくまともに相手にされたことはなかったのだろう、と。


「……じゃあ、涼宮から見た私ってなんなの、教えてよ」


 いつにも増して低く、掠れた声で問いかける。

 ずっと聞いてみたかった疑問。だが、いざ聞いてみようと思っても口に出せなかった最後の問い。学生時代は怖くて聞くことの出来なかった。今なら───否、今しか聞くことの出来ない疑問。


「真面目で愚直。やる事なす事、全てが正しくて、全てが正解。折れないし、曲がらない。そんな人を和泉以外知らないし、和泉以外いて欲しくない。ただ、和泉は正しいだけの人だから、俺みたいな人間とはとことん反りが合わないんだよね。それだけが残念」


 不意打ちのような言葉が和泉を貫く。

 何も言わない、というよりも何も言えないという表現の方が正しいだろう。涼宮にとっては何気ない言葉としても、和泉にとっては重く、そして深く心に刺さる言葉であった。


「話が逸れたから戻そっか」

「……ごめん、私、御手洗」


 それだけ言い残して、足早にカラオケボックスを後にする。


「いいの、玲。香織のこと追いかけなくて?」

「……なんで?追いかける必要ないでしょ」


 涼宮の返答に侑李は深く息を吐き、天井を見上げる。学生の頃から変わらないその態度には、何度苦労させられたことか。

 分かったうえでとぼけているのか、本当に分からず素っ気ない態度に見えるのか。侑李の体感にして五分五分。今回に関しては、あれだけの言葉を吐いたのだから、分かっていると信じたい。


「そーゆーところだと思うな、私。自分から踏み込むくせに、自分だけ線引きしてる所とか」

「綾乃ちゃん、もっと言ってやってよ。玲は自分のことは分かってるくせに、自分が与える影響は考えないのなんのって。それを、いっつも俺が尻拭ってたんだから」

「その節はどうも。四年越しだけど、助かってたよ」


 それから、わざとらしく深々と頭を下げて、ありがとう、と付け足す。この気持ちに嘘偽りなんてものはありはしないが、素直に感謝するには少し気恥しい。だが、今感謝を伝えなければ、今後一切伝えられず終いになりそうだと思う。だから伝えた。ただそれだけの事だ。


「ほら、そういう所もだよ。すぐそうやって口に出すんだから。思わせぶりな態度するのは女の子だけでいいのに」

「いいこと言った!だけど、玲にはイマイチ伝わって無さそう。どうせ『感謝を伝えることの何が悪いんだろう』とか思ってるよ」


 二人からの口撃が勢いを増してくる。女子からの細かい指摘と親友からの自分を理解し尽くした言葉が重くのしかかる。感の鋭さというものか、付き合いの長さからくるものか。つまるところ、ぐうの音も出ないという訳だ。


 若干の沈黙の後、侑李がんんっー、と大きく伸びをする。


「それじゃ、そろそろ香織迎えに行ってくるわ。酔い覚ましついでに俺もフラフラしてこよっと」


 香織が御手洗と言い、カラオケボックスから退室し、十分は経つ。流石に放っておくことは出来ないと、それだけ言い残し、カラオケボックスから出て行く。スマートフォンも財布も置いて、いくらなんでも無防備がすぎる。だが、このような一面を見せるのも彼らの前だけであろう。ある種、信頼の現れだ。それを見せるのが『彼ら』か『彼』かは彼らにとって知り得ることは無い。


「……ねぇ、さっきの香織ちゃんが正しいだけの人ってどういう意味なの?」


 聞いても良い事であるのか、そうではないのか、涼宮の様子を伺いながら尋ねてみる。恐らく自分自身の考えと彼の考えは違う。その事は分かりきっているからこそ知りたいのだ。彼が何を持って香織を正しいと、正解だと評価しているのかを。


「そのまんまの意味だよ。たぶん野崎が考えてるのとほぼ同じ。だって和泉が正しいし、曲がらない人間だって知ってるでしょ」

「それはそうだけど、そうじゃなくてさ……」


 踏み込むべきか、否か。

 涼宮がこれ以上踏み込まれたくないことは、雰囲気でなんとなく理解できる。そもそもとして、説明が億劫ということもあるだろう。それに、自分の中の和泉香織を他人にひけらかしたくないのだろう。


 学生の頃、彼に恋をしていた頃の綾乃では、考えなしで踏み込んでいたに違いない。だから距離を取られ、倦厭されていたと、今なら、少しなら、彼の気持ちも分かる。

 だが、今この瞬間だけは違う。彼の考えが知りたい訳でもなければ、彼に同調したい訳でもない。自分以外から見た、友の姿を知りたい。ただ、それだけなのだ。


「私は香織ちゃんの全てが正しいとは思えないし、全てが正解とは思えない。だって、そうでしょ?香織ちゃんが原因で何回揉めたか。それに玲くんはいつも巻き込まれてたじゃん。───確かに言ってることは正しいように感じる。けど、それって香織ちゃんの主張だから正しくなる、みたいな雰囲気だったよね。それって本当に正しくて、本当に正解なのかな?少なくとも私にとってはそうは思えない。私は、香織…ちゃんのことは、そう評価出来ない」


 今の言葉を涼宮以外に聞かせる訳にはいけないと、気持ちが逸る。

 果たして自分の本心か、第三者から聞いた誰かの言葉かは整理がついていない。それを口にしてしまったのは酒と雰囲気、少なからずどちらも影響しているに違いない。


「はぁ。急に語り出すと思ったら、そんなこと聞くんだ」

「……そんなことってなに。玲くんにとっては些細なことかもしれないけど、私にとってはそうじゃないこともあるの。分かるよね」


 欲しいものとは違う言葉が返ってきて、少し心の奥がイラつきを見せる。聞いたからといって、必ずしも答えてくれるという訳ではないことは百も承知だ。だが、何故か、イラついてしまう。

 酒の影響だろうか。自分の気持ちを落ち着かせるために、目の前にあるグラスに手を伸ばす。


「たぶん今の野崎には分からないだろうから、最初から答え言うよ。キレられるの好きじゃないし」


 要らない前置きを残し、次の言葉を紡ぐ。


「前提として、和泉は俺に『涼宮から見た私』を聞いてるわけ。それで俺から見た、俺の主観での和泉は正しくて、正解なんだよ。そりゃ、もちろん、野崎とか侑李から見た和泉は正しくないし、間違ってるのかもしれない。ただ、さっきは俺の主観を聞かれてたから、ああやって答えただけ」

「───な、にそれ」


 思っていた言葉とは違う。

 期待していた言葉とは違う。

 理想の言葉とは違う。

 違う、違う、何もかもが違う。

 だから。


「意味わかんないんだけど。それって結局、香織ちゃんが正しいって説明、ひとつもしてない。玲くんの考えは分かった。でも、私が聞いたのは、香織ちゃんが正しいって言える根拠」


 恐らく、今の自分に可愛さなんてものは微塵たりとも無く、早口で捲り立てるヒステリックな女としか見られていないのだろうと察する。こんな姿見せたくはなかったし、こんな一面があったのかと今になって初めて気付いた。

 ここからどう取り繕うか。酒のせいにしても、雰囲気のせいにしても、どちらにせよ良い言い訳では無いことが明白だ。


 瞳孔は開き、肩で息をする。

 こんなはずじゃなかった、という思いが綾乃を駆け巡る。仮にも恋をしていた者に久々に会えるのだから、綺麗で可愛い姿を見てもらいたかった。あわよくばを考えていないというのは嘘になる。メイクもお洒落も女の子らしさも覚えて、人生の中で一番華やかな自分で会うつもりだった。


「先に訂正ね。俺の正しいってのも主観だけど、野崎の和泉が正しくないってのも主観ってこと忘れないでよ」


 その結果がコレだ。

 抱いていた理想は現実の綾乃の手によって打ち砕かれた。


「私だけじゃ……私だけじゃない!!千帆も、花恋も、陽太くんも、大輔も、亮も、先生も、みんな言ってた!私だけじゃない。侑李くんも香織のあの態度には辟易してた」

「だから、それが主観以外になんなの。誰が、誰に、どんな感情抱こうが、他の奴には関係ないでしょ。野崎さ、さっき自分で言ってたじゃん。和泉が主張したら正しくなる雰囲気があったって。そのこと自体は否定しないし、出来ない。実際そうだったから。でもな、その雰囲気を作り上げるだけの努力を考えた事はある?最初からだった訳じゃない。一重に和泉が正しい事をやり続けた。結果として、和泉だから信じられるようにったんだよ。私は和泉が気に入らないから認めません、なんて、俺たちはもう子供じゃないんだから。いつまでもそんなんじゃ、みんなに置いてかれるよ」


 彼には勝てないという事実が、綾乃の心を埋め尽くす。いくら声を荒らげようが、感情をぶつけようが、涼宮と同じ土俵には立てず仕舞いだ。

 ならば、本当に聞きたかったことだけ、改めて聞こう。


「これで、最後ね。なんで玲くんは香織ちゃんが正しいって思うの?」


 涼宮は口元に笑みを浮かべる。それは愛想笑いや場を盛り上げるためにしていた今日の彼では無く、本心が漏れ出たような、そんな笑み。

 口を開き、話始めるまでのほんの少しだけ。一秒にも満たない瞬間を、綾乃は目に焼き付ける。


「和泉は俺の理想なんだ。和泉の思考から取る行動まで、ほぼ俺の考えと一致してる。逆にね、一致してるからこそ、その穴が分かる。だから、いつも、その穴をつついて、より完璧を目指して欲しかった。巻き込まれてたというより、俺がちょっかい出してたの方が正しいのかも。俺は和泉みたいにはなれない。自分から発言も行動も出来ない。今もこうして逃げ続けてるからさ。こんな感じでどう?」


 そっか、と短く返事をする。

 その言葉以外、彼にかける言葉を持ち合わせていなかった。自分が出せる言葉もである。

 まともに問に対する答えを貰えた高揚感よりも、あまりに悲観的すぎる内容への、なんとも言いようがない感情が纏わりついている。


 涼宮の表情は実に穏やかだ。先程までの話、綾乃の感情、この場の雰囲気、全てにおいて相応しくない。


「…………私も、御手洗いくね」


 二人きりの空間に耐えられなくなったのか、綾乃は荷物をまとめる。乱雑に小さな鞄へ無理やり詰め込む。

 席を立ち、扉に手をかけつつ、涼宮への言葉を残す。


「───玲くん、今日はなんでも答えてくれるんだね」


 勢いなく開かれた扉は、涼宮を残したカラオケボックスに少し大袈裟な音を響かせ閉まった。

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